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谷川俊太郎『東京バラード、それから』

なんでも「うつくしい」と形容してしまうのは怠慢かなと思いつつ、はじめからおわりまで、ほんとうにうつくしい一冊だった。

谷川さんのことばや写真が素晴らしいということは、わたしが言うまでもない。
そんなことは重々承知の上で、それでもこの本のことを書きたいとおもうのは、読んでいる時間、ページをめくる時間が、とても充実していたからだろう。本のページをめくることに、これほどの心地よさやめくり続けたいという欲を掻き立てられたのは、はじめてだ。

でも、書きはじめて早々、わたしの言葉ではこの紙の心地よさを形容することができないと感じている。なんとか言葉にできないものかと考えてみたけれど、やっぱり手にしてもらうのがいちばん。
読んでみて。めくってみて。と言ってしまおう。

わたしはなんでも”味わう”ことが好き。
視覚で文字を追うだけでなく、触覚まで駆使して味わうように読むのが、この本の醍醐味ではないか。


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「巷へ」と「幸福な男」のあいだにおかれた、”菓子のデパート”の写真が、わすれられない。
ひとが押し寄せて、誰もがわくわくして集っているだろう活気が伝わってくる。よい人ごみ。巻き込まれてたのしい、人の波。
人が集うことができないさみしさみたいなことを、逆説的な方法で代弁してもらったような気がした。

何も終わっていないのに何かが始まっている
窓からの新しい眺めが
家族の心を地平線にまで広げる
(「新しいここ」より抜粋 )

昨日と今日とのかさなり。
わたしと隣人とのかさなり。
わたしと両親とのかさなり。
別々の存在だけど、うっすらと、たしかに、かさなっている。

いつ終わるのか。いつ始まるのか。なにをどう感じたらいいのだろう。
そんなこと、いつだって誰にもわからないんじゃないか。

過去が夢だったような気がして、未来は見えない。
焦点が合わない眼鏡をかけているみたいだなとおもう。

でも、かさなってるから。
そのかさなりに焦点を合わせたら、いまに立てる。
そしたら、過去も未来も信じられそうな気がする。

ここにいま 私はいる
ほんとうにここにいるから
ここにいるような気がしないだけ
(「旅 Ⅰ 」より抜粋 )


谷川俊太郎さんの、ことばと写真の本。
谷川俊太郎『東京バラード、それから』(幻戯書房)

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