私の介護メモ #45
先週の日曜日、旦那と二人で母の施設のすき焼きパーティーと家族懇談会に行ってきた。
正直私の心の中は、「参ったなぁ」って気持ちでいっぱいだった。
前々からだけど、私にとって実母の介護は憂鬱な案件だ。
元々中学生くらいから母とは確執がある。
決して仲良くない。
何も知らない人から見ると、とっても優しそうな娘さんなのにと、思われている。
実際は優しくない。
子育てが終わった私にとっては、母は子育てをしてなかったんだなと思うし、
母にとって私は可愛いお人形ちゃんで
母の言うことを素直を聞き、お利口さんで、
可愛ゆくて、キラキラしていて、
幼い女の子がそうするように、
「この可愛いお人形さん、いいでしょ?これ私の」と自己主張して、周りに見せびらかして見せたいだけの、おままごとに付き合うお人形である。
それが自己主張し始めた中学生の私は、
母にとっては、いきなり私のお人形ちゃんが
わがまま放題で言うこと聞かなくなった。
そんな感じだ。
旦那と付き合い始めた頃、いきなり母は
家を出て行って、私は一人暮らしを実家で始め、結婚後、母が脳梗塞で倒れるまで数えるくらいしか、母には会っていない。
母からかなり拒絶されていたのだ。
帰省するな、泊まるところはない、来るなと、20年くらい言われていた。お人形ちゃんでなくなった私を母は、多分見たくなかったのだろう。認知症になった今では母の心を知ることは難しくて、想像しかないけど、
そう思うのだ。
そんな母が去年の11月中旬から、我が家の近所の特老にやっと入所して、そこから2回もてんかんの発作で入院して、ようやくなんとなく落ち着いてきた。
でも、母が精神的にも病状的にも落ち着いてきたのは、本当に2回目の入退院を終えた先月の初めくらいで、やっと落ち着いてきた感が出てきた。
面会に行くと、日によっては数分で帰れと怒鳴られ、認知症特有の妄想でいろいろ語られ、それでも毎回数分で帰れと言われ。
別に会いたくもないのに、面会に行く私の気持ちも、と思うけど、そこはもう、相手は理解できない。面会での嫌な目は何度もあって、毎度毎度憂鬱だけど、ほんの少しだから頑張れと心に呟きながら、面会に行く。
今回の憂鬱は、すき焼きパーティーだった。
私は肉は食べない。食べれない。
すき焼きは、もっぱら野菜とか、肉以外の具材しか食べない。でも、みんながうはうは喜ぶイメージよね。高い肉をもりもり食べる。
子供の頃からずっと食べない、肉を食べれない原因を作ったのが母なのに、
その母は認知症が進み、私が肉を食べれないことをすっかり忘れ、とにかく肉を勧めるのだ。
横で母にすき焼きを食べさせつつ、
他のご家族の方とも同席して、
すき焼きを作るとか、食べれもしないものをかなり無理して、作ったり、食べたりしなきゃいけないのが、結構苦痛で、想像しただけで、凹んだ。
それを旦那に相談したら、一緒に行くと言ってくれて、当日は同席してくれた。
すき焼きはなんとか、母に食べさせてあげられて、ホッとした。
すき焼きづくりは、半分以上旦那にお任せした。
こういう時、旦那が調理師免許持ってると、任せられるよね。
母にも「なんであんたがやらないの?」とツッコミ入れられたけど、私は母の横に付き、母が食べやすいようにご飯をすくったり、
肉を小さくしてあげたりしているのに、
そう言う事が母には理解できない。
とりあえずすき焼きパーティーはなんとか滞りなく終わった。
終わった後、母の施設を旦那に案内した。
母の施設の前には、子供達の通った高校が目の前にある。
話には聞いていた旦那は「ほんまに真ん前やん」と驚いていた。
施設の中をぐるりと一回りして、案内。
その後の家族懇親会に参加した。
家族懇親会は、施設の家族会の運営状況と、
「看取り」について話し合った。
母の施設は看取りを行なっている。
看取りとは、つまり死ぬまでみてもらうこと。
私が子供の頃は、お年寄りは、病院で死ぬものだと思っていた。
まあ、そんなの人それぞれで、もっと昔は自宅で死ぬものだった。
延命処置を施す事が、当事者にとって、苦痛な時もある。それをよく当事者と話し合った上で、その人にあった最後の迎えたかをするのだ。
歳をとって、死に近づくと、人は、ご飯を食べなくなる。
これに対して、無理に食べさせるのではなく、その人に合わせて、食事や水分を取らせてあげる。
そう言う事が本人に負担を掛けず、静かに人生を閉じる時を迎えられる。
そう言うことも、家族や周りのスタッフさんが理解することも必要なんだと思う。
今朝、ぴったりな記事を見つけた。
こう言うのもあるんだと、少し知っておくのも必要だなと思う。
そして、親のその時を考えるのが難しのなら、まずは、自分の死ぬ時を考えるいい機会なのではと思う。
私は、大事だなぁ〜って、思う。こう言うこと。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?