見出し画像

【自己紹介】40代女会社員管理職(育休中)、noteを始めます。

生きる 働く、生む、暮らす
働きながら全てを諦めたくない女会社員が思ったこと記します。

”このたび、第1子出産のために産休・育休を取得することにいたしました。”
あくまで自主的な人生の転換期。初めて「女性」としての権利を会社に申請しました。

40歳で結婚、43歳で出産

もちろん、周りと比べればスロースタートだし、
30代の婚活、40代の妊活はしんどいことも多かったけど、その分お金では買えないくらいのことを学ぶことができました。

”自分はこう生きたい”を実現してもいいんだ、とようやく思えるようになってきました。

この期間に感じたこと思ったこと、そして、
結婚も出産も憧れてはいるけれども、なんだか億劫で足踏みしている同世代~若い世代に、
どうしてもエールを贈りたくなったので、noteに記すことにしました。

この人で大丈夫だったなら、自分もいけるかも?と少しでも背中を押せたらうれしいです。

独身の時分は、お酒が大好きでほぼ毎晩飲み歩いていたような自分なので、そんな女性達と膝詰めで朝まで語りあかしたい、という気持ちを込めながら書いていきます。

まず、この記事では、私のここまでの歩みを書きます。


20代 がむしゃら期

営業時代のやみくもな仕事バカ

大学卒業後、新卒で大手企業に入社します。
入社直後は営業職としては、それはそれはブラックな働き方をしてました。
まだそういう時代だったから、ということとともに、
20代は仕事を習得するんだ!という義務感、責任感、使命感のようなものに駆り立てられて、真面目に仕事に打ち込みました。
月の残業が100時間を超えることも珍しくなく、肉体的にかなりしんどい時期でしたが、若さで無茶してました。
なぜなら、30代では結婚する、という根拠のない想いがあったため、社会に出て学ぶなら今しかないという気持ちが強かった時期です。

キャリアに自信がなくなった事務職

あまりの無茶な仕事ぶりに、スタッフ部門に異動となり、商品開発部の事務職に。営業経験もあることから、開発担当のキャリアも勧められつつ、その頃はまだ管理職には女性社員がほとんどおられず、数少ないバリキャリ組は殆どが独身。”偉くなる=女性としての生き方を捨てろと言われている”とように聞こえてしまい、断固としてキャリアアップを拒んでいました。

また、それまでの仕事バカぶりの行き所がなくなり、残業が極端に減ったこの時期。仕事終わりの時間に何をしたらよいかわからず、毎夜毎夜同僚や友人などと飲みに行くことが増えましたが、事務職であることでキャリアに自信を持てずに、すなわち、自分のアイデンティティにも疑問を感じ、「なんだかおもしろくない。早く結婚してここから脱したい」などと思っていました。

望まぬキャリアアップで人間崩壊

その後、先輩女性社員の転勤に伴い、開発担当者に抜擢されます。
が、全く望まぬキャリアップのため、納得いかないまま、実力以上の判断力が要求され、実力不足を痛感することに。毎晩フロアで最後の一人になるまで残業し、徐々に心が壊れていきました。

30代 迷走期~バランス期

壊れた心を立て直したのは”会社からの期待”だった

心が壊れ、開発担当者からの降格も経験し、もう仕事辞めたい、と思い詰めていたこの頃、思いもよらない白羽の矢が当たり、新規プロジェクトに抜擢されます。

いざとりかかったミッションは、会社の10年後を指し示す"新しいことを提案する"という使命を負っており、その仕事の質が自分の性格やそれまでのキャリアでの経験や人脈をフル活用できる類のもので、とてもやりがいを感じることができ、仕事に対しての自分らしさを見出せるようになっていきました。

自分の立ち位置を俯瞰できた経験

その後、プロジェクトの中で管理職へ昇進、それまでとは異なる視座で仕事に向き合う機会を得ました。
自分で全部やる、という立場から、部下が全部できるように支援する、という業務の質の変化は自分にとって非常に有意義なものでした。

30代では地方への転勤や出向も経験し、自分という人間を冷静に俯瞰しどう見られているか、も感じ取り自己演出できる機会も増えていきました。

俄然焦りだす”近づくアラフォー”

20代の頃、根拠なく(相手もいないのに)結婚すると思っていた時期が通り過ぎかけた30代の後半がはじまりました。転勤から東京に戻り、人に会うことを心掛け、数年に渡り本格的な婚活をしますが、なかなかうまくいかずあきらめかけていた39歳。2019年3月に知り合った男性と4月にお付き合いを始め、その年の10月の自分の40歳の誕生日に入籍する運びになりました。

40代 協創期

40歳から始まった妊活

40歳で結婚し、早々に自然に授かることができ、入籍から3か月後に妊娠陽性反応!浮かれていたら妊娠9週目で流産。
その2か月後に再度妊娠陽性反応が出るも、胎嚢確認にも至らずに化学流産。
おや、これはもしや、何かおかしいのかしら。
と、不妊治療専門のクリニックを受診することにしました。

低AMHという事実から第1子誕生へ

ブライダルチェックを受けに行くと、嫁の低AMHが判明。
当時40歳でしたが、46歳レベルの卵巣年齢だと診断され、そこから本格的な不妊治療に突入することになります。
約3年の間、不妊治療と仕事を両立しながら向き合い続け、クリニック受診と共に、不妊鍼灸、漢方などを通じて体質改善にも努め、結果として43歳で自然妊娠で第1子を授かることができました。

まとめ

今は、わが子の育児に追われている日々ですが、隙間時間で更新をしていきたいと思っています。
感じたことあれば、コメントいただけると幸いです。声が励みになります!
フォローもお気軽にお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?