本物の3歳児 —— アマンダ、愛の人

先日義父が他界した。

家族で駆け付けると、布団の中で動かない義父が静かに寝ていた。

自分の身内で亡くなったのは、今から十数年前の祖母が最後だったので、久しぶりの、「少し前まで話してたのに…」という悔やみの感情が沸き起こる。

一緒に見ている小学校低学年の長男は、『死』の意味を理解していて悲しそうにしている。
しかし、3歳の次男はあまり分かってない様子。

「じぃじ、もう動かないんだよ」
と言っても、そうなの?ってキョトンとしている。
まぁ仕方がない。

コロナ禍ということもあり、家族葬と決めていたそうだ。
お通夜から告別式と狭い範囲の身内のみで滞りなく進み、火葬場に運び込み最後のお別れをしたあと、精進落としの食事で親戚一同が集まっている際のこと。

「アマンダ~!アマンダ~!」
と次男(3)が大声で言い始めた。

『アマンダ』って誰のことだ?

しかしそれに合わせて隣に座っている長男も一緒になり、二人で
「あまんだ~あまんだ~~~!」
と笑いながら言うではないか。

おいおい、何を言ってるんだ、と「ちょっと静かにしてや」と二人をたしなめるように言うと、彼らは、さっきのお坊さんの真似だという。

近くにいた義母と義兄、それに嫁も笑った。
「確かにあれはちょっと癖が強かったなぁ」
「あれは中々やったな、俺も笑いそうになったわ~」
と他の皆も口々に言い始めた。

そうなのだ、お坊さんのお経を唱える癖がかなり強かったのだ。
特に『南無阿弥陀仏』の部分。

ぁまんだぁあ~ぁ~
ぁまぁんだぁああ~ぁ

かなり年配のご住職だったので、独自の味があった。
多分その場にいた皆は千鳥のノブの
「クセが強い!」
というツッコミが脳内再生されていたことだろう。

とは言え、笑ってはいけない、そういう場での地味な攻撃が一番効くのだ。
いや攻撃ではないんだが・・・

精進落としの場での「あまんだ~~!」は、3歳児なりの、みんなが暗い顔をしていることに対しての気遣いだったのかも知れない。
きっとそうなんだろう。

いずれにしろ、みんなを笑顔にするのが好きだったじぃじを、みんなの笑顔で送り出すことができて良かった、と思うことにしている。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?