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アタゴオル通信

とびだしあつまる『どうぶつの森』に翻弄される日々を綴ったものです。

アタゴオル通信、8。

 足が痛いので殆どベッドの上でダラダラしている。  そこで『とびだせどうぶつの森』をやる率が増えた。近況に書いたように画面が片目を瞑らないとまともに見えないので、結構しんどい。しかし、他にやることがないのだ。  家にある本はすべて読んだものばかりだし、酷い(?)ものになると十回以上読み返している。実家にあるものを持って来たいのだが、まだ在るか如何かも判らず、ゆくことも出来ない。  細かい活字を追うのはほぼ諦めた。ものが二重に見えるのは、病気でなければ年齢と謂うよりストレスから

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アタゴオル通信、7。

 君はゲームをしていないのか。  しています。ただ、Switchは手放しました。前にも云ったかな?  わたしがやっているゲームと謂えば『とびだせどうぶつの森』か、スマホのジグソーパズルくらいのものである。このジグソーパズル、本当にそのまま。机に広げないだけで、やっていることは同じ。金銭的に加算されるポイントもない。  でも、楽しい。だから毎日やる。  しかし、絵柄に偏った好みがあるのだ。兎に角わたしは、喰い物の画像が好きで、己れで調理する訳でもないのに料理本をしこたま買い、そ

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アタゴオル通信、6。

 昨年の十一月、不用意に見知らぬひとと接触し、電話で会話しただけなのに翌日からいきなり、鬱になった。  自分でも訳が判らず、対処のしようもなかった。そして、それまで熱中していた「どうぶつの森」が、出来なくなってしまった。  このゲームのシステムは、現実に則して時間が進む。その上、毎日やらないと、ペナルティが課せられる。ペナルティと謂っても、雑草が増えたりゴキブリが発生する程度のものだ。  しかしわたしは、半年近くも手を着けずにいたのだ。  もう一切、手をつけないでおこう、と、

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アタゴオル通信、5。

 割と滞っている「どうぶつの森」である。  五人も操作しているのだから無理もない。いっそのこと、「とび森」ひとり、「あつ森」ひとりに縮小しようかと思うのだが、やり込んでいるだけに忍びない。消してしまうのは、まるで子供を何処かへ捨ててしまうような気がするのだ。  発展途上のあつ森の方を進めて行きたいと思うのだが、とび森の四人も蔑ろに出来ない。なので、ひとりひとりを少しづつでも進めていく。  基本的に二頭身のキャラクターが好きではないのだ。しかし手に掛けた以上、無碍には出来ない。

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雑記枠

まあ、適当なことを書き綴ったものであります。

因果応報。

 これまで拙いなりにも書いてきた文章には、わたしが少ないなりに体験したことが反映されている。ただ、経験が未熟なあまり、想像の中で創り上げることが多い。  喩えばわたしは中学校しか出ていない。高等学校、大学校のことなど、まったくの想像の世界である。躁鬱病や処方薬過剰摂取などのエピソードは実体験を元にしたが、そのままを移した訳ではない。友人などひとりも居ないので、死に目に遭遇したこともない。  それなのに、仮想の世界が現実に迫ってくるかの如く、我が身に降り掛かってくるようになっ

近況。

 五月の初めに、と或る理由で入院することになった。原因はお粗末すぎて記したくないが、要するに転倒して膝の皿を割ったのだ。膝の皿は膝蓋骨と謂う。そんなことは如何でもいい。  ごたごたしたことがあったものの、無事に手術をし、退院することが出来た。  帰宅したが、ひと月半も会わずにいた猫は完全に心を閉ざし、最初は歓迎してくれていたのに些細なことが切っ掛けで攻撃をしてき、わたしは顔を庇うのがやっとの有様であった。  引っ掻かれ、噛みつかれた左腕は、いまだに腫れ上がっている。  元々不

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一月七日。

 今日は七日なのか。  これ、面白いな。なのかなのか。  そんなことは如何でもよく、実家に居た頃(何十年も前だ)は、七日には必ず七草粥を振舞って貰っていた。調理が嫌いな母も、何故かおせちと七草粥は欠かさなかったのだ。  わたしの地元の雑煮は名古屋風(出元が名古屋)で、餅菜と四角い普通の餅と、かつ節だけであった。餅は焼かずに茹でていたように思う。此の中に入れる「もち菜」。他所にはないらしい。名古屋でも、もう限られた生産者しか居らず、あまり流通していないのだそうな。  淋しいこと

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一月四日。

 リハビリ中である。八ヶ月もの間鬱に悩まされ、世間で云うところの「引き篭もり」状態であった。こんなに長い鬱は初めてだ。大抵は三ヶ月周期くらいなのである。  辛かった。鬱期間の殆どを花粉症と猛暑に悩まされた。それが此の数日で、急に緩和されつつあるのだ。真冬なのに。鬱病は日照時間と緊密な関係にある。現に北緯の国では白夜などがあり、その時期には特に自殺者が増えるらしい。  わたしは診断書では『鬱病』とされているが、厳密に謂えば『躁鬱病』である。処方される薬もそれに準じている。ただ、

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亮二枠

ナナシというバンドをやっている木下亮二と、その周辺のエピソードを纏めました。

猫日誌 其の壱拾弐

 猫が増えるのも三姉妹で打ち止めになったようだ。金魚を飼い、兎も家族に加わった。これ以上、老人に世話をすることは無理であろう。此方が先にくたばってしまう。動物を残して死ぬのは忍びない。あとを頼む者は居るには居るが、それも無責任な気がする。  妻もそれで満足しているようである。彼女は趣味と謂ったら写真を撮ることくらいで、それも昔と違ってフィルムではなく、プリントすることも殆どない。従って、金もあまり掛からない。どちらかと云うと、わたしの方が趣味に金を掛けていた。  音楽活動をし

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猫日誌 其の壱拾壱

 定年退職して半年も経たないうちに、完全なる盲目となった。既に殆ど見えていなかったので、却って清々した気分だった。薄ぼんやり光が見えるのは、未練がましくていいものではない。  目が見えないと謂ってもこの年で点字を覚えるのはちょっと無理で、本などは妻に読んでもらっている。閑さえあれば活字を読んでいたので、こればかりは辛かった。文字と謂うのは至るところにある。商品に文字が記されていない、と謂うことは、先づない。  食品でも衣料品でも煙草でも、必ず文字が記載されている。その煙草は長

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一輪の花

 あたくしは木下亮二君を観察しているんですけどね、彼の傍にはいつでも清世さんが居る。清世さんというのは亮二君の連れ合いなんですけれども、たいてい傍に居る。まあ、一緒に住んでいるんで、当たり前っちゃ、当たり前なんですけど。いつ見ても一緒に居るんです。  彼女は亮二君よりみっつ年上なんですけど、とてもそんな風には見えない。下手すると彼の妹に見える。小柄で可愛らしい顔立ちをしてるからでしょうかね。亮二君にとても丁寧なんです。言葉遣いも態度も。姉さんぶったことはしないんです。そこが気

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美穂の乱心

 木下家のドアチャイムが鳴った。それも、厭がらせのように乱打されている。慌てて清世が応対に出た。開けた扉の向こうには、棠野の娘の美穂が立っていた。いきりたつように、まるで背面から炎の幻影でも見えそうなほどの剣幕である。  彼女は無言で清世を押しやり、家内へ上がり込んだ。  居間へずかずかと這入った彼女は、ソファーで寛ぐ当家の主人、亮二を見るや否や、 「リョウ先生の馬鹿!」  と怒鳴りつけた。 「なんだ、美穂か。いきなり馬鹿とは何事だ」 「聞いたよ、目が見えなくなったって」 「

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その他枠

創作系の、シリーズではないものを纏めました。

なんとか、

 生きています。  亮二の「猫日誌」をアップしようにも、前のブログから続きが探し出せない。自分でも不思議で仕方がない。順番に、事細かに探ってゆけば見出せる筈なのに。  それが出来ないのがポンコツである証なのですね。因みに『猫日誌』は12まであります。  何も記すことがないので随分ご無沙汰しましたが、そう謂うひとは多いのではなかろうか。わたしは特にそうでありますけど、何方でもそうなのではないのでしょうか。  取り立てて他人に報告することなど、毎日の日常でそんなにありますか?  

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春よはるよ

 ぼくの同居人は秋出春世といった。「あきいではるよ」と読む。秋で春の世というのは、なんとも本人の捻くれた性格通りの名前だ、とつくづく思う。今はぼくと同じ沼里姓なのだが。  言葉遣いは乱暴だけれども、面倒見のいいおひと好しの男で、可愛いかわいい彼女が居る二十三才の青年だ。身長一六〇センチ、体重四十七キロ。伸ばした髪が揃っていないのは、自分で切っている所為である。因みに靴のサイズは二十四センチだ。  はっきり云って、男としては小さい。が、態度はでかい。同じ年なのだが、ぼくの方が数

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沼神

 村の外れにある、あばら屋同然の茅葺き屋根の家に、その老爺が住むようになったのはいつからだったであろう。誰も覚えていなかった。ふらりとやって来て、そこへ住み着いた、といった印象しかなかった。ただ、金に困るようなことはないらしく、町へ出掛けることもなく、村人たちは剣呑がって、そこへは決して近づこうとはしなかった。老爺を余所者と避けるというよりは、彼が住む家の近くにある水松色の、どんより濁った沼が恐ろしかったのである。  老爺の名は川津といった。  沼へ向かう道には、古いちいさな

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ともだち

 ずっと昔、とても親しくしていた子が訪ねてきた。  彼はまるで、昨日会ったかのように、 「やあ」  と、声を掛けてきた。その子は昔のままだった。顔一面に薄く灰色の産毛が生えて、吊りあがった大きな目を瞬くと、カメラのシャッターが切れるような音が幽かに聞こえる。  久しぶりだねえ、と云うぼくに、「なんで? 二日会わなかっただけじゃん」と、彼は不思議そうな顔をした。 「そんな訳ないだろ、あの市営住宅から引っ越して以来、会ってないよ」  その子はふふふと嗤って、 「なに、変なコト云っ

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ハルミと武田枠

幼なじみのハルミと武田、そのふたりと親しくする川上麻衣子の物語り。

ひとりのひとつ

 職場の後輩である武田宏治君は、非常に真面目で勤勉で、見た目も宜しく、非の打ちどころがない青年である。敢えて非を挙げるのならば、まだ若いので収入がさほどでもなく、同居人が居ることであろうか。  その同居人は女性ではなく、つまりは男性で、だからと謂って彼は同性愛者ではなく、寧ろ保護者的立場で共に暮らしているのである。このような献身的態度を示せる二十代の男を、普通に行動していてなんの努力もせずに見出せると思っているのならば、それは夢見がちにもほどがあるし、愚の骨頂と云っても間違い

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ふたりでひとつ

 新入社員も、半年もすれば仕事を或る程度覚え、ひとりであれこれ熟すようになる。わたしが世話をしていた武田宏治君も、もともと頭がいいので仕事の覚えも早く、あっさりわたしの手から離れていった。  とは謂えそれは仕事上の話で、つき合いは続いている。つき合いと謂っても、男女の関係ではない。友人と呼べるのかどうか判らないが、取り敢えず親しくはしている。親しくしているのは武田君本人だけでなく、彼の同居人ともであるのが、我ながらよく判らないところだ。  武田君の同居人は森川春洋といい、男で

ふたりとひとり

 会社の後輩である武田宏治、二十三才。  見た目良し、学歴良し、性格良し。非の打ちどころがない。しかし、既に相手が居る。そこを非と云っては、世間に申し訳が立たないだろう。ひとり者の僻みと取られかねない。  やっかんでいる訳ではないのだ。何故ならやっかみようがない。相手と云っても恋人ではなく、男の友人だからである。まあ、同居はしているのだが。  しかもわたしは、武田君と個人的にも親しくしている。彼と、と云うよりは、彼の同居人と、と云った方が正しい。  その同居人は武田君より容姿

気になるふたり

 わたしはそこそこ世間に認知されているブランドを擁するアパレル会社の、事業開発部に所属している。  事業開発部とは何かと問われれば、商品を企画し、それをデザインするプライドだけは高く才能はぼちぼちと謂ったデザイナーとの折衝、提出されたものを商業ラインへ持っていけるように算段し、それに迎合する予算でデザイナーを説得し、宥める、賺す、煽てる、等々。  要するに、アイデアを商品化するまでの雑事をすべて請け負い、企業の利益の為に知恵を絞り、損益を出さぬように奔走する便利屋みたいなもの

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