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今一番大切な人

父が難病になりまして

始めに父が大病をしたのは4年前。僕がまだ京都に住んでいた頃のことでした。病名は肺がん。タバコも吸わない父がなぜ?と、母と共に愕然としたことを覚えています。
でも、ステージは1。早期発見で手術して根治が可能との話をしていただき、安心しつつも開いてみないと分からないとも言われました。播種の可能性もあったからです。
僕は仕事の都合上、京都に帰らざるを得ず、手術当日は仕事も手につかず、悶々としたままメールを待つ時間の長かったこと、長かったこと・・・。手術は無事成功。播種もなく、きれいに取り切ったとのこと。ホッとして涙ぐんでしまいました。
その大病から1年後、不意に転んでしまい大腿骨を骨折して入院。その際の診断で「パーキンソン病」が発覚します。まだ歩くことも可能でしたが、次第に嚥下の力も弱くなり、母一人では介護が難しくなったため、僕は沖縄に戻ることになります。
そして、その入院生活中に「アレキサンダー病」が発覚します。もともとは乳児期に発症し、痙攣や頭囲拡大、精神運動の発達の遅れを中心とした症状を引き起こすもので、10歳に満たずに亡くなってしまう生命予後の悪い病気とされていました。成人が発症すると、パーキンソン病に類似した症状がみられることもあるとのことです。僕の父に関しては、構音障害、嚥下障害、筋固縮などが当てはまります。日本では100人もいないと言われている病気ですので「なぜ自分が」という気持ちが父にはあるかもしれません。
そこから、父は闘病の日々です。病気に負けるかと必死に頑張っています。

肺炎を繰り返しながらも

最近では嚥下が難しくなってきたのか、以前までは少しなら飲めていた水も口にすることを許されない日々です。
そして、自分の唾でも誤嚥してしまうこともあり、何度か肺炎になりかけたり、軽度の肺炎を発症してしまう状況になっています。
昨日も急な発熱があり、応急処置としてカロナールを投与したものの、熱が高かったため一度では下がりきらず、夜中に再度投与して平熱に。ですが、本日午後から再び発熱したため、看護師に来てもらい、医師と相談して抗生剤の投与が始まっています。
それでも、我慢強かった父は「苦しい?」ときくと、手を振って「苦しくない」と伝えてきます。呼吸は浅く、顔も真っ赤になっているのにです。そんな姿を見ていると、頭が下がる思いしかありません。
今現在、抗生剤の投与で熱も落ち着き、呼吸も少し良くなってきました。酸素吸入は欠かせない状態ですが、それでもリハビリは頑張ってくれています。まだまだ未知の部分の多い病気のようなので、努力を続ければ何が起こるか分からないという、希望的観測を僕たち家族も持ちつつ。
とは言え、その努力がなかなか難しいのも実際のところです。冬は体が動かしづらいのか、1日中ベッドに横になる日も多くなってきました。
しかし、リハビリ担当の方に言われたのは、僕の父の力のこと。腕の力は強いので、リハビリを頑張れば、以前のようにとまではいかなくても、今よりは良くなるはずだと。ほんの少しでも希望があることは、介護をしている僕たちにとっても嬉しい話です。春に向かって暖かくなり、父のやる気が戻ってくることを日々、祈るばかりです。

まとめ

今、あなたにとって一番大事な人は誰ですか?と聞かれれば、僕は迷わず「父です」と答えます。まだまだ元気で、声は出せなくても辛さを家族には見せようとせず、頑張る気を見せている父。やせ我慢は、家族としては困りものですが、男性として見た時、僕はかっこいいなと感じています。
父は、昔から人一倍頑張る人でした。ある人に騙され、ただ働きをさせられた時も家族を養うために、昼働いた後、飲食店で夜遅くまで働く。そんな人でした。だから、僕は信じていたいのです。強い父親の姿がまた見られるように。
男の子は父を追い越そうと頑張ると聞きます。僕もその一人でしょう。僕はこんなに強い父の子どもとして生まれたことを嬉しく思っています。だから、僕は父が一番大切なのです。
頑張ろう、お父さん!僕ら家族は、あなたの強さを信じていますから。

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