犬の物語(読書感想文)

「犬を出すのはずるい」


第163回直木賞を受賞した馳星周さんの作品に、選考委員会から上がった声だそうで。


ずるい。心が動かされるのは当たり前だから。犬をはじめ、イノセントな動物がメインで登場するストーリーは誰しもが何らかの原体験を刺激されて心が動くものだと思う。でも、私は物語よりも、犬をテーマにしたエッセイや自伝の方が、心動かされることが多い。というか、そっちのほうが好きだ。犬は敢えて物語にせずとも、日常にそのまま在るだけでストーリーにあふれている。


そんな犬にまつわる短編を集めた一冊が「文豪たちが書いた「犬」の名作短編集」(彩図社)だ。犬好きで有名な川端康成、犬嫌いで有名な太宰治をはじめ、猫ではなく実は犬を飼っていた夏目漱石など近代日本文学14名の文豪が書いた16編の短編が纏められている。


なんのことないただの日常なのだけれど、そこに犬がいるだけで微笑みがこぼれるストーリーになる。


夏目漱石は飼犬(愛犬、と言っていいのか微妙)にヘクトー(トロイ戦士の名)という立派な名前をつけて、短い短編エッセイのなかで何度も何度もその名前を、呼びかけるように書いている。


川端康成は言わずもがな。たった10ページにたくさんの数と種類の犬を登場させておきながら、「まだ畜犬の日は浅い」「愛犬家というにはほどとおい」などとあくまで犬飼い初心者であることを強調している。でも犬への接し方や、「もっとたくさんの犬を飼いたい」など言ってしまうところ、あれだけたくさんの犬を世話して自宅で出産もさせているのに「まだまだ」と言ってしまうところは、もはや犬好き以外の何物でもない。


小山清の身重な犬との生活はまるで夫婦のようで、特にこれといった大事件が起こるわけではないのだけれど、あまりに日常が過ぎてかえって尊い。


一番笑ったのは太宰治で、犬が嫌いだから嫌われないように愛想よくしていたら逆に犬から好かれてしまった。嫌いだ嫌いだと言いつつも、家に居ついてしまった犬に名前を付けてしまう。ポチだ。名前を付ける=自分の家の仔、と犬飼いなら当然にわかるのだが、それでも太宰は「犬は嫌いだ」と言い張る。何かにかこつけて犬を手放そうとするのだけれど……。そのドタバタが面白くて笑えるし、泣ける。



とくに特別な物語があるわけではない。なんの変哲もない日常。それでも、ただ犬がいるだけで、一日一日が大切で尊いものになる。


私だってそうだ。毎朝晩ご飯を食べさせて、トイレをさせて、ちょこっとだけ遊んで、一緒に寝る。それだけのことなのだけれど、犬達は毎日あたかも初めて経験したことのように全力で喜び、全力で自己主張をし、全力で疲れて眠る。そんな彼らを見ていると自然と肩の力が抜けて、一緒にいるこの穏やかな空間と時間が永遠であるかのような錯覚すらしてしまう。



犬は日常に在るだけで素晴らしいストーリーだ。


彼らは一瞬一瞬を、キラキラと生きている。



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