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何だかんだ言って楽観的なんです

何とかなるさが合言葉

「まくとぅそーけー、なんくるないさ」
おや?最近見かけた言葉ですね。
そうです。「僕が怒っていること」で書いた沖縄の人を表すとされる、「なんくるさいさ」精神の本来の意味の言葉ですね。
僕は、この言葉が大好きです。
「正しいことをしていれば、必ず良いことが起きる!」
この気持ちで色々な場面を乗り越えてきました。学生時代のいじめのような扱い(本人が鈍感なため、はっきりと言い切れない)。勤めていた会社のブラックな勤務体制。そこから少し精神を壊しかけてからの離婚。様々な場面で、僕は「まくとぅそーけー、なんくるないさ」と唱え続けてきました。
実を言えば、そう考えないとやっていけなくなるくらい、良いように言えば責任感が強い人間、悪く言えば完璧主義者だったのです。
いや、自分を良く見せようとするのも嫌なので、はっきり言っておきましょう。もっと悪く言いば、誰かを頼れない人、誰かを信用できない人だったのです。
簡単な仕事から難しい仕事まで、すべてを請け負っては、心も体もボロボロになりながらやり遂げ、また新しい仕事を背負いこむ。負の連鎖にはまり込んでしまう典型的な人間でした。
更に、家庭を持ってからは、しんどさを見せまいと頑張っては元奥さんや、その家族の前では笑顔、一人になると考えこんでしまうの堂々巡り。挙句の果ては部分的な記憶喪失にまで陥り、出勤できなくなる始末でした。
改めて振り返ってみると、なんと嫌な人間でしょう。人を信頼できないことは、本当に辛いことですね。最終的に自分自身でさえ、信頼できない人間になってしまいそうでした。

人は必ず変われるのです!と声を大にして言いたい

あくまでも、僕自身の意見ですので、当てはまらないと思う人もいるでしょう。そんなこと、嘘っぱちだという人もいると思います。でも、僕はあえて言いたいのです。
「人は必ず変われます!」
年齢を重ねれば重ねるほど、性格は変わらないと言います。確かに、細かい部分は変わらないでしょう。これは僕も認めざるを得ません。習慣になってしまっていることは変えるのは難しいです。長年染みついたものですので、繰り返してしまいます、何度注意されても。こればかりは、相手が嫌がるのであれば、ひたすら謝るしかないでしょう。
しかし、大きな枠組みを変えることは簡単だと思います。あくまでも、僕の意見になりますが。
僕が人を頼れるようになったのは、京都にいる女友達の存在が大きかったと思います。
僕の7つくらい年下で、兄弟姉妹のいない僕には妹のような存在の人でした。何回かデートもしたし、勝手に恋心を持ったこともあったし、告白もしたし、振られたけれど友達でいてくれた不思議な存在の人です(情報過多ですね。申し訳ない!)。
彼女とはお互いの恋愛相談もしたし、時には励まし、時には励まされもしたものです。実は、彼女の前で一度だけ泣いてしまったことがあります。もう、何もかもが嫌で、どうしようもなくて、相談している最中に号泣してしまいます。その際に僕はこう言いました。
「誰にも迷惑かけたくない。君にもだ」
すると、彼女がスッと近寄ってきて抱きしめてきたのです。
「迷惑かけて何が悪いんですか。人間なんて迷惑かける存在でしょ。誰にも迷惑かけたくないっていうなら仕方ないけど、私になら迷惑かけてください。お兄ちゃんでしょ。迷惑かけていいんですよ」
今思えば、なんて男前な発言。その時、僕の中で憑き物が落ちたような気がしました。もうそこからは大号泣。涙がまったく止まりませんでした。
時間にして1時間くらいでしょうか。大号泣した後、居酒屋に飲みに行きました。僕のおごりで。彼女への感謝と、生まれ変わった自分に乾杯したくて。

まとめ

僕は今、人に頼る術を身に付けました。もっと早くに身に付けられていたら、僕の人生は変わっていたのでしょうか。
とにかく、僕は今現在、楽観的な性格になることができました。とは言え、責任を放棄する人間になったのではなく、「まくとぅそーけー」の精神を持った楽観主義です。「正しいことをする」のは、大事ですから。
それにプラスして、「迷惑はかけて良い」という考え方です。考えてみれば、迷惑をかけない人なんているはずもないですよね。職場で急な体調不良や身内の病気で、仕事に穴を開けることはきっとあるはずです。そんな時に、「迷惑かけやがって!」と激怒する人はいないでしょう・・・いや、いるかもしれないですが、表立って激怒する人はいないはずです。それはそれで、人間性を疑われてしまいますので。
社会は迷惑の上に成り立っていると思います。家族関係でも、友人関係でも、恋人関係でもそうでしょう。お互いに迷惑をかけあいつつも、支えあって生きているのです。
ふとした時に気持ちが落ち込んだら、そっとつぶやいてみてください。
「まくとぅそーけー、なんくるないさ」
ほんの少しでも気持ちが楽になったら、それは楽観的な人間への第一歩に違いありません。

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