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令和阿房列車論~その7ヒマラヤ山系さん(2)

私の読書近況報告になりますけれども、『第三阿房列車』をようやく読み終えて『実歴阿房列車先生』を読み始めました。さすがに百閒先生の作品を読んだだけで『ヒマラヤ山系』を評価するのは一方的に偏った評価になってしまう危惧を感じたので、平山三郎先生の立場に立って読み始めた次第です。

これで、ヒマラヤ山系こと平山先生の側に立って、公平に平山先生のことを論じる土俵に入ることが出来ました。

まだ『実歴阿房列車先生』を約30ページほど読んだに過ぎませんけれども、昭和25年の秋に百閒先生の旅行(阿房列車)に同行の命を伝えられたくだりで、当時の百間先生は還暦を迎えていたのに対して平山先生はまだ30代であったことを知りました。

さらに過去へさかのぼることになりますが、平山先生が初めて百閒先生に会ったのが第二次世界大戦よりも前の昭和十年代の話になります。

百閒先生は、昭和九年に法政大学の教授職を辞任して昭和14年から日本郵船株式会社の嘱託になっているというくだりから、平山先生はまだ20代の青年だったことになります。いくら百閒先生のことを存じていた平山先生とはいえ、20代の青年が親ほどの年齢の百閒先生に仕事の依頼で伺うということは非常に緊張したに違いありません。

一方、百閒先生からすれば平山先生は『阿房列車』シリーズのくだりでも表現しているように、曖昧な人間と見えたのもわかるような気がします。

私は1980年代に流行った『新人類』という言葉を当てはめて考えると、初老の百閒先生から見れば平山先生は新人類の青年に見えていたのではないか?と思うのです。

注)タイトル画像の氷川丸ですが、「日本郵船」と検索したら出てきたので引用しています。

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