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カレーとラーメンとアシテビチ

大学生の頃なんか、もらわなくても元気が有り余っていて、雪の降る早朝に友達と一緒に1時間歩いてパチンコ屋に行ったり、右膝の十字靭帯が断裂しているのにどうしても野球大会に参加したくて原付バイクに跨ったまま打席に立ったり(そしてファーストの人を轢きそうになったり)、頼まれてもないのに演劇をしたりしていたけれども(演劇は今もやっているが)、そんなこととは関係なく元気をくれていた店があった。

友達(本当は先輩)と一緒にいつの間にか常連になっていたその居酒屋は夫婦だけで営んでいる小さな居酒屋だった。夫婦、と普通に書いたけれども最初は夫婦なのかなんなのかわからなくて、聞いていいのかわからずなかなか確かめられなかったくらい年の差夫婦(おかみさんが異常に若く見えていただけの可能性もある)で、元肉屋だという沖縄にルーツがある店主の作る料理はどれも美味しかった。特に生まれて初めて食べたアシテビチという豚足の煮物が印象に残っていて、昆布出汁で塩味の煮物だったのだが、その後同じような料理にまだ出会えていなくてずっと探している。

私は当時、生まれ育った地元を離れて一人暮らしをしていた。が、友達もいたし仕送りももらっていたので、寂しくもなければ貧困に喘いでいたわけでもないのだけど、なんとなくのイメージで、そういう学生だと思われていたようで、非常によくしてもらっていた。

実際、恋人の家と70キロくらい離れていたので少しだけ寂しかったり、計画性のなさから一時的に信じられないくらい貧乏だったりしたこともあるので、とても助かった。

ある日は、閉店後にメニューにはない、まかないのカレーを食べさせてくれた。今思えば、来るかわからない(といっても週5ペースで通っていたので来るに決まっているのだが)我々が食べる分も考えて開店前から作っていてくれていたのかもしれないし、店主夫妻は家に帰って食事をすればいいだけなので、実はまかないなんてものは存在せず、我々だけのために作ってくれた可能性まであるのだが、そんなことには気がつかず、美味しい美味しいと食べていた。

そうやってそのお店に甘えまくって生きていた頃の、いつもと同じような閉店後、いつもと違う感じでラーメンが出てきた。もちろんメニューには載っていないし、まかない食べる?とも聞かれていない。本格的な博多ラーメンだった。この話の舞台は福岡市南区なので、我々は博多ラーメンを日常的に食べており、しかも二人とも出身が九州ではないので博多ラーメンにやや飽き始めていたのに、とても美味しくいただいた。

それからしばらくの間、店主から「ラーメン食べる?」と聞かれることが多くなり、裏メニューのようになっていった。そして我々は、ラーメンで締めて帰るのが恒例になっていった。そうするようになって1ヶ月くらい経った頃だったと思う、ラーメンを持ってきた店主がポツリと言った。

「実はさ、ラーメン屋、やりたいんよね。」

衝撃だった。この店がなくなるのは嫌だ。でも、店主には好きに生きてほしい。というのもあったが、自分の父親くらいの人に夢があるというのが当時の自分には衝撃だった。

そして半年後くらいには、マジで居酒屋は廃業し、近所の別の場所でラーメン屋が始まったのだった。

アシテビチやカレーにも元気をもらったのだけど、あのラーメンにはあれから20年以上経った今でも元気をもらい続けている。まだたぶんあの頃の店主より若いんだし、やりたいことをやろうと思えるのだ。

※この記事のトップの写真はもちろん思い出のラーメンではないけど、今、大好きな居酒屋のとっても美味しい担々麺

#元気をもらったあの食事

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