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幼少期 保育園児愛ちゃん〜母親サイド〜

最近2人目が産まれた
男の子だ
よかった
子孫繁栄義務はこれにて終了だ。
あの子を将来1人にするということだけは避けられた
ここは田舎も田舎
女の子1人なんて将来娘がなんて言われるか
なんとしても男の子が必要だった。

夫には2人目はやめてくれと言われたが、将来のことを考えたら男の子は絶対だった。
最低でも妹が必要だった。
私がいつまで生きられるかわからない身体だからだ。
自分でも身体が弱いことはわかっている。
支え合う人が娘には必要だと思ったからだ。

本当によかった

とはいえどうしたものか。
本当にいうことを聞いてくれない私の身体。
婦人系の病気がひどいのだ。
産後もすぐに薬を再開しなければならない。
母乳を飲ませたくても叶わないのだ。
やるせない気持ちに耐えきれず、泣きながら搾乳して捨てる。
この間泣いているところを娘に見られてしまった。
なんて説明いたら良いかわからなくて「あっちいって」と言ってしまった。
無表情なあの子は傷ついているのだろうか。

夜はとにかく頑張らないといけない。
夫に不快な思いをさせて怒らせてはいけないからだ。
夜少しの物音で起きてしまう神経質な人。
息子が泣けば秒で起きる。
寝かしつけられない私に文句を言いにくるのだ。
娘と3人家族になった時、あの機嫌の悪さには生きた心地がしなかった。
夫は気に入らないことがあると大きな声で罵るように怒る。
私に手を上げることはないが、ものに八つ当たりするのを見て、いつ殴られるのか怖くてたまらない。
だから我慢しなければ。
働いてくれているのは夫。
私は何もしていない。
私が頑張れば良い。私が我慢すれば良いのだから。

夜は赤ちゃんが泣き出したら家の外に出て歩くしかない。
夜中のミルクとおむつ替えの時間は死闘だ。
胃をキリキリさせながらお願いだから静かにして、と願いながら夫が起きてこないことを願う。
それなのに息子はよく泣く。
お腹が減るのだろう。

息子はミルクを消化できない。
茶色い大豆のミルクを飲ませている。
大豆のミルクにたどり着くまで、みるみる体重が落ちて行くのを見守るしかなかった。
下痢と嘔吐が止まらなかった時は生きた心地がしなかった。
やっと胃の中にいてくれるものを見つけた時は小児科の先生を拝みたくなった。
男の子は胃腸が弱いと聞いたことはあるけれど、息子がそうだとは…
赤ちゃんなのに細く感じる。いいのだろうか。
このまま痩せていってしまったらどうしよう。
頭がおかしくなりそうだった時、同じ地区に住む近所のお祖父さんが教えてくれた。
「男の子は弱い。10歳までは天からの預かり物だ。」
怖かった。と同時に、10歳まで何がなんでも生かすと決めた。

ほぼ寝ずの朝、歩き疲れた重たい身体を引きずって朝を迎える。
7:30までに洗濯を終わらせなければならない。
向かいに住む義母が、洗濯物が干せているか見にきてしまうからだ。
卵焼きを焼いているころ夫は起きてくる。
朝起きたらまずタバコ。灰皿と新聞の用意は必須。
朝ご飯のお味噌汁は赤だし。わかめは絶対に入れてはいけない。
お弁当の準備完了。
送り出した後、ほっとするのはなぜだろう。

さぁ、娘を起こして保育園の準備だ。
あの子は朝が苦手。
般若のような顔で起きてくる。
眠れる獅子を起こす気分だ。
朝ご飯も食べてくれない。
食べずに出すなんて保育園の先生に何か言われたらどうしよう。
ちゃんと育てられないお母さんって言われたらどうしよう。
なんでもいいから食べてよ!とイライラし出すと息子も泣き出す。
あなたがきちんとしてくれないから!と思うたびに身体が裂かれるように痛い。

なんとかして保育園へ行き、娘を預け。
他のママさんたちに笑顔を振り撒き急いで帰宅。
天気が良ければ布団を干さなければならない。義母が心配してきてしまうからだ。
ひと段落すると夜通し歩いているからか、気絶するように眠ってしまうことがほとんどだ。
お昼ご飯は娘を迎えにいく前に、朝作った乾いた卵焼きの端っこをおかずにご飯をかきこむ。

保育園のお迎えに行って、しばらくママ友と話をする。
人間と話せる唯一の時間。
どうてもいい話に花が咲く。

保育園から帰宅すると、義母に大丈夫だと安心してもらうためにも娘を機嫌良く庭で遊ばせる。
晩御飯の支度、お風呂掃除、あっという間に夕食の時間になる。
夕食前に、義母に家に来てもらってお風呂の手伝いをしてもらう。
義母は散らかった部屋を見ても、決して何も言わない。
怖かった。
心の中で何を思われているのかわからない。
用意途中の夕食もちゃんとできているのか見られているのかな。
洗濯は畳んだし、大丈夫だよね。
早く息子の首が据わってくれたらいいのにな。

夕食の時間が始まった。
娘には躾をしっかりしないといけない。
夫と一緒に食事を食べられるように。
その時に夫が不機嫌にならないように必死に教える。
「子供とご飯を食べるのは箸を持てるようになってから」と言われている。
お茶碗を持って、お箸を持って。
嫌いなものも嫌な顔をせず食べる。
この世には食べたくても食べられない子がいる話もよく聞かせる。
私がそうだったからだ。

戦後間も無くして生まれた私は、当時普通といわれる生活をしていた。
学校へ行っても給食が安定して配給されないため、お弁当持参だったのだが持たせてもらえないことがよくあった。
昼休憩に家に帰って、水だけ飲んでお腹いっぱいと笑顔で教室に戻ることもよくあったのだ。
娘は食事のありがたさをわかってくれる子になるといいな。
ひとしきりマナーを教えながらの夕食を終え、遊ばせる。
夫は今日も残業だろう。
娘を寝かせると同時に息子も寝かせて私も夫が帰ってくるまで仮眠。

ガチャガチャ「おーい」
帰ってきた。
さぁ、第二ラウンドスタートだ。
夫の晩酌の準備。灰皿、お酒、おつまみ。
ご飯はあとだから、そこまでして息子のところへ。
食卓へ息子を連れて行くのは危険。
気分が悪いと怒るのよ。
泣かないでね、お願いだから。
そろそろ飲み終わるころだ。
お味噌汁とご飯を盛り付ける。
あとは、食べ散らかしてお風呂に入ってくれればいいのよ。

お風呂から出るとタバコを1本吸って
「寝るわ」
と一言。
急いで洗い物をして、夜の分の息子のミルクとおむつの用意をする。
外へ出る準備も忘れずに。

そしてなんとかして朝を迎える頃には
どうして私だけ…という気持ちでいっぱいになりながら
また夫の朝ごはんとお弁当の準備をする。

この生活はいつまで続くんだろう
身体が痛い
どうして私は…

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