いつも隣にあったもの(後編)
近日の範囲がふた月以上ということが発覚してしまいましたね。前回はこちら
いよいよ大学生。
高校での体験を通して、人に伝えることが好きになった私。
大学は地元を離れ学びたいことを学びに島を飛び出しました。
そんな新天地でもそばに置いたのは演劇。
ついに部活として、演劇を始めることを決心ました。
今までは他の部活をやりつつ演劇をやってましたから、ついに融合させた!みたいな気分でした。やること一本に絞ったって感じですね。
経験で走り抜けた1年目
新勧公演と題して新入部員獲得のために先輩方が公演を行っていたので早速観劇。
第一印象は
濃い。フレッシュ。いい意味でぶっ飛んでる。
でした。なんせ自分の直前の演劇体験が実在の人物を題材にしたノンフィクションに近いものでしたから。
「役者もそうじゃない人も最初から最後まで演劇を楽しんでる人達だ」って直感的に思い、入部の決意は固くなりました。
体験入部前から、演劇部のTwitterをフォローしていたので、先輩たちは自己紹介でピンと来たようです
ガチの人が来た
みたいなことを言われたのを覚えてます。Twitterのbioに演劇のこと書いてたからでしょうね。そんなことないです。先輩方の方が上手いです。部活歴は1年目。ちょっと演劇やってたみたいな人間です。
今までの演劇と、部活としての演劇、違うことが沢山あります。
①年に複数公演、複数脚本
②音響照明演出含め裏方も自分達で
高校演劇という括りでやってなかった私にとっては色んなことが新鮮でした。今までの経験を生かして、1年間役者をやりました。幽霊やオカルト女史、画家。後輩を迎える公演(最初に私が見たもの)では照明を。裏を初めてやりました。
転機の二年目
後輩も入部して新しくやってくぞ!な春に、OBさんから部活へ客演の依頼。行く人いる?って話の時に「ちょっと興味あります」と言ったことが始まり。
またも些細なきっかけ。
色々説明するから稽古場に来てくれと言われ、行ったら行ったで参加を決定。市民劇団の客演として出演することになりました。部活に顔を出すことが少なくなりつつ、でも今まで以上に演劇漬けの日々でした。
今まで同年代としか演劇をしてこなかった私にとって、ほぼ全員年上の市民劇団の中で受ける稽古は全く違いました。未熟オブ未熟で客演を受けたのに下手なものは出せない。しかも舞台の時代設定上、着物の所作も覚えなければならず…てんやわんやでした。行き帰りの電車、授業の合間を使って台詞を頭に叩き込んでから、ようやく動けるようになりました。本番に近づくにつれて、役へののめり込み度が上がっていくのが分かりました。本番は、座組の足を引っ張ることなくできほっとしました。その時にお世話になった方には今でもお声かけ頂いて、お食事したりしました。
些細なきっかけの貴重な体験から1週間。
帰省した地元ではまたミュージカルのお手伝いをしました。久々に先生方とお会いして、いつもの舞台での私の仕事は、演者のピンマイクの調整係。のはずが、舞台に初めて立つ子が多く、出番の場所が迷子になる子も。舞台袖での早着替えとマイクチェック、出番待機の人数把握、舞台美術の移動タイミングなど。何でも屋さんをやりました。何でも屋さんをしながらふと、今目の前で起こってることと、自分の演劇人生を比べていました。目の前にいる小中学生の演者を支えるプロの裏方(演出家、歌唱ダンス指導、照明音響舞台美術)がいる公演と、ちょっと前に客演で出た市民劇団の公演、大学の部活の公演や高校の公演を比較すれば、本当に小中学生の頃から恵まれた舞台に立ってたんだと思いました。その何分の一の恩返しかはわかりませんが、何でも屋さんを一所懸命やろうと再奮起。本番はあっと言う間に過ぎていきました。
帰省しても演劇漬けだった私は、帰省から戻っても演劇漬け。
部活の次の公演は、私の初めて書いた脚本に決まりました。なんと演出も私。やったことないし、後輩は市民劇団に客演に行って部活に余り顔出してないから果たしてこれは伝えられるのか。とか沢山悩んでたと思います。帰省時にお手伝いした裏方何でも屋さんの感覚も抜けず、看板製作、音響選び、照明プラン、演技の注文、似非プロジェクションマッピングなど、演者以外全てやってしまい、本番まで心の余裕はなかったです。
でも言ったら応えてくれる役者、パチッとハマった音響と照明のタイミング。課題もいっぱいあるけども、自分の中の世界観を、役者や舞台を通して観客に共有できる感覚が、嫌じゃなかったのを覚えています。
集大成3年目
初めての脚本・演出からは、裏方が多くなりました。初脚本初演出の反省を踏まえ、分担を覚えました。部員の複数で超短編の脚本を書いて複数脚本上演したり、私の脚本を後輩に演出してもらったり。先輩達は引退しても卒業しても様子を見に来てくださって、後輩達は可能性の塊で。私も負けまいと、色んなことをやりました。そして部長として、1年間劇団の座長として、公演を回していきました。
しかし演劇とは関係ないところで私が揺らぐ事件がありました。
2019年10月31日
何気なく見たTwitterのトレンド
「首里城火災」
一瞬、何が起きたかわからなかった。信じたくなかった。映画の中の出来事でもタチが悪いと思った。沖縄といえば、青い海青い空に映える赤瓦の王城が浮かび、独自の歴史を象徴するものでもあった。私にとっては生まれた時から復元された首里城を見て育った。
赤瓦の朱の色が、炎の赤に変わっていく様を見るのが辛くて
でもなんでこんなことになったのかは知りたくて
涙を流しながらスマホで情報を追ってしんどくなって
その日会った人にどんな顔で笑ってたかわからない
その日は眠れなかった。
眠れなかった勢いで書き上げた首里城を舞台にした脚本
これが最初の火災ではないこと
今の城の復元は、焼け野原からの復興だったこと
今すぐは無理かもだけど、必ず首里城は帰ってくる
そんな気持ちで書いた脚本を、部活の次の公演の候補脚本に出しました。部員は受け入れてくれて、上演することに。
奇しくもそれが、私の引退公演でした。
この脚本以外にもたくさんのわがままを言った公演になりました。わがままを聞いてくれた同回や後輩達、いつも気にかけて見に来てくださる先輩達。観客の方々にも感謝以外の言葉は出ません。
引退後の4年目
引退公演から程なくして、人の密集するイベントの中止や学校休校のニュースが流れました。ギリギリに上演することが出来ました。つくづく幸運です。
世の中は経験したことのない事態に様々な不安がどよめいています。
舞台演劇も中止が続き、緩和時に上演するとクラスター発生の知らせも届き、中々以前のように演劇を楽しめる日々に戻るのは遠そうです。
大学も部活動の活動禁止やオンライン授業などで新入生との出会いが少ないようです。引退した身からすると何か出来ないかとそわそわしますが、私のわがままに付き合ってくれた後輩達ならきっと大丈夫だと遠くから見守ってます。
役を演じる楽しさに気づいた小中学生
演じる楽しさから人に伝えたいを知った高校生
大学は、演劇の深さを知って演じる以外の伝えるも知った
演劇と接する機会は、これを機に減ると思いますが
また新たな演劇との関わり方を見つけてしまうでしょう
いつだって、きっかけは些細なことだったから。
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