41 二度目の逗子

 憧れ続けてきた海は、これまで夢みてきたものを打ち壊すほど広かった。快晴、40℃近い蒸す熱気の中、潮の香り、絶え間ない波音や人の高い声に、広大な海面がきらめいて眩しかった。思い描いていたものよりずっと海には憂いがなかった。
 それでも二度目の逗子はほとんど灰色の風景でしかなかった。
 胸に焦りが込み上げて、さびしくて、空白で、スニーカーの中が細かい砂でいっぱいになり、なぜわたしがここにいるのかが分からなかった。
 海に触れて、海に浸かり、泳いだあと、浅瀬に立ち、泳ぐ友人や海の家や人のあふれる砂浜を見渡して、私はただその空白に呆然としていた。その恥ずかしさを隠すように泳いだ。
 彼女を思い出すつもりなどなかったのに、砂浜で水着の女性を見るにつけ、あの人を思い浮かべた。ひざの形、腿、皮膚、重み、厚み、あの人の人体も、このくらい有限で、もしあの人が、ここにいたら、あの優しさで、あの声で、微笑んで、楽しそうに、
 あの人も、こんなふうに、海やどこかで、あの人格を持って、彼女自身の人生を、誰かと、抱えてきたのだろうか、
 胸の痛みとともにはっきり感じたことがあり、それは、もし彼女がここにいて、私を見て、私に意識を向け、好きだと彼女が言ったとしても、私のこのさびしさと無意味感が消えることはないだろうこと。もしこの恋が叶い、彼女と寝て、彼女と結婚し、彼女が私の子を身ごもっても、わたしは、胸を苦しくしてこんなことがしたかったわけではないと思うだろうこと。
 都会を離れて、私は夢より美しい海に居り、遥かに霞がかった富士が見え、水平線へ橙の日が沈んでいき、辺りがみな夕日色になり、豊かな食事をして、暖かい人たちの輪の中にいて、意味に囲まれているのに、私は全く楽しくなかった。そのショックから私はしばらく立ち直れなかった。狭小の自宅へ戻ると、海で泳いで酒を飲んだ帰りなのに、死にたい胸のさびしさにどうしようもなく深夜までアゴタ・クリストフを読んだ。

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