21歳ADHD、働きたい

さあどうしたもんか、というところにいます。

 こういうのって一回目は大体何を書いたら良いか分からず迷走する。とりあえず自己紹介でもしよう、興味あるなしはともかくとして、読み物が好きな人は読んでみてほしい。
 スマホからなのでシフト改行ができず読みにくいと思うが慣れてほしい。
 (3/23:無事修正しました)


・鬱だと診断されたのは高校入学直前の冬、らしい。
 元が忘れっぽいのかADHDのせいか記憶改ざん癖のせいか、全部なのかは分からないがすっかり記憶になかった。代わりに母が覚えていたし、生意気にも年金申請しに初診証明を取りに行ったとき書いてあったのがそんなような時期だった、気がする。
 自分がおかしいのはずいぶん前から感じていた、小学生くらいのころから。
 構ってほしかったのか注目されたかったのか訳もない嘘をついたり、まあ家庭内でも歳の離れた姉が聡いおかげで揉め事が起きると私の発言は聞き入れてもらえず、単純に言えばどこに行っても信用がなかった。
という書き方をするとまるで可哀想な子供のようだがまるきりたたの自業自得である。


 コミュニケーション不足から能力が育たなかったために友達も作れず小学生時代は本当に友達ゼロ、不潔というわけではなかったと思うが明確に避けられたこともあったし、中学は愉快なオタクヤンキーに運良く巡り会えたので観察して人との接し方を学んだが、遅かった。
 私は卒業まで彼らの金魚の糞で、けれどオタクヤンキーという特殊極まりないポジションの金魚の糞など他に居場所があるわけもなくとにかくしがみついていた。そういえば今は何をしてるのだろうな。

 そんなこんなで義務教育はサボりまくった。行っても寝ていた。
 いなくても楽しく過ごすクラスメイトを見るのも、長時間拘束で興味のないことをひたすら暗記させられる空間、子供という圧倒的下位の立場にいる存在相手に好き勝手言う教師。思春期って自分にもあったんだなーと書いてて思うが、未だにあの空間というか施設、制度がひどく嫌いだ。テストの点数にバラつきがあると内申に響くなんて、個性を重んじ尊重しようと言い出しているのにまるで正反対のことをしているし。

 自分のことをただ怠け者なだけだと思っていた。いやそれは今も正直変わりなく、情緒不安定で飽き性な詐病ニートなのではと疑って自責することも多い。適当に済ませられるならそれに越したことはないし、動きたくないし、笑うのも怒るのも面倒くさい。
 楽しいことは好きだったが分かりやすく笑えているか自信がない、場の空気を乱したり水を差していないかがいつも気になっている。結果いまは過剰に笑う癖がついている。でもみんなそんなものだと思っていた、みんな何かでつらい思いをしてそこから学んでどうにか生きているって思っていた。
 けど、高校に入ったあたりから本格的に、無理になった。
 無理、というのは体を動かすことだ。通学も体育も移動教室も、優しく明るい友人に恵まれ精神面的な攻撃などひとつも受けていなかったのに一体なにが負担だったのか、まる一日の活動は体力的にも気力的にもひどくつらかった。


・そして心療内科デビュー

 母に相談し、ひどい情けなさと恥ずかしさを感じながらも心療内科に連れて行かれ、…転院の話まで入れたら長くなりそうだから端折ろう。いつか気が向いたら書くが、とにかく今はひどく信頼できる先生のもとにもう二、三年通っている。この数字も計算していない適当なものだがとにかく体感そのくらいだ。
 (※診察券を引っ張り出してきたら初診が5年前だった。眠くて気力がなかったということで許してほしい)

 まあ、当然…なんて言い方したくはないが高校は自主退学した。
 必修の体育を落としたあとの学校側の判断が厳しかったことに加えフルタイム活動ができないこと、カウンセラーはいなかったが中盤からは保健室登校で他の科目も単位取得が望めなかったこと。一年のとき好きだった数学と独学するほど興味のあった物理のあった理系、少しも興味を持てないが点がとれて就職しやすい文系の選択を、二年の春(たしか中間試験の前だ)に一度の希望提出で「最終決定になる」と決断を迫られ、ADHDの私は情けなくも呆然とした。
 これから難しくなる理数に絶対ついていけないかもしれない、でもやっぱり興味のないことをテストの紙切れのために長時間拘束され暗記させられるのは苦痛でより教室から遠ざかることは分かりきっていて、でも就職を考えたら文系に進むのが間違いなかったはずだった。けれど文系の就職先なんて一般事務しかないのではないか、自分は一生その仕事をするのだろうか。二年の春、進路相談室で求人誌をめくり続けた。

 毎日毎時考えて、逃げた。辞めた。疲れてしまった。周りも悩んだだろうに文理選択の希望をはやばやと淡々と提出していくのを見て、なぜ自分だけ妥協や覚悟や気合いというものがなく完璧に不満のない未来しか受け入れられないのだろうと、自己嫌悪が格段に増した。…多少時期や理由はぼかしたほうがいいかとも思ったが学生時代の友人は一人しか残っていないし、彼女も似た境遇なのでまあ問題ないだろう。
 しかしこれで本当にダメになった、期待に応えられなかったこと、受験合格にあんなに喜んでくれた親を失望させて「鬱なので寝込みます」なんて最低で最悪だと。全てに申し訳なかった。未遂も、あとはまあうっかり手が滑って市販薬を多めに誤飲してしまったことも多々。自分が憎くて足に刃物を何度も刺して憂さ晴らしをしたりもした、本当になんだ、あれだ。典型的な思春期メンヘラだったな。


・先月ようやくADHDの検査へ

 で、最近になってようやくADHDの検査をした。言語理解は驚愕の高点数、なんだこれ日本で一番頭がいいかもしれない。他の結果はズッタボロで健常者の平均をことごとく下回り、処理速度なんかは最低値らしい69点スレスレだった。ああ思い当たりすぎてせつねえ、典型的シングルタスクだしタスクが溜まると重要度で順位付けがまるでできないし声を出すと手が止まる。このあたりも追々書こう。
 そんなこんなで紆余曲折あったが私の希望でコンサータを飲み始め六日目、朝が来たら一週間か。併発している鬱(卵が先か鶏が先かみたいな話になっているのだが)でゆっくり療養なんて言っていられないくらいの焦燥感と抑鬱で毎日希死念慮に襲われている、無価値で有用でない自分は早く死ぬべき出来損ないなのだと強く感じているのだ。


・現在服用している薬
 コンサータ18mgと、バレリンを…とりあえず日に三度。頓服でワイパも出ているがもはや常服だし、朝と不眠時でエビリファイも追加になった。
 ただ錐体外路症状にすさまじいトラウマと嫌悪、拒絶反応があるので、少しでも確率の低いレキサルティに変更してもらえないか相談する予定だ。

 次の通院は火曜の予定だが、行けるなら正直明日行きたい。足も体力も金もなく突然「今日行きたい」などとは言えない立場だが、希死念慮が本当に、つらい。寝たきりなのに病院には行きたがるなんておかしな話である。

 ともかくこんな状態の成人が手帳をとって就活できるのか、いや今は働くなんて不可能に思えるし想像しただけで苦しくて吐きそうだが。世の健常者だって耐えて苦しみながらも労働に勤しんでいるのは重々承知しているから一人だけ楽などできないし、その労働の先の給料というもので人並みに楽しいことをしてみたい。遊びに行ったり、いや、最初の方は疲れてそんな感情死にかけているかもしれないけど、慣れてきたら。
 出来損ないを見捨てずいてくれる優しい親になんの恩も返せず幻滅ばかりさせているのに死んではいけない、という思いもある。
 とにかく手帳の申請をしなければ。入院を勧められてはいるが金がかかると断っていて、今の自分はどのくらい体を動かしていいのか、日光浴は部屋でもできるけれど散歩とか。


・目指すは独り立ち
 そういうわけで手帳をとってハロワに行くのが今の目標である。
 働きたい、と本心で強く思っているかと聞かれると微妙、半分半分。まあ誰だって働かずに金だけ十分にもらえれば越したことはないと思うものだろう、社会の枠組みにはまっていないと不安感があるとかいう問題は別として。
 それでも努力というものを、自分はまともにしたことがない。周りがなんと言ってくれても自己をそういう人間だと認識してしまっている現状を変えたいし、いつまでも実家に寄生していてはならない。21やぞ!


 前述の通りADHDなので言ってることがしっちゃかめっちゃかというか話が急に飛んでは脈略もなく戻って来たりしているかもしれない、主治医にも口ではなにも伝えられず黙ってしまうから前日意識がはっきりしているときに記録帳を簡素にまとめた手紙を渡しているくらいだ。きっと起きたら修正する、と、思う。
 (3/23 10:45 しました)
今後はその体調記録や薬の使用感、何となく人に言いにくい過去の話なんかを雑多に、余裕のあるときに書いていこうと思う。できれば起きてパソコンから。

では、こんなとこころまでお読みいただきありがとうございました。
タラコ

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