見出し画像

「今年の夏は茄子と過ごした」と言っても過言ではない

5月のことだ。娘の幼稚園でふれあい栽培をした。私たち親子が植えたのは茄子。他にはピーマン、オクラ、プチトマトなどがあったが、娘が喜んで食べられるのは茄子だけだった。

タイトルの通り「今年の夏は茄子と過ごした」と言っても過言ではない。たかが “ふれあい栽培” 、されど “ふれあい栽培” 。そこで、茄子との思い出を前編後編に分けて綴りたいと思う。

-

毎日、登園するタイミングで水をやり、その成長を見守った。ジョウロで水をやる娘の姿は大変にかわいいものだったけど、とにかくダイナミックにかけるので、

「土にかかるようにね」

と言い続けた。

雨が降った日に「今日はお水あげなくてもいいよ」と伝えると、その日以降は娘自身でも判断できるようになった。

「ママ、今日は雨だから、茄子ちゃんに水やりしなくてもいいよ!」

なんと頼もしいこと。ひとつずつ覚えていく娘が眩しい。

風邪でお休みしたときに葉が萎れてしまい、親子でひどく悲しんだこともある。

「取り返しのつかないことをしてしまったかも……」

とにかく怯えたが、水をたっぷり与えたところ翌日には復活。親子ともに、その生命力に感動した。


梅雨の頃には実をつけたので、娘と一緒に収穫。まだハサミを使い慣れない娘が、精一杯の力で切り落としてくれた。

とんでもないサイズになった茄子を先生たちに見せると、みんな目を輝かせて喜んでくれた。もちろん娘は、得意げに笑った。

ちなみに最初に収穫した茄子を味噌汁に入れてみたところ、身が詰まっていて、全く崩れない……にもかかわらず、口に入れた瞬間にトロッと溶けて、それはそれはおいしかった。

無農薬で娘の愛がたっぷりと注がれているんだから、間違いなくおいしいはずなのだけど。


そんな茄子の鉢植えだが、夏休みになり持ち帰ることになった。幼稚園児に運べる大きさではないので、私が30分かけて運んだ(徒歩)。途中で知り合いに会ってしまい、死ぬほど恥ずかしかった。

「台車が欲しい、台車があれば……」

そう思いながらも必死に運んだが、自分のあまりの必死さに、なんだか笑えてきた。

その日、幼稚園から帰ってきた娘は、

「わぁー!茄子ちゃん、うちにきたの?どうやって!?」

と喜んだ。これを運ぶのがどれだけ大変か、想像もつかないんだろうな。そう思うと、また笑けてきた。子育てって、いつもそうよね。

こうしてわが家にやってきた茄子だが、その後も度重なる試練を乗り越えることになる(つづく)。

この記事が参加している募集

子どもに教えられたこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?