見出し画像

ロシア連邦憲法前文が不気味すぎた件

ロシアがウクライナに侵攻。

つい1週間ほど前か、この言葉はあまり驚きなく私の頭の中に入ってきた。なぜだろう、おそらく2014年のロシアによるクリミア併合のことをなんとなく覚えていたからであろうか。ロシアがウクライナに宣戦布告をして、ウクライナの各地を攻撃しはじめた。テレビを普段見ない私はテレビが大々的に報じていたことも知らなかったが、Twitterのタイムラインでその事の重大さに気づいた。

宣戦布告から24時間以内にはウクライナ人の友達はもちろんロシア人の友達にも連絡をとっていた。そこでロシア人はプーチン大統領のウクライナ侵攻について何も知らなかっただけでなく、想定もしていなかったということがわかった。おそらく大半のロシア人にとっても青天の霹靂だったのであろう。

そんなことがあっていいのか、大統領はーいくら集権化した大統領職であってもー憲法に縛られるべきではないか、とふと思った。以前読もうと思って持っていた世界憲法集という本が部屋にあるのに気づき、ロシアの憲法も載っているのかなと軽い気持ちでみたところ載っていたのである。

ロシア連邦憲法前文

われわれロシア連邦の多民族からなる人民は、
我が国における共通の運命に結ばれ、
人権と自由、市民の平和と合意を確信し、
歴史的に形成された国家の統一を護り、
諸民族の同権と自決の普遍的原則に基づき、
祖国への愛と尊厳、善と公正への信頼をわれわれに伝えた先祖を偲び、
主権国家としてのロシアを復興するとともに、その民主的原則の揺るぎなさを確立し、
ロシアの幸福と繁栄の保証を目指し、
現在と未来の世代を前に、祖国への責任に基づき、
自らを世界の共同体の一員と自覚し、
ここにロシア連邦憲法を採択する。

このようにロシア連邦憲法前文は他の国の憲法と見比べても遜色ない大義名分が綴られており、大国ロシアをまとめ上げるのに十分な力量があるのではないかと思わせる内容である。

早速であるが、憲法前文の内容を見ていく。

1.われわれロシア連邦の多民族からなる人民は、
2.我が国における共通の運命に結ばれ、

まず気になった(というか不気味に感じた)のはこの部分で、多民族からなる人民は我が国における共通の運命に結ばれている、と言っている部分である。共通の運命とはどういう運命なのだろうか、今だからこれが不吉に感じるだけなのか。それとも何らかの解釈の余地を残してこの言葉を選んだのだろうか。それとも翻訳が少し影響しているのだろうか。もし権力者がこの共通の運命というものを都合よく解釈するのだとしたら、ウクライナ人もこの憲法前文の言う多民族に含まれているのだろうか、彼らの解釈では少なくとも親ロシア派と言われるウクライナ人たちはここに含まれているのだろう。

3.人権と自由、市民の平和と合意を確信し、

ここなんて今の状況を見る限り、全無視。兵士への人権も考慮していないように見えるし、市民のデモをする自由もない。平和なんてありやしない。

4.歴史的に形成された国家の統一を護り、

歴史的に形成された国家か....まぁ歴史的といえば歴史的なのか。。。

5.諸民族の同権と自決の普遍的原則に基づき、

諸民族の同権は見たところ、少数民族に対してなどないし、自決とは国民の自決ではなく、大統領の自決ということであろうか。曖昧だな。

6.祖国への愛と尊厳、善と公正への信頼をわれわれに伝えた先祖を偲び、

綺麗事を並べるのも良い加減に弁えてほしいですね。

7.主権国家としてのロシアを復興するとともに、その民主的原則の揺るぎなさを確立し、

一応選挙してるけど、選挙の監視委員会とかないんだよね、それで多くの人は民主主義が保証されていると思っているのだろうか。

8.ロシアの幸福と繁栄の保証を目指し、
9.現在と未来の世代を前に、祖国への責任に基づき、
10.自らを世界の共同体の一員と自覚し、

今のところ、逆の道を辿ってるよな。

軍事侵攻のシナリオを考える時点で、各国からある程度の制裁を受けるのは想定できるだろうし、その時点で損害を被るのは税を払うロシア国民ということもわかるだろう。未来の世代へは西側、特にウクライナの遺恨は残るだろうし、経済制裁及び財源の軍事費への投入などロシア国民の経済的損害も計り知れない。それは祖国への責任を放棄しているのではなかろうか。もしくは祖国という言葉は、国民ありきの祖国ではなく、プーチン及びロシア政府のための祖国という意味なのであろうか。そういう意味では、言い逃れができそうなお粗末な言葉である。さらには世界の共同体の一員として自覚した行動とは思えないし、核兵器のしようも辞さないような発言をすることも共同体を脅かす存在になってしまっている。

憲法前文というのは、短くはあるがその国のアイデンティティを示している、ということも言えると思う。日本人が日本国憲法を改憲するのにあんなにも熱心な推進派と反対派がいたように国民にとっては憲法はかなり重要な精神的な礎となっているのではないかと思う。

前文だけでなく憲法も少しばかり読み進めていくと、今のロシアを見ていて、これって完全に憲法違反やろという行為が見られた。

第31条(集会の自由)
ロシア連邦市民は、平和的に武器を携帯せずに集合し、会合、集会、およびデモを行う権利、ならびに行進し、ピケを張る権利を有する。

おそらくことロシアに関しては、このような憲法違反をあげればキリがないのだろうなと思う。国民は法律に従い、国家は憲法に従う義務があるのに。
自らが作った憲法を守れもしない国家が世界の一部として機能している状況は世界市民にとって極めて不都合である。誰かが言っていた言葉が今ふと頭をよぎった。国家は感情的である、と。

最後に

私は法学者でもないし、大学で法律を専攻したわけでもない。専門家からすればただの素人が的外れなことを言っているなどと思うのだろうか。ただ憲法などは国民が目を通しておくべきものであるとも思うし、専門家などがどうこう言おうとも自分で読み、自分で考えるといったことのほうが国民としてはるかに重要なことであろうと思う。今の日本には、専門家などを威を借りて、いかにも自分が何でも知っているかのように語る人が多いように思う。私もそうなっているかもしれないので注意したいのであるが。

最後に、私の友達である、ロシアで最も権威のある大学、モスクワ大学に通っていたジョージア人が言っていた言葉はなぜか記憶に残っているのである。

ロシアの憲法はただの紙切れだよ。

なるほど、そんなこともあるのか。なんの変哲もない感想を心に抱き、今日という日を終えていく。

ウクライナの人々が一刻も早く、安全で平和な暮らしができることを願って。

                      2022/02/28 東京にて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?