日本人離れしたユニークな絵を描く洋画家・大内青坡
大内青坡(1896〜1974)という洋画家がいます。「おおうち・せいは」と読みます。この画家は経歴の詳細が良く分からなく、グーグル検索しても殆ど情報が得られないのですが、戦前のマイナーな洋画家に詳しい「いのは画廊」(東京・神保町)の公式サイトによると以下のプロフィールが書かれています。
これ以外でグーグル検索して得られる情報は1930年に大乗美術会の結成に、1935年に新興美術家協会の結成に参加したことぐらいでしょうか。あと、戦後、太平洋画会(太平洋美術会)の会員でもあったようです。
2022年2月、ヤフオクで大内青坡の油彩6号(1950年)が16万6100円(税込)で落札されました。
また、同じ頃、ヤフオクで大内青坡の油彩10号(1963年)が14万9360円(税込)で落札されました。
私はこれらの作品を見て日本人離れしたユニークな画家だと思い、それ以来、大内青坡について調べているのですが、『藝術新潮』1980年2月号に「秘められた大内青坡の遺作」(p.56)という記事が載っているので引用致します。
この記事は1979年12月17日から1980年2月7日まで銀座アートホールにて開催された「大内青坡遺作展」のレビューですが、この遺作展に伴って大内兆編『大内青坡遺作展出品目録』(美術出版デザインセンター、1979年12月)が制作されています。編者の大内兆は大内青坡の息子で画家・エッセイストの大内青琥(1939〜2005)の本名です。この目録の詳細なデータが東京都現代美術館の蔵書検索(OPAC)に載っていますのでリンクを貼ります。
私はこの目録は未見なのですが、近日中に東京都現代美術館に行って閲覧する予定です。
補足ですが、2022年2月にヤフオクで『大内青坡遺作展出品目録』が6550円で落札されました。当時、私はこれを入手できませんでしたが、オークションのページがまだ残っているのでリンクを貼ります。
今の時点で私が得られている大内青坡の情報は以上です。
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