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イエス「ぶっちゃけ誰にでも才能はあるんや。ただ『使い方』を知らないだけなんやで」タラントのたとえ話

人は誰もが、人とは違う「才能」を持って生まれてくる。

そして、それがどんな種類の「才能」であれ、その「才能」を活かしながら、その後の長い人生を歩んでいく。

人生は、「才能」の扱い方で決まる!


しかし、あなたはこれまで「才能の扱い方」について、教えてもらったことがあっただろうか?


ぼくはなかった。

学生時代や、社会人になってからも。

親や教師、先輩や会社の上司、だれも「才能の扱い方」について、明確な答えを持っていなかったように思う。


人間は、自分の才能をどのように扱えばいいのだろうか?

人にチヤホヤされるために?
お金をたくさん稼ぐために?
歴史に名を残すために?
安定した暮らしを手に入れるために?

残念ながら、どれもちがう。

「才能」を扱うときに気を付けておくべきことは、もっとシンプル。

「たった一言」に集約される!


結論からいこう!



「目の前のできることをやる!!」


それが答えだ。

シンプルすぎるこの一言に、「才能の扱い方」のすべてが詰まっている!



そのことを語った男の名をご紹介しよう。



イエス・キリストである

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先日、「ブッダはラッパーだった」とお伝えしたばかりだが、

またもや衝撃的な事実をお伝えしなくてはならない。



イエスも、ラッパーであった。

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ラッパー・イエスはこう言った。


「才能があるとかないとか、気にすんな。マジ意味ねえから」

「目の前にある、今できることをやれ!ただやれ!それだけでいいんだ」


そう語り、彼はカリスマMCとなった。

この日のライブは、のちに「タラントのたとえ」という曲名で、新約聖書に収録されている。

この「タラント」が、「タレント=才能」の語源である。


ラッパー・イエスは、人の根源的な悩みに答えを出す天才だった。

だから彼のまわりには、常に人が集まった。

その人たちに向けて、彼は言葉を放ち続けた。

そのどれもが、人の命を輝かすものだった。


類まれなる叡智あるラッパー

それがイエスである。


今日は、そんなラッパー・イエスが残した話の中でも特に有名な「タラントのたとえ」をご紹介しよう。


そもそも聖書ってなに?


いきなり「タラントのたとえ」にいく前に、そもそも「聖書ってなによ?」という疑問にお答えしておこう。

この「タラントのたとえ」は、新約聖書のマタイの福音書第25章14〜30節に書かれている。


新約、聖書?

マ、マタイの……ふ、ふくいんしょ……?

に、25章14から30節ですかそうですか。


そんな声も聞こえてきそうだ。ムリもない。ここは奈良時代から続く仏教国ニッポン。そこに生まれた日本人のきみに、聖書はあまりにも馴染みがうすい。

「新約」も「マタイ」も「福音書」も謎のワードだろう。

ぼくもそうだ。浄土真宗の母方と曹洞宗の父方の間に生まれたぼくは仏教のサラブレッド。聖書についてはド素人だ。

しかしだからこそ、素人にもわかりやすく「聖書とはなにか?」を説明できるとも思っている。

これから「聖書とは何か?」を超わかりやすく説明してみるので、どうぞ安心してほしい。


結論からいこう。


聖書とは、ブログである!!


ラッパー・イエスのファンが書いたブログを書籍化したもの。

それが「新約聖書」である!

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ほら、BTSのファンが書いたブログがバズると、本になったりするでしょ?

あんな感じだ。


そもそも「聖書」には、「旧約聖書」と「新約聖書」の2種類がある。

どちらも、キリスト教の聖典とされている。

しかし、書かれた時期が違うのだ。


「旧訳聖書」は、ラッパー・イエスが生まれる前のユダヤ民族の歴史や、守るべきルールが書かれている「歴史書兼ルールブック」みたいなもの!

ようは、ゲームの攻略本みたいなもんだ。

人生というゲームに困らないような知恵や、過去のプレイヤーが陥った落とし穴なんかが書かれている。

中身は、天地創造からユダヤの歴史まで、めっちゃ壮大。

ユダヤ民族のことが、ズラーっと書いてあるというわけ。


対して「新約聖書」は、ラッパー・イエスのことばっかり書いてある。

つまり「ラッパー・イエスのファンブック」だ!

それもそのはず。

「新約聖書」は、ラッパー・イエスの死後に、イエスの弟子たちによってまとめられたものだからだ。


そして、ここではこの「弟子」という表現も分かりにくいので変えよう。

「弟子」とは、つまり「ファン」のことである!

「ラッパー・イエスを推してたファン」のことを、キリスト教では「弟子」という。

そういう風に覚えよう。


とくに、ラッパー・イエスには「12使徒」という直弟子たちがいた。

彼らは「12人のコアファン」である!

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このように、仕事も家庭も犠牲にして、ただただラッパー・イエスの推し活に専念する12人の熱烈な追っかけ。

それが「12使徒」である。


かれらはラッパー・イエスの追っかけであったので、それぞれブログで活動報告をしていた。

中でも、よくバズるブログを書く4人の猛者がいた。

それが、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4人である。

彼らの書くラッパー・イエスは、いきいきとしていて、多くの人が読みたがった。

彼らはインフルエンサーだったのである。


彼ら4人のインフルエンサーのバズブログは、敬意をこめて「福音書」と呼ばれた。

そしてイエス死後、彼らの書いたブログがまとめられ書籍化されたもの。

それが「新約聖書」なのである。


ここまでをまとめるとこうなる。

・イエス・キリスト=ラッパー
・弟子=ラッパー・イエスのファン
・12使徒=12人のコアな追っかけ
・福音書=4人のインフルエンサーが書いてたファンブログ
・新約聖書=ブログをまとめて本にしました。


ちなみに「新約聖書」には、12使徒=追っかけの間で交わされた「手紙」や、インフルエンサーの1人だったヨハネの「黙示録」なども収録されているのだが、これらはそれぞれ

「手紙」=「ファン同士のメッセのやりとり」

「黙示録」=「鍵垢で書いてたブログ」

だと思えばいい。

アーティストのファンの行動というのは、どうやら2000年前から変わっていないらしい。


いかがだろうか?

「新約聖書」という名前だと、とっつきにくかったものが、「ファンブログのまとめ本」だと分かったとたん、急に身近な存在として感じられてきたのではないだろうか。


ちなみに、こうなるとキリスト教の最大宗派であるローマ・カトリックの総本山であるバチカン市国は、




ファンクラブ本部

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そこにいるローマ教皇は、



ファンクラブ会長

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ということになる。

異論はなかろう。


さあ、「聖書とは何か?」に答えが出たところで、いよいよお待ちかねの「タラントのたとえ」をご紹介しよう。


イエスが語った「才能はこう使え!」


「タラントのたとえ」は、マタイの福音書第25章14節〜30節に書かれた、わりと有名なお話だ。

マタイのブログの中でも、歴代ベスト3くらいでバズった記事。

現代でも「タラント」=「タレント・才能」の語源になっているほどだから、世界中でバズりまくったお話のようだ。


「タラント」というのは、当時のユダヤ社会で流通していた「お金の単位」のことだ。

「1タラント」が、今の日本円に換算すると6000万円くらいだったと言われている。

庶民は一生手にしないような大金だ。

ラッパー・イエスは、人の「才能」を「タラント=お金」にたとえて、その使い方をシンプルに教えたんだ。


そのままお話の内容を書くこともできるが、それでは退屈だし、当時の興奮も伝わらないと思うので、

ここはひとつ、当時のマタイのブログ風に再現してみることにする。

以下、インフルエンサー・マタイのブログだと思って、読み進めてもらいたい。




こんにちは!マタイです!

今夜のイエスのライブ、ヤバかったですね!!

ご一緒できた方には、この「感動」が伝わっているかと思います!


「感動」って、言っちゃっていいんですよね??

ボキャブラリーが貧困でごめんなさいっ。

とくに新曲の「タラントのたとえ」のところのMCは、きっと一生忘れられないものになると思います。

ほんとジーザス!!!


そこで、勝手ではあるのですが、今夜のライブに参加できなかったジーザズ(注:当時イエスのファンをこう呼ぶ風習があったようだ)さんのために、イエスの言葉を再現してみようと思います!

100%は難しいかと思いますが、できるだけ生の感じが伝わるようにやってみますね!

雰囲気だけでも、伝わったらうれしいです。

マタイ



〜タラントのたとえを語るイエス〜

(以下、ラッパー・イエスによるMCのようす)


いいか?「才能」ってあるだろう?

誰でも「才能」を持って生まれてくるもんだ。

「才能」のまったくない人間なんていないんだぜ?

それを世の中のために使ってこその人間だ。


だけどな、みんな「才能」の使い方を分かっちゃいない。

教師も政治家も知らないんだ。

だから誰も教えられない。

そのせいで、オレたち庶民の人生は、だいぶ混乱しちまってるんだ。


自分の「才能」には、価値がないじゃないんだろうか?

自分には「才能」なんて、ないんじゃないだろうか?


そんな風に感じてるやつがいたら、これからオレが言うことをよく聞いてほしい。

そして覚えておいてほしい。

お前の「才能」には価値がある。

そのための「使い道」もちゃんと用意されている。

だから大丈夫。安心していいんだ。


「才能」の使い方はむずかしくない。

それはとてもシンプルなんだ。

決して、人と比べて落ち込んだり、他人より優位に立つために使うもんじゃない。

おまえの「才能」を思いっきり使うこと。

それがお前が生まれてきた意味だ。

これからおまえに「才能の使い方」を教えるからさ。

いいか?よ〜く聞いててくれよ?


こんな話があるんだ。

昔々あるところに、大きなお城の主人がいた。

主人はあるとき、外国へ行くことになった。

そこで、留守中を、3人の召使いに頼むことにしたんだ。

主人は、3人の召使いを呼んで、こう言った。


「今からお前たちにお金をやる。そして私はしばらく外国へ行ってくる。私の留守中にそのお金を使って、できるだけ増やしておきなさい」


そうして、

召使いAには5タラント
召使いBには2タラント
召使いCには1タラント

をそれぞれ与えたんだ。

どれも大金だよな。このお城の主人は大金もちだったのさ。


そうして主人が去ると、召使いたちはさっそく動き出した。


召使いAは、

「うおおお!こんな大金……!さっそくご主人さまのために、なにか商売でもはじめなくては!!」

と言って、街へ商売をしに出かけた。


召使いBは、

「こんな大金を預けてくださるなんて……!ご主人さまのご好意に背きたくない!一生懸命、はたらくぞ!」

と言って、街へ商売しに出かけた。


一方、召使いCは、

「や、やばい……。こんな大金、万が一ビジネスに失敗して、すっからかんにでもなったら……。ご主人さまに殺されるかもしれない。ど、どど、どうしよう…………そうだ!」

と言って、庭に穴を掘って、もらった1タラントを埋めちまったんだ。


しばらく経って、お城の主人が帰ってきた。

「おまえたち、わたしの預けたタラントはどうしたかね?」

主人は3人を集めて言ったんだ。


召使いAが前に出て言った。

「わたしはご主人さまがくださった5タラントを元手に商売をし、10タラントに増やしました!」

「おお!おまえは素直でいいやつだ!小さな仕事もバカにせず、コツコツ続けたおまえには、もっと大きなお金を預けよう!」


次に、召使いBが前に出て言った。

「わたしはご主人さまがくださった2タラントを元手に商売をし、4タラントに増やしました!」

「おお!おまえも素直でいいやつだ!小さな仕事もバカにせず、コツコツ続けたおまえには、もっと大きなお金を預けよう!」


次に、召使いCが前に出て言った。

「わたしはご主人さまに怒られるのが怖かったので、お金がなくならないように、大切に土に埋めておきました!こちらが元どおりの1タラントです!」

「……は?」


一同にやばい空気が流れた。


「いま、なんと言った?」

「え、ええっと、ご主人さまは厳しいところもあるお方なので、万が一ビジネスに失敗でもしたら大変だなあ、と思いまして」

「土に埋めたと?」

「はい」

「まったく使わなかったの?」

「はい」


「没収」

「えっ……?」

「没収だ。それならATMに入れておいた方が利子がついたってもんだ、このバカタレ!」


こうして召使いCは、主人の怒りを買い、持っていたタラントを失ってしまったんだ。


この話の意味がわかるかい?


「タラントの使い方」で大切なこと。

それは、「いかにビジネスに成功するか?」や、「いかに減らないように管理するか?」じゃないんだよ。


いかに素直に一生懸命、タラントを使うか?


それだけなんだ!

それしか、主人は見てなかったんだよ。


注目してほしい。

主人は召使いAと召使いBに対して、「お金を増やせたこと」を褒めているんじゃないんだ。

「素直だったこと」

「小さなことをバカにせずコツコツ続けたこと」

それを褒めているんだ!


そして2人には、もっと大きなタラントを与えることにしたんだ。


しかもこの時、5タラントと2タラントの間には、評価に差がないんだ!

タラント=才能の大きさは、実はたいした問題じゃないんだよ!


あたえられた才能=タラントを、素直にバカにせず使うかどうか?


それだけが肝心なんだ!


だから、1タラントを土に埋めた召使いCは叱られたんだ。

そしてタラントを没収された。

だってそうだろう?


もしも召使いCがタラントを元手に商売をしていたら、新商品や親サービスが生まれて、街の景気がよくなったかもしれないんだ!

そのチャンスを、召使いCは土に埋めてしまった。

しかも自分が「叱られるのが怖い」という理由でだ。


だったら、その1タラントは、素直に働く召使いAや召使いBにあずけておいたほうがマシだよな?

主人はこういう判断を下すもんなのさ。


つまり、「才能」ってやつについて覚えておかなきゃいけないことは、たったひとつだ。


才能の大小はカンケーねえ!

素直に、一生懸命、コツコツやるかどうか?

それしか見られてねえ!


どんなにちっちゃな才能でもいい!

それを、今できることのために使え!

ぜっったいに、土に埋めるな!

誰かのために、その才能を活かせ!!

そうすりゃ、いずれ才能は増える!!!


そういうことだ。

だけど、みんな考えちゃうだろ?


「自分はこれくらいしかできないし〜」

とかさ。


でも、


その「これくらいしかできないこと」を、やったのか!?

そう問われてるだけなんだ!


「自分は足遅いし〜」

「その遅い足で、誰かのために走ったのか!?」


「自分はこんなに重い荷物は運べないし〜」

「おまえでも持てる軽いものは運んだのか!?」


「自分はこんなに難しい本は読めないし〜」

「やさしい本でも読んで学んだのか!?」


そういうことなんだよ!

「できないことやれ」なんて、言われてないんだ俺たちは。

ただ「できることやったか!?」って言われてるだけなんだよ!



どうだい?おまえは、「できること」やったか?

今日のおまえは、今日できることをやってたかい?

それが、見られているだけなんだぜ。


それなのに勝手に、「こんなの意味ない」「あの人と比べたら無力だ」「はずかしい」「私にはできっこない」なんて言っちゃうやつは、その瞬間にタラントを土に埋めちまってるんだよ!


気をつけろよ?

土に埋めたタラントは、没収されちゃうんだぜ?


よく、生まれつき天才だと言われるような才能をもつ奴がいるよな?

ああいうやつが、なんで出てくるか分かるか?


みんなが土に埋めたタラントが、ずっと素直だったそいつのところに集まっていくからなんだよ!


だってそうだろ?

タラントの気持ちになってみようぜ。

使われずに埋められるよりも、バンバン使ってくれるやつのところに行った方が、気持ちいいだろ?

それと一緒なんだ。


才能は使えば使うほど増えるんだよ。

でも、できないことはやらなくていいんだ。

ただ、目の前のできることをやればいいんだ!

ちっちゃいことでいい。

それで、目の前の人を喜ばせればいいんだ!

それをただ続けていけばいいんだ!

それしか見られてないんだよ。

それが、「才能の使い方」の「答え」なんだ。

これだけは、忘れないように胸に刻んでおいてくれよな!


でも、希望なのはさ、1タラントでも6000万円だぜ?

めちゃくちゃ大金じゃねえか。

だからさ、それくらいの大金を、実はみんなもらってるんだよ。

だけどその価値に、気づいてなかったりするんだ。

もったいないよな。

ただ目の前の小さなことをコツコツやることが、それくらい価値のあることだってことを、俺は伝えたいんだ。


才能がないことが、はずかしいんじゃないんだぜ?

その才能を使わないことが、はずかしいんだ。


ちっちゃな才能でも、バカにしないで喜びながら、人のために一生懸命に使ってるやつがいたら、誰でも応援したいって思うだろ?

そういうことなんだよ。

そういう風にできてるんだ。


その「才能=タラント」に文句を言わず、いつも目の前の人をよろこばせようとする素直なやつ。

そういう人間に、おまえはなれよ!


よし、じゃあ次の曲いくぜ…………




以上、ラッパー・イエスが語った「才能の真実」

「タラントのたとえ」の勝手な意訳編でした!


「才能」について悩む人に届くことを願ってかなり派手に改変させていただきました。

叱られるのが怖いのでバチカンにはどうか内緒にしていてください!


それでは、できないことは放っておいて、やれることをやっていきましょう!

お読みいただきありがとうございました。


つづくぅ!















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