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生活の糧

 ライブという言葉をご存じない方はあまりいらっしゃらないと思います。点々を取るとライフ、生活、人生といった意味になりますね。どちらも英語です。
 で、ライブというのは生のことです。テレビを見ると、NHKなんかはたぶん今でも生中継と書いてあると思いますが、民放では画面の端っこにライブと書いてある。実況中継していますよ、って意味ですね。記者会見とか国会中継とか。国会の場合、中継とあるのに録画のことがあるんですよね。意味が判りません。
 以前、ライブと云えば、ロックやポップスのコンサートのことを指しました。クラシックのコンサートをライブと云うことは、先づありません。ロックやポップスのライブを夜やるからといって、何それの夕べとは云いませんよね。クラシックの場合は演奏会とも云います。
 チラシを見れば判ります。ライブとかイベントと書いてあります。このチラシっていうのも、フライヤーって云うようになりましたね。こういうものはライブハウスや楽器屋、カフェーなんかに置いてあります。
 最近はお笑いの舞台のことまでライブって云いますね。なんだか変な感じがします。漫才やコントをやったりするのはそれでいいかも知れませんが、落語の高座をライブと云っちゃいけないような気がします。噺家だって厭がると思いますよ。
「今日、落語のライブを見てきたのよ」なんつって、おりゃライブなんか演ってねえよ、って思われます。横文字は軽く感じられますからね。これは日本だけの話ですよ。外国では横文字が普通なんですから。
 今時の方は横文字って云っても判らないでしょうか。外国語のことですね。昔は日本語は縦に書いたもんです。文字も縦に書くように出来ています。縦でも横でも右から左へ書いたんですね。そうすっと墨が手につくんで、筆は立てて持ちました。手は紙につけません。
 子供に書道を習わせることが少なくなりましたけど、筆の持ち方は覚えておいた方がいいです。持ち方というのは結構重要です。鉛筆でもおかしな風に持っていると、書き難そうだな、このひと、もしかして頭悪いのかな、って思っちゃいます。
 で、ライブのことに戻るんですが、先日お話しした木下亮二君。彼はバンドをやっているんですが、そういうことをやっているとライブを演ります。最初は街頭で演奏しておりました。そこならただで演れますからね。素人がライブハウスで演ろうとすると、金が掛かるんです。
 道端で演るにしても、警察に許可を取ったりしなけりゃならないんですけど、そんな面倒くさいことはしませんでした。勝手に演っていたんです。本人はゲリラライブなんて云っていましたけど、違法です。捕まります。捕まらないにしても、注意はされます。
 抜け目なく規制の緩い処でやっていましたがね。パトカーが通りかかっても、向こうも面倒くさいんで、「ああ、若い奴がなんかやってるよ」くらいで済まされていました。高校生だったもんで。
 そんでもって、この街頭ライブを大学に入ってからも続けておりました。
 ライブハウスに出るようになったのは、大学に入学した年の夏休みも終わりの頃。前座が来ないってぇから、おまえら代わりに出てくれよつって、軽音部の先輩から云われたんです。部活の先輩なんてぇのは教師くらい尊重しなけりゃなりませんからね、逆らえない。
 逆らうも何も、彼、いや、彼らですね。三人でやっていますから。彼らにとっては僥倖以外の何ものでもありません。頼んででも出たいんですから。いきなりですからチケットも捌かなくていい。その前に先輩のチケットを捌いていましたけど。ペーペーだとなんでもやらされるんです。お茶出したり肩揉んだり。
 結果から申しますと、このライブは散々でした。最初の方は、観客が三人しかおりませんでした。演る方も三人、観る方も三人。割当てがひとりにつきひとり。マン・ツー・マンです。
 亮二君は気が短いので、最初っからむかっ腹を立てていました。ちらほらと客が入ってきたら、ありがたく思うどころか、あとからのこのこ来やがって、この野郎、と思いました。で、それをそのまま唄ったんです。「てめえら遅すぎるんだよ、馬鹿野郎」って。
 大概失礼な男ですね。
 腹を立てたまま演奏を終えて、コミックバンドみたいな歌詞で唄ったもんですから、楽屋に居た先輩が大笑いしてたんですよ。腹ぁ立ててるもんですから、その先輩にも喰って掛かっちゃった。慌てて他のふたりが取りなして、店の外に彼を連れて行ったんです。
 そこで知り合ったのが、今のかみさんなんですね。例の、好きで好きでしょうがない奥さんです。
 可愛い娘さんでしてね、彼よりみっつ年上なんですけど。そうは見えないもんだから、てっきり年下だと思ったんです。自分がまだ十八才だってことを理解していなかったんでしょうかね。その年だったら、ライブハウスに来るような人間は大抵が年上なんですけどね。不良じゃない限り。
 そんで、かみさん、その時はまだかみさんじゃないですね。紹介された娘さんは小高清世といいました。紹介した彼女の幼なじみが「キヨセ」と呼んだので、彼は苗字だと思ったんです。どっちでもあり得る名前ですからね。
 で、年を聞いて吃驚しちまった。彼は年上の女性があまり好きではなかったんです。世話を焼いてきたり、お姉さんぶったことをされると、居心地が悪く感じるらしいんです。子供の頃からひとに甘えたりしなかったもんですから。
 その反動なんでしょうかね、年喰ったらてめえの女房に甘えてやんの。本人は甘えてるつもりはないんですけどね、端から見ると甘えているように思える。ごろにゃーんって甘えてる。亮二君は猫が好きなんですけど、彼自身はどっちかってぇと犬っぽいです。犬も好きなんですがね。
 猫ってのは、すぐには打ち解けない動物なんですけど、彼は割合すぐに打ち解ける。気さくでひと懐っこいんです。そこら辺りが犬っぽいんですね。猫みたいに気位が高くて気紛れでもない。本人も、自分にはプライドなんかない、と云います。自尊心くらいあった方がいいと思いますけどね。
 自尊心もなけりゃ、自意識もない。あるのは自賠責保険くらいです。
 彼も若い頃は清世さんに甘えたりしませんでした。年喰って甘えるようになったのは、目が見えないからでしょう。
 そうなんです。亮二君は年喰ったら失明しちゃったんです。ひとが聞いたら、なんてお気の毒な、奥さんも大変ね、って思うでしょうが、本人はそんなに気にしてないんです。なっちまったもんはしょうがねえ、って思う性質なんです。かみさんも大変だとは思っていない。出来た奥さんなんです。
 甘えるっていっても、ねえ、あれしてこれしてってんじゃなくて、前よりいっそう傍に居たがるようになっただけのことなんですけどね。もともと膠でくっつけたみたいに張りついていましたから、そう変化はないんですよ。
 自分で出来ないことが増えたんで、どうしても甘える形になる。これは仕方がないです。奥さんもそうして彼のことを構うのが楽しいんです。ずっと自分が支えてもらっていましたからね。お返しってんじゃないですけど、何かしてあげるのが嬉しいんですよ。
 亭主が不具になったりすると、見切りをつけて次のを探すひとが多いらしいですけどね、不人情な話ですよ。それまで養ってもらって、あれこれやってくれた旦那を、もう使えねえから要らないって棄てちゃうのはね。どうかと思います。
 まあ、次が見つかるうちはそれでいいんですけどね、自分も年喰ってたらそうはいかない。で、体が云うこと利かなくなった亭主から、慰謝料ふんだくるんです。鬼の所行ですよ、これは。だって、向こうも金が掛かるんですよ、普通のひとより。
 だったらあんた、自分の奥さんがどっか不自由になったらどうすんの、どんだけ大変か判ってんの、とね、キーって怒ってきます。あたしゃ心優しい訳じゃありませんけどね、てめえのかみさんのことは死ぬまで面倒見ますよ。それが夫婦ってもんじゃないですか。
 思ってたのと違うから返品するわって、クーリングオフですか。人間は商品じゃねえってんですよ。ひとでも動物でも、世話した以上、最後まで面倒見なけりゃいけません。死ぬまで健康でいられるひとは、そうそう居ないんです。それが厭だったらとっかえひっかえするか、結婚なんかしなけりゃいいんですよ。
 亮二君は徐々に見えなくなっていったんですが、完全な盲目、要するに全盲になったら、清世さんとは別れるつもりでいたんです。そんな状態になったら自分は相手に負担しか掛けない、それでは申し訳ない、と思ったんですね。優しい考えのように思えますけど、自分勝手でもあります。
 実際、彼のかみさんは、別れようなどとは思いませんでしたし、彼女を気遣ってずっと目のことを隠していた彼に申し訳ないやら情けないやらで、そのことを知った時には泣き崩れました。泣いて見えるようになるなら、この時の涙で亮二君は千里眼になったことでしょう。
 愛情ってのはこんなもんなんです。自分を差し置いて相手のことを思う。損得なんか考えない。亮二君も年少の友人に、「見返りを求めないですることを愛情って云うんだよ」と、教え諭しました。この時はもう爺いになっていましたんでね、これくらいのことは云います。相手は孤児で、ちょっと世を拗ねていたんですね。
 世間のことを顧みないで溺れる感情が愛なんですよ。


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