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戦争と平和、そして人権について

 「われわれ人間は、戦いから逃れえないのか」について、私は戦争は終わらないのではないかと思う。というより、闘争や競争をすることそのものが、生き物の性質の一つなのではないか。

  戦争を”暴力による支配”と称するならば、戦争の目的は支配であると言えるはずだ。そしてその支配は、戦争や奴隷だけでなく、身近な生活においても支配、被支配の関係として存在する。スケールを小さくしたとき、家族内にも支配、被支配の関係がある。例えば、性別役割分業の考えや世間の目から支配されている女性と、女性という生き物を支配したいと思い、女性を家につなぎとめておこうと支配する男性がいる。これは極端な例かもしれないが、夫婦の関係は、必ずしも何らかの側面で、女性は男性の庇護下であり、飼われている身なのである。このような支配、被支配の関係が日常生活からなくならないのと同様に、戦争を完全になくすということは、すべての人が自分の内にある支配欲求を、いかなる理由があろうと、抑えられる強い自制心を鍛えなければ成立しない。しかし、ひとりひとりの意識を変えることは不可能であり、非現実的である。そのため、社会そのものを変えなければ、世界の動きは変わらない。

  そして、戦争といってイメージされるものが千差万別であるのと同様に、平和という概念も人それぞれなのではないかと思う。そのため、誰かにとっての平和と、自分にとっての平和の概念の存在を考える必要がある。そして人権の自由性を考えれば、秩序から外れた平和を想像している人の考えをねじ伏せることは、良いことなのかどうか、見極めが困難である。戦争、平和、人権のすべての側面を考慮すると、正しいことは何なのか、そもそも正しさは存在するのか、という問いが生まれてしまう。ただ、私は戦争には断じて反対である。それは、権力によって目のくらんだ少数の人間によって、多くの犠牲者が出るからだ。戦死してしまった人々の死を無駄だとは思わないが、確実に不必要なものであったはずだ。人の人生を何かの駒にしてよいはずがないのだから。

    戦争について考えるには、あまりにも無知で、とりとめもない考えしか浮かばないが、"われわれ人間がどう戦いから逃れられるのか"、結論を出せるまで、私たちは考え続けなければならない。


『戦うことに意味はあるのか―平和の価値をめぐる哲学的試み―』(佐藤香織・遠藤健樹・横地徳広 編著 2023)冒頭部

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