「君の名は。」
新海誠さんがつくる世界が好きだ。人の切なさと、なんともいえないあの情感に心惹かれる。綺麗なのに心をギュッと掴まれる感覚が、苦しくて切なくて甘酸っぱくて、大好きだ。
秒速五センチメートルを初めて観たのは、高校一年生の時だった。当時大好きだった男の子にこの作品を進めたら、電話口で唐突に全話観はじめて、即感想を教えてくれたのが甘酸っぱい思い出。懐かしい。
コスモナウトは、もう。切なすぎて何回観ても泣いてしまう。遠野くんと花苗が並んで歩くあの夜、真上にある月が真っ二つに割れているあの景色。あっ、思い出しただけでムズムズしてくるので、やめます。久しぶりにちゃんと観たくなってきた。泣いちゃうから、休みの日にしよう。
「君の名は。」が、日本中を騒つかせるほど大ヒットしたのはちょっと前の話。当時わたしはまだ学生で、就活真っ只中だった。周りの友達は一人残らずといっていいほど観ていて、バズるってこう言うことを言うんだと、しみじみした。
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この映画がこの時代に公開されたこと。そして、人々の心を掴んだのには理由があると思った。単なるラブストーリーではなくて、単なる綺麗な描写だけではなくて。
それを越えて、この映画はもっと人に伝えたいことがあるんじゃないかと、わたしなりに考えてみた。
一つは、「隕石の落下」。抗えない天災で人が命を落とすということ。
この時代にはっきりとこの描写をするのは、なかなかのことだと思った。地震とか津波とか、人々が逃げられない災害が次々と起こるなか、確率は高くはないけれど、確実に人の命に関わる天災を描いた監督は、流石だと思った。
自分の住んでいる地域ではない場所で誰かの命がなくなるということ。天災が起きても、天才が起きた地域以外の人たちには、いつも通りの時間が流れるということ。人の死と生きる時間。目に見えない場所で無くなる命。変わらない日常。
同じ日本で天災が起きても、大事故が起きても、私たちはニュースをみるだけでそれを見逃してしまう。一つの出来事として、流し見してしまう。自分にはどことなく関係のない世界だと思っているから、深く考えない。
瀧くんは三葉と確かな繋がりがあったからその土地に思い入れがあった、と言われればそれまでだけれど。
世界のどこかで起こる天災、そしてそれがいつか自分の身に降りかかるものであるということを、暗示している気がした。
案外私たちは、天災や大事故は自分に関係ないものだと変な無敵モードになってしまっているのではないか。そんなことは、ない。
二つ目は、「縁」。映画の中では、「結び」と表現しているけれど、この映画はなによりも縁を描いているものだと思った。会えなくなったあの瞬間、あがいてもがいて会おうとした滝くんがいなければ、三葉の命は途絶えてしまっていた。命が続くことも縁、三葉の命は瀧くんという縁あってこそのものであって、二人は生きるために結ばれていたのではないか、とか思ったりした。
都会も田舎も関係なくて、どこに住んでいるかも、どの時代を生きてきたかも関係なくて、まだ知らないどこかの誰かと繋がっている。
出会いとは、そういうものだ。ある日いきなり出会って、その瞬間他人ではなくなって、自分の人生の時間を共に過ごす人になったり。
縁とは、目に見えないからこそ大切であって、出会えたからこそ結べるものであって。その縁の奇跡を監督は描こうとしていたのではないだろうか。
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書いてて思ったけど、別にこのレビューに新しさとか何もないような気がしてきた。
ただわたしはこの映画が好きなので、ちょっと書きたくなったのです。
例外なくこの映画を観た時私は泣いた。それは、天災への恐怖と、生きて人と巡り会えることがどれだけ素敵なことなのか、どこかで確かに実感したからなのだと思った。
瀧くんと三葉が、ずっと幸せでいられますように。
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これは個人的な感想だけれど。
今の男女が好きそうな恋愛要素も、この映画はちゃんと含んでいるので、デートで観るのにもぴったりな作品に出来上がっている。
真夏の夕方に、クーラーではなくて扇風機をつけながら恋人と観たい作品です。
もうすぐ夏がやってくる。夏だー!
いつも応援ありがとうございます。