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自分を何かに当てはめるとしたら、HSPだとして、生きづらさは解消できるだろうか。

人の言動を深読みし過ぎてしまう。

言葉の意味、声色、表情などすべてに敏感で、会話の節々において、相手の言動に対して少しでも違和感を感じると、それらが気になって仕方ない。

そのせいで、無意識のうちに周囲の人たちと距離を置こうとしてしまい、周りに気難しい印象や緊張感を与えてしまう結果、人間関係につまずくことが多い。

相手から感じとってしまった違和感を瞬時に拭い去ることは困難で、その場をどうにか切り抜けるために、不自然な作り笑いと違和感を飲み込むための我慢がストレスとなって積み重ねられていく。

ただし、これは空気を読み過ぎる性格とはまた別物である。むしろ、私は周りを気にする割に協調性がなく、よかれと思った言動が空回りすることが多い。
つまり、どちらかというと、私は空気を読めない人間なのだ。

また、被害妄想が激しく、親しい相手からは「そもそも、そんなつもりで言ったんじゃない」とか「深い意味なんてないのに」なんていう風に窘められることもよくある。

相手はこう思っているのではないか、こうして欲しいのでないかと、一方的に他人の言動を深読みし、一方的な解釈で他人を困惑させながら、同時に自分を追い込んでしまうのである。

他人の言動をいちいち気にせず、真に受けず、考え過ぎない。
そうできればどんなに楽で、どんなに生きやすくなるだろう。

どうして、他人の言動にばかり意識が向いてしまうのか。

その原因が、自己肯定感の低さにあることは自覚している。そのせいで、自分がどう思うか、どうしたいのかよりも、相手の意思や行動に意識が集中してしまう。

たとえば、相手の顔色を伺いながら他人と接するうちに、相手の微妙な機嫌の変化を読み取り、相手に共感を寄せ、自分の本音とは異なる言動を選択してしまう。すると結果的に、私はYESマン、意思がない人、何を言っても許してくれる人、のような存在として周りに認識されていく。
他人からよく愚痴をこぼされたり、八つ当たりされたりする傾向にあるのはこのためだろう。それは、他人の怒りや悲しみといったマイナスのエネルギーを自ら吸収しにいくようなものだ。
そもそもはじめから、いい人に成り下がるつもりもないのだが、無意識のうちに他人に対して謙る癖が、結果的にそうさせている。

このような私の気質について、自ら分析し理解し、どうにか生きづらさを解消する術を身につけようと努力をはじめたのは、ここ2〜3年のことである。
それまでは、周りに自分を理解してくれる人はいない、自分は他人より変わっていると塞ぎ込み、疑心暗鬼に駆られていた。

他人より、神経質かもしれない。
他人より、気を遣い過ぎているのかもしれない。
そして、他人より、自信がないのだろう。

そんな自分を理解し、受け入れることからはじめた。

「私は、こういう人間なのだ」

自分を肯定する意味で、そう呟くだけで、ほんの少し気持ちが軽くなった気がした。

それからは、違和感を感じる他人の言動はできるだけ受け流し、他人の領域にピントを合わせ過ぎないように気をつけている。
無意識のうちに他人にばかりアンテナを向けようとする自分自身を、うまくコントロールしなければならないからだ。

そうすることで、些細なことに敏感に反応しがちな自分に、少しでも余裕を持たせ、他人との距離感をほどよく保つためのコツのようなものを身につけていく。

そして、この生まれ持った気質を一切拭い去ることは無理だとしても、心が穏やかだと実感できるような時間が、この先少しずつ増えていけばいいと思っている。

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