飼い猫が、家を出ていった(考察)

実家の飼い猫が、母の入院中に家を出て行ってしまったことで、私はいろんなことを考えた。

特に大きかったことは、父と母の関係についてである。

私は猫と母を重ねてみていたところがあった。父と二人(いや、一人と一匹)になってしまった猫は、父に愛想をつかして出ていったのではないかと思ったのだ。

家庭のなかで父親という存在は、どこか浮いているように感じることがある。以前、『報われない父親』という記事でも書いたのだが、父親は家族の気持ちに疎く、行動が自分本位で、家族からは厄介な存在として見られがちだ。そして、実際に、猫との関係を見ていても、餌をやっても、ウンチをとっても、どこかやってやっているという感じで、母親のような愛情がない。そうなると猫も懐かないものだから、「なんだ、やってやってるのに!」という態度になって、余計に関係が悪化する。そういったことが見て取れていた。

自分本位な人間は、一人では自分本位にはなれない。つまりは、まわりが合わせて我慢をしていたり、気づかないところでフォローしていたりするものだ。そういったことに気づかないのである。

何が言いたいかというと、これは我が家だけのことではなく、ちょっと視点を大きくしてみてみると、これまでの日本の家庭のなかで、自分本位な夫を陰で支えてきた妻がどれほどいただろうかということである。

私は仕事柄、認知症の高齢者に関わる機会が多いのだが、夫婦で妻が認知症になった場合、夫に対して攻撃的になる人がとても多いのだ。そしてほとんどの人に共通しているのが、「自分がこれまでどれほど我慢してきたか、お前(夫)にはわからないだろう!」という攻め文句が出てくることだ。
その震えあがるほどの憎悪のまなざしと、剣幕があまりにひどいため、責められている夫が気の毒になるのだが、それでも気が済まないとばかりに責め立てる。

ストレスが原因でアルツハイマー型認知症を発症するという研究があったと記憶しているが、アルツハイマー型認知症が女性に多いのは、これまでの男尊女卑の社会のなかで、我慢し続けてきたということが原因とも考えられる。祖母と祖父もその典型であった。

ただ、母は認知症ではなく(認知面は低下しているが)、肺の病気である。ただ、息苦しい環境で我慢し続けることが肺の病気を引き起こすことも考えられる(ややスピリチュアル的な見解として)。考えてみれば母は本当に、自分の気持ちを言わない人だった。そこらへんのおばちゃんが、愚痴や誰かの悪口をしゃべりまくってすっきりしているのをただ、聞いているだけの人だった(こうなると父との関係だけでもないかもしれないのだけど・・・。それでも、長男の嫁のしんどさを、娘の私にだけは話していた)

まあ・・・

いろんな形はあれど、夫婦関係、特に家族のゆがみが何らかの形として後年に出てくるのではないかと感じていたのだ。

ただ、「だから、男が悪いのだ!!」というのも客観的にみて違う気がする。社会の風潮のなかで起こったゆがみなのだから。

とはいえ・・・私のなかには、もうひとつの葛藤があった。

「お父さんには、もうちょっとわかってほしい」

父親を責めたくない、いち娘の思いと期待だ。

そして、もう一歩踏み込めば、私はバカ正気な性格なのだ。

今後は母亡き後、まだ数年間は父と付き合わなくてはならない。
そんななか「お父さんには、わからない」として、この問題を脇にやり、表面上だけで父と付き合うことはできない性格なのだ。

結果、母と父の間に感じていたことが、猫が出ていったことを契機に大きく膨らみ、やっぱり私は父に言ってしまった。

父は「自分の人生を否定されているように感じる」と言っていた。それでも、私の言葉を聞いていた。そして私は最も大事なことも伝えた。私は父が好きであること。だから伝えていることも。

このことが良かったのかどうかはわからなかった。
ただ、翌日に起こった出来事が、結果を連れてきたと私は思っている。

猫が帰ってきたのだ。

『飼い猫が、家を出ていった(その後)』へ、つづく・・・

*この記事を書きながら、ふと思ったことがある(ややスピリチュアルな見解である)。
なぜここまで、妻が夫を責めるという事柄が起こるのだろうかと。
社会のなかで形成されてしまった、家庭という枠に縛られた夫婦関係のゆがみ。恐らくこのゆがみはどこかで解消しなければいけないものなのかも知れないと思うのだ。それが、今世中に行なわれているという風に考えれば、自分達がつくったトラウマを自分たちで解消しているとみて取れないだろうか。

トラウマは来世に持ち越してしまえば余計に解消しにくいものになっていく。そして逆の立場になって経験しないといけない出来事が起こるのである。今世ですべて解消できれば、来世はひとつトラウマの少ない人生を送れるのだ。そう思えば、夫が来世にひどい目にあわない様に、今世で鞭を振るうとは、すごい愛の形ではないだろうか?

そう紐づければ、なぜここまで?という妻の攻撃もわかるような気がするのだ。私個人の見解ではあるが、あながち外れていないかもしれないなと思うのです。そんなわけないやろー、もう助けてーという世のお父さんの声も聞こえそうだけど。

とにかく、父よ母よ、そして世界中の夫婦たち、頑張れー!

お前も頑張れよーと言われそう(笑)



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