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5年前の七夕、私の願いは届いていたのかもしれない

娘を出産してから1ヵ月半の間、何度も乳腺炎になった。カチカチに腫れる胸、呼吸もできないほどの痛み、唸るような高熱。そんな状態にあっても休めない育児に、疲れ切ってきた。

助産師さんのマッサージで乳腺の詰まりを取り、点滴を受けて回復しても、数日後には別の場所が痛んだ。そして次の瞬間には、猛烈な寒気にガタガタと震えた。

「今日は泊まったほうがいい。赤ちゃんのお世話は私たちがするから。」

見かねた助産師さんが声をかけてくれた。このとき、どれだけ肩の力が抜けたか……正直なところ、産後ブルーを通り越してノイローゼ気味だったのだ。

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産後はどうしたってしんどい。1ヵ月以上続く悪露は地味にストレスだし、授乳だって最初からうまくはいかない。娘は生まれた瞬間から上手に飲めるタイプだったが、凄まじい吸引力のおかげで、私の乳首はすぐに切れた。

また助産師さんが与えてくれるミルクやお白湯を恐ろしいスピードで飲みきるので、「とにかく元気な子だ」と褒め讃えられていた。しかしながら、その吸引力と食欲の割に、消化力は弱く、吐き戻しが激しかった。

そんなこともあり、娘はいつも空腹と戦っていたように思う。とにかく、母乳もミルクもそれらを口にするまで怒り狂っていた。

私は最初、母乳の出が悪くて困り果てていたのだが、ただ “出ない” だけではないタチの悪さがあった。少しだけ詳しく説明すると、母乳の生産量は多いのに、乳管の通りが悪かったのだ。

吸っても思うように飲めずに苛立っている娘。ただならぬ吸引力に傷つく乳首。生産された母乳を飲み切ってほしい私……常にこの構図で戦っていたのだが、残念なことに私の乳管はよく詰まった。

そして週1回のペースで乳腺炎になり、39度の高熱を出した。産後というだけでガタガタなのに、息をするだけで消耗していた気がする。


次に苦戦したのは「おむつ替え」だ。

娘はおむつ替えのとき、異常に暴れた。新生児とは思えないパワーで足をばたつかせ、ふんぞり返って泣いた。

うんちのおむつ替えは特に悲惨だった。泣くとお腹に力が入るのか、お尻がオープンになった状態で次のうんちを噴射するのだ。もちろん容赦なく飛び散った。私は何度浴びたか分からない(冷静になると笑える)。

今ならもっと工夫して挑めただろうが、睡眠不足の頭では、ただ立ち向かうことしかできなかったのだろう。

……そう、眠れなかった。2、3時間おきの授乳とは言うけれど、その間におむつ替えと寝かしつけも含まれるのだ(この事実に驚愕した親はたくさんいるだろう)。

苦痛を伴う授乳に、波乱でしかないおむつ替え、その後には寝かしつけが待っていたが、娘は驚くほどに寝なかった。苦労して寝かせても、1時間足らずで泣いた。もともと器用に寝付けない私は、20分足らずで起こされた。

「赤ちゃんはみんなそうよ」
「お腹いっぱいになったら寝るよ」

誰に相談しても、返ってくる言葉はいつも同じようなものだった。お腹をいっぱいにするだけなら、ミルクをもっと足せばいい。でも乳腺炎のことを考えると母乳もしっかり飲ませる必要があった。

しかしながら、私にはそれらの加減を考える余力がなかった。ひとつひとつに対する答えじゃなくて、1日を通してどうすればいいのか知りたい──どうすれば、もっと幸せに子育てできますか???

分からない。娘の泣き声が怖くて、いつも体が強張っていた。

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5年前の7月、助産師さんのありがたい提案により入院した。その期間は3日間。熱がなかなか下がらなかったので、思いのほか長くなってしまったのだ。

その間、娘のおむつ替えや寝かしつけなどは助産師さんたちが代わってくれた。授乳のときだけ娘を部屋まで連れてきてくれて、乳腺炎の治療も同時に受けた。

熱のせいで頭がボーッとしていたけれど、娘のお世話、乳腺炎による不調、睡眠不足などが全て解決した。出産後の入院生活よりもゆっくりと過ごせたので、心身ともに回復した。

そして入院3日目、病室に運ばれた晩ごはんを見て、その日が七夕だと気づいた。

お世話になった産院は「ごはんがおいしい」ことで有名だった。七夕に因んだキラキラした盛りつけが美しく、ひとり病室で涙ぐんでしまった。

ごはんをゆっくりと味わえる幸せ、季節を感じられる幸せ。それらに加えて、焦りのようなものを感じた。娘のお世話だけに向き合っていた私は、季節が巡り変わったことにさえ気づいていなかったのだ。

「しっかりしなくちゃ」

そう思いながらも立ち上がれない自分に泣いた。それでも、あと1日は入院すると決まっていたから、その間に気持ちを整えることにした。

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その晩、あれほど下がらなかった熱が下がり、穏やかな時間を過ごした。翌日の退院が決まり、実家の母に連絡した。

まだまだ不安だったけれど、3日前のフラフラだった自分は身を潜めた気がした。

入院中に私と娘のケアをした助産師さんたちは、全てを察してくれた。

「めっちゃ飲むけど、吐き戻しも多いね」
「おむつ、叫びながら交換したわ(うんち噴射の被害者多数)」
「ほんまに寝ないんやね」

助産師さんでも苦戦したらしいことが分かり、内心ホッとした。なぜなら上手にお世話できない自分を責め続けていたから。

退院する日には、私と娘の状態に合わせた授乳計画を提案してくれた。母乳の生産状態や、乳首の傷、赤ちゃんの栄養状態、さまざまな方面から考えられたものだった。

(実のところ、それまでは助産師さんによってアドバイスが違うことに戸惑ってばかりだった。入院後は助産師さん同士で話し合ってくれたらしい。)

今後の方針が固まっただけでも、精神的な負担が減った。そして最後にもらったアドバイスがこれだ。

「カヤハラさん、根性だけで子育てしようとしたらダメよ。」

力強い言葉だった。そして痛いところを突かれた気がした。私は今までの生き方を変えなくてはならないと悟った。

子育ては、想像以上に現実的だ。「しんどくても、かわいいからがんばれる」というのは、正解であって不正解だ。親の体力、精神力、子の性格、親と子の組み合わせなど、さまざまな要素が絡まっているから。

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七夕が来るたびに、入院していたことを思い出す。5年前の私は短冊を書かなかったけれど、願いは届いていたのかもしれない。

「休みたい」
「眠れないつらさを分かってほしい」
「この子のお世話の大変さを、分かってほしい」

あの時、入院できてよかった。今でも本当に感謝している。あの数日がなかったら、どうなっていたか分からない。

産後の私が成仏しないことに、ずっと後ろめたさを感じていた。なぜって、娘はもう赤ちゃんではないし、眩しいほどに成長しているから。

だから私は、七夕が来るたびに、あの時の自分に会いに行くことにした。そして伝えよう。

「根性だけで子育てしようとしたらダメよ。」

年を重ねるほどに、あの時間をありがたく思うのだろうな。

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