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観察

 えー、また木下亮二君の話なんですけどね。なんで彼のことばっか取り上げるかってぇと、あたくし、人間観察が趣味なんです。前にも申しました通り、これは元手が掛からなくてね、いいんです。で、亮二君を観察している訳なんですけれども、面白いんですよ、これがまた。ひとのこと面白いなんてっちゃいけないんですけどね、面白いんだからしょうがない。
 亮二君の見た目はですね、背が高いです。外国へ行っても、なんだ、ジャップの癖して背が高えじゃねえか、って云われると思います。そうですね、一八〇センチくらいあります。ちっとばかし足りないんですが、それも数ミリ程度。靴履いたら、靴底の厚みで一八〇超えます。
 で、手足が長いんです。これも日本人では珍しいですね。たいてい背が高くても、手足は欧米人並みとはいきません。亮二君は外国へ行ったことはないんですけどね、行ったらきっと、なんだこいつ、背は高えし足も長えからニッポン人じゃねえな、あいつら足短えから、って思われるでしょうな。だから海外に行って認識を改めてやって慾しいもんです。日本人だって背の高い奴も居れば足の長い奴だって居るんだよ、馬鹿野郎って。
 そんだけ背が高いのに、体重はそうないんです。五十キロちょっと。五十二、三キロくらいでしょうかね。細いんです。もう、ガリガリ。ガリガリっていっても、何故かみっともなく見えないんですね、不思議なことに。動作がきびきびしているからでしょうか。痩せ細っててね、へろへろくにゃくにゃ動いてたら、蛸か烏賊かと思っちゃいます。どっちかってぇと烏賊ですね。色が白いんで。
 顔立ちはって云うとですね、まあ、良い方なんじゃないですか。すーっとしてましてね、線で描いたような。鼻筋も通っていますし、目は奥二重なんですけど、日本人には珍しく目蓋の脂肪が薄くて、割と大きな目をしている。切れ長で。顔の輪郭は、そうですね、細面です。要するに、東洋人らしい顔をしてんです。
 まあ所謂、醤油顔と謂うんですか? 今はそう云わない? 塩顔? 調味料で喩えるんですねぇ、最近は。まあ亮二君は西洋的な顔立ちではないので、それで合っていると思います。
 このひと観察してて面白いのはですね、子供みたいなところがあるんですよ。動物が好きでして、こう、道を歩いてて猫や犬なんかを見掛けると、傍ぁ寄ってくんです。向こうも危害を加えないのが判ってんでしょうね。犬でも猫でもじっと待ってる。
 で、話し掛けんですよ、普通に。「おう、どうした」って感じで。そんなこと云ったって返事なんかしませんよ、獣なんですから。返事がなくても話を続けるんです。自分の云ったことが通じてるような気になってんでしょうね。そんな気持ちンなって、話し込んじゃう。ないですよ、これ。大人では特に。
 まあ、人間にも獣にも気さくなんです。愛情深いんでしょうね。そう、愛情深いんですよ。
 しつこいようですが、彼は愛妻家なんです。もう、三度の飯より女房が好き。って云いましてもね、このひと、あんまし食べることに興味がないんです。だから三度の飯を引き合いに出すと、たいていそれより好きってことになっちゃう。三度の飯よりギターが好き、三度の飯より猫が好き、読書が好きってな具合で。
 亮二君は背が高いんですけど、彼の奥さんは小さいんです。小さいっつっても、豆粒ほど小さい訳じゃないですよ。そんな小さかったら見つけんのに大変ですし、なくしちゃうから小瓶にでも入れとかなきゃなんない。小柄なんです。亮二君より頭ひとつ分小さい。そんでもって、彼と同じくらい痩せてる。
 か弱い感じがするから可愛いんでしょうね。もう、可愛いーって。可愛くてしょうがないもんだから、いっつも後ろから抱き締めてんの。なんで後ろからなのかってーと、前から抱き締めると奥さんの顔が胸に埋まっちゃうんですよ。ぎゅーってやったら、窒息死しちゃう。で、後ろから抱いてんです。死んじゃったら元も子もないですからね。
 後ろから抱いてて面白いのか、って思われるでしょうけど、亮二君はそれで満足してるんです。いっつもそうしてる。手が空いてる時だけですよ。彼も忙しい身ですからね。趣味はあるし、ちゃんと会社に勤めてた。でも、なんにもしてない時は、かみさんの後ろに居るんです。背後霊みたいですね。
 奥さんの方もそれに慣れちゃって、後ろに旦那が居ないと淋しかったりするんですね。習慣って恐ろしいもんです。
 立ってても座ってても後ろから抱き竦めてて、さすがにそんだけじゃねえ。ってーか、亮二君はキス魔なんです。かみさんにだけ。白面の状態で誰彼構わずしちゃったら、これは色魔です。キス魔じゃない。
 もうね、ことあるごとにするんです。やっぱりね、可愛くてしょうがないから。後ろから抱いてて、ほっぺにチュッとかね。そんなことされたら奥さんも振り向きます。振り向いたら唇が射程内に入ります。なんか狩人みたいですね。愛の狩人。って、なに云ってんですかね。
 キスは呆れるほどしますけど、それ以上のことはあんまりしないんです。なんてーか、淡白なんですね。非常に。そこまで気持ちが盛り上がらないようで。盛り上がんないっつーか、そこで満足してんでしょうね。ギュッて抱き締めて、チュッてやっても、押し仆したりしないの。
 若い頃から淡白でしてね、彼が熱心に、熱心っていうのもおかしな表現ですけれども、まあ、熱心に励んだのは、子供を作ろうとした時だけでした。子供が好きでしてね、近所の子供なんかとよく遊ぶんですよ。子供の方も、こいつぁ自分たちと程度が同じだって判るんでしょうね。
 子供が慾しくてやるんですから、無闇矢鱈としたってしょうがない。時期ってもんがありますからね。あれもね、カレンダー見てそろそろかっつってやるのは義務みたいで、味気ないもんですよ。でも子供が慾しかったから亮二君も頑張りました。ほんとに頑張るって感じで、自分の息子に「頑張れー」って。声掛けやしませんけどね。気持ちとして。「頑張れー」って。
 頑張った甲斐あって、子供は出来たんです。出来たんですけどね、駄目だったんです。流れちゃった。四回も。
 一回目で亮二君は恋女房が気の毒になって、「子供は要らない」って云ったんですよ。そんでも奥さんは彼が子供好きなことを知ってますんでね、首を縦に振らなかった。彼女の方はそれほど子供好きじゃなかったんですけどね、亮二君の子供ならきっと可愛がれるだろうって思ってたんです。でも、駄目だった。
 ふたりとも割合あっさりした性格だったんで、もう駄目だって思ったら諦めるんです。亮二君なんか一回で諦めましたからね。ちょっと諦めが早いような気もしますけど、かみさんのことを思ってのことですから。自分でどうにか出来ることはとことんやる方です。
 とことんやり過ぎて仆れたこともあるんです。限界ってもんを知らないんでしょうかね。インフルエンザで舞台に立ってぶっ仆れたり、仕事やり過ぎて仆れたり。真面目なのはいいですけど、そのたんびに奥さんが心配するんです。好きだったら心配掛けちゃいけません。
 どうも彼は自分のことがよく判っていないようで、そこら辺りが子供っぽく見えるんでしょうね。大人はいろいろ経験して、自分のことはある程度把握してるもんです。彼も経験はいろいろしてるんですが、どうもそれが身についていないようなんですね。
 ただね、馬鹿じゃないからそれなりにやって行けてるんです。馬鹿に見えるんですけどね、頭は良いんです。一応、断っときますけど。
 亮二君は子供が好きなんですけど、就職してひとり暮らしするまではそんなこと判んなかった。親元に居た時は自分が子供ですからね。近所の子供の相手なんかしなかったし、親戚ン中でも彼が一番若かったんです。その時は。小さい頃の友達も、同級生か年上の子ばっかだったんです。
 学校行って、後輩が出来ても、自分とそんなに変わらない。幼くって守ってあげなきゃいけないと思うような「お友達」が出来たのは、大学を卒業してからなんです。それまで守ってやんなきゃ、って思ったのは、連れ合いの清世さんだけでした。
 子供が大好きで、それは端から見ても判りすぎるほどで、そりゃ、自分の子供が慾しかったでしょう。昔だったら養子を取ったかも知れませんが、近頃はそういうのはあまりないですからね。
 昔はよくありましたよ、子供が出来ないから養子を取るってのは。日本は他人の子を貰うってのはあんまりしなくって、兄弟の末っ子とかね、娘を譲ってもらうんです。その頃の日本の社会では長男しか価値がなかったんです。女なんか、価値もへったくれもない。出てっちゃうんですから。
 子供が好きでも養子を取る気にならなかったのは、かみさんの子供が慾しかったからなんです。もうね、自分の種じゃなくていい、どっかで作ってきてくんねえかなあ、って思ったこともあった。だからって女房に「おまえ、他所で子供こさえて来いよ」なんて云いやしませんけどね。でも、それくらい慾しかった。
 それをあっさり諦めたのは、かみさんが大切だったからなんです。流産するたんびにおいおい泣いて悲しむ姿を見たくなかったんですね。嘆いてる彼女を見るのは、子供が出来ないことより辛い。それで諦めたんです。子供なんていづれは旅立って行きますからね。いつまでも親の傍に居てくれないし、居たら居たで心労の種になります。
 ですからね、子供が出来ないからって嫁を追い出すなんてえことはしない方がいいですよ。家名を重んじるような家柄でもないんでしょう? だったら今、傍に居る奥さんを愛してあげましょうよ。年喰って頼りになるのは何処の誰でもなく、連れ合いなんです。そこんとこををよっく考えて下さい。

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