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こんなときばっかり良いこと言おうとするお前が、嫌いで嫌いで嫌いで愛おしい

3.11が来るたびに、わかったようなことを綴りやがる「自称ライター」が、死ぬほど嫌いだった。その土地に行ったことなんてないくせに、行こうとすら思わないくせに、ずっと住んできた地域の人々が絞り出す生の声なんて聞いたことすらないくせに。自分が思う感性だけ雑になぞらって、自分が有名になることだけ考えて、お金のかかった素材でできた「正義感」というチープな毛布にくるまって、さぞかし注目されそうなことを発信しようとする、あの感じ。ちょっとずつ数字が伸びてきているであろう「ご」立派なインフルエンサーが放つピーマンみたいな空っぽの記事に、鋭利な鳥肌が立つ。ちなみにわたしはピーマンが好き、…なんだかピーマンに失礼だ、ごめんなさい。空っぽなわたしが、空っぽなんていう資格はないのだけれど、もうそんなことは今後言わないから、どうかこの記事だけは許して欲しい。

コロナが殺したのは、肺、そしてなによりも人の心と頭だ。みんな、刺々しくなった。わたしも、トゲだらけになった。これから書くことが、ひどく個人的で、それでももう黙っていられず、嘔吐寸前になったところで書く気になったので、付き合ってくれる人だけ読んでくれると嬉しい。

個人の発信が身近になった。これまで、その良さにしか目が向けられてこなかったが、今こうして人の手ではどうしようもできないことが起きると、それが裏目に出ている気もしてしまう。嘘も正しさも同じ色で世間に溢れていて、なにが正しいのかわからなくなった。それっぽいことはいつも正しくないし、届くべき情報は届くべき人に届かない。中途半端にフォロワーがいる貴様らは、自分が思う正しさを押し付け合ってオナニーしてる。SNSで誰かが偉そうなことを言ったところで、コロナウイルスは一向になくならない。
ワニが亡くなったあの時、そしてあのお笑いの師匠が亡くなった今だって、人々は自分が守りたい道徳や正義をここぞと見せつけ合っていて、吐き気がする。3億周くらいまわって、批判する人を批判せずに批判している人までいて、訳がわからなくなった。シンプルにこれからワニが見れなくなるのが悲しいよ、テレビで彼が見れなくなって辛いよ、わたしは。

この感覚、この人々の荒み具合。
東日本大震災の時の、あの感覚と似ている。
そう思ったら、自分が経験したことを記しておきたくなった。まだどうしても消化しきれなくて、わたしの真ん中にある記憶なので掘り出すのも悲しいのだが、今書かないともう一生書かない気がする。伝えたいことなんてまとまっていないけれど、ここ最近自分にあったことも含めて、殴り書いてみようと思う。


あの日。
突然の津波で何人もの人が流された。幼いころ一緒に遊んだあの子も、わたしをかわいがってくれたおばあちゃんたちも。また今日と同じように会えると思って適当に挨拶してしまったまま、二度と会えなくなった大人たち。
みんなみんな、流された。
崖沿いにあった友人の家は、なくなった。あれから数年経っても、友達の家は建っていない。休みの日にみんなで遊びに行ったあの海岸。めったにお出かけになんて連れて行ってくれない父が、休みの日にごくまれに連れて行ってくれる地元の海。家族みんなでバーベキューをして、たまに海で遊んで、思い出いっぱいの宝物のような場所。
地球の変動に牙をむき、覆うように身を広げた青い怪獣に、わたしたちの思い出はすべて吸い込まれた。また会いたかった人は、海の彼方に消えた。綺麗で透明で、どこまでも続いていくような大海原は、目覚めた神獣が暴れるように、土地に生きるすべてを奪った。
家族四人の思い出なんて少ないのに。 
その中でも、海は大切だったのに。
断片的な記憶の欠片さえも飲み込まれた。

小学校にあがると同時に、父の転勤で福島から東京に引っ越してきた。少ない荷物をもって、母方の祖父と祖母がいる家にきたわたしは、東京にきたそのときまで、これから家族四人がバラバラになることに気づいていなかった。
引っ越しの荷物を家に入れて少し落ち着き、わたしはリビングで教育テレビを見ていた。一度も見たことがない、つまらないものだった。朝早くからの移動に疲れてしまって、うとうとしながらトイレに行こうと立ったとき、奥の部屋で涙を流した母が父に寄り添っているのを見た。わたしは東京にくる今まで、どうして家族が移動をするのか、なにも告げられていなかったけれど、その様子を見たらなんだか無償に悲しくて、トイレで静かに泣いたのを覚えている。
まもなくして父は車で福島に帰っていき、母と兄と共に東京で暮らしはじめた。

最初はなまっていたけれど、簡単に都会の言葉を覚えた。まだ幼かったわたしは、たやすく都会になじんだ。便利で人がたくさんいる街は、好奇心をくすぐるのに十分だった。祖父も祖母も、優しかった。

それでも、どうしてだか。いつかわたしは、福島に帰るんだって、東京にきてからずっと頭で考えていた。みんな好きなのに、この環境に恵まれているのに、どうしてもその気持ちが消えなかった。父の転勤と家庭の事情で今は東京に来たけれど、そのときがきたらまた福島に帰るんだって、当たり前みたいにどこかで思っていた。長期休みが来るたびに、父の車で福島に帰ると、父方の祖母がいて、友達がいて、可愛がってくれる大人がいて、その環境にひどく納得をした。福島にいると、東京にいるよりも体調が良くて、やっぱりここはわたしが生きる土地なんだって、ずっと思っていた。それなのに。

突然の、震災。
地元が流された。
テレビで見た光景に、頭を鈍器で殴られたような悲しさを覚えた。
それ以上を綴ることが、できない。

つい最近。
家族全員で住んでいた東北の家が無くなることになった。家がなくなる最後の日、まさにそれは3.11で、慌ててわたしはひとりで田舎の家に行った。
成長のその都度、兄と一緒に鉛筆で線をひいた壁も、大切なおもちゃが詰まった押し入れも、家族で何度も入ったこたつも。押すときしむ白い玄関の門も、震災で亀裂がたくさん入っている天井も。そこにあるのに、明日なくなるなんて、なんだか。
信じられなかった。
わたしたちが帰るたびに、いつも家は温かく出迎えてくれた。まだ生きていた頃、「おかえりなさい」と言ってくれた祖母の声が頭に残っている。その言葉の通り、わたしは福島に帰ってきていたのだと思う。
最後の日も、変わらず家はわたしを出迎えてくれた。年季が入っていて少しかび臭いけれど、確かに私たち4人が帰る場所だった。

震災に耐えて、ずっと。
ずっと。
わたしたちを、待っていてくれた。

保管しておきたいものを東京に持って帰るために、最後の日わたしは家に訪れた。持って帰りたいお気に入りのおもちゃはたくさんあったけれど、持って帰ったところでどうしたらいいかわからなかったから、ぜんぶ置いてきた。ただ、押し入れの奥にあった、家族写真だけは持って帰ってきた。

家を出る最後、祖母の部屋を覗いた。まるで、これから祖母が帰ってくるかのよう。亡くなる前から何も変わっていない。壁面に飾られた布の収納ポケットには、わたしが渡した手紙などが刺さっている。いたたまれなくて、もうずっと泣きたくて、やわらかな陽が差す部屋で「もう大丈夫だよね」と、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
その瞬間、キッチンののれんが静かに揺れた。嘘みたいだけど、本当に揺れたのだ。大泣きしながら「ばあちゃん、いたよ」と母に電話をした。ばあちゃんはいつもわたしに不思議な奇跡をくれる人だった。今回も、そうだったんだ。
最後の日、きっと家に帰ってきていた。ばあちゃんはあの家が大好きだったから。

どこまでも遠くに行きたくて、海まで歩いた。寒すぎて震えて、鼻水が止まらなかった。それでも見に行かなければ帰れないと思って、ただ歩いた。海へとあと少しだというところで途端に道が開けて、いきなり桜並木が現れた。福島がわたしを迎え入れている気がして、また泣いてしまった。

大事な家がなくなっても、家族がいるから大丈夫。
そう思っていたのに、
コロナのせいで家族にすら会いに行けない。

人は、死ぬ。簡単に死ぬ。
そしてこのコロナで、あなたの大切な人が死ぬ可能性は、悲しいことに非常に高い。
そんな状況だからこそ会いたいところだが、今の人類は、誰かにとっての犯罪者だ。あなたが会いに行ったからという理由で、死ぬ命があるかもしれない。
これは、人の手ではどうしようもできない災害だ。ゆっくりじっくりやってきた、人の死へのカウントダウンだ。悲しすぎて、どうしようもなくて、どうしたら良いかずっと考えていたけれど、どうしようもできないので考えるのをやめた。

気が滅入ってしまったんだろう。15年ぶりに「ちゃお」という少女漫画雑誌を買ってしまった。読まずに、そこにある。
明日以降をやりすごす食材がなくて、焦って街へ飛び出た昨日のこと。節約自炊モンスターのわたしは、週3くらいでスーパーにいくけれど、並んでいるのは一年間そこにずっと通っていても、一度も顔を見たことがない人ばかりだった。カップ麺にパスタ、食パンに肉。人がかごにいれているものを凝視するのはどうかとは思うが、これからいざひきこもろうとしている人々が何を買っているのかが単純に気になった。どれも、お湯さえあれば食べられるものばかりだった。確かに電気もガスも当分止まることはないかもしれないけれど、人が緊急の時に買うのは、こんなにインスタントなんだ。なんだか拍子抜けをした。

「トイレットペーパーは潤沢にあります!買いだめする必要はありません!どうか、冷静なご判断を!」テレビで流れ、ツイッターで呼びかけられた政府の「ご指示」。
その言葉通りに、わたしはトイレットペーパーを買いだめしなかった。そもそもコロナで備品がこんなになくなるという考えに、いたらなかった。ウイルスでなくなるのはトイレットペーパーではなくて、もっと違うものだと思っていたのに。「ひとりひとり、冷静な判断をしてください」。純粋に従い、わたしは最後までトイレットぺーパーの奪い合いに参戦をしなかった。

ただ後日、消耗品であるそれが尽きようとしているまさにそのとき。やはり必要だから、必要な分だけドラッグストアに買いにいったら、見事にどこにも売っていなかった。近所のドラッグストアはもちろん、スーパーも雑貨屋も全部見た。行く先々でもあらゆるお店を覗いたけれど、どこにもなかった。
まさに、だまされた、と思った。いや、わたしがバカだった。あんなの真に受けるんじゃなかったって、自分一人が買いだめしないところでみんながしていたら意味がないんだって、このときゴミみたいな世論の実態を理解した。案の定、わたしの周りは前もって買い溜めをしていた。
鬱陶しいとはわかっていたが、一度だけ店員さんに入荷の日取りを伺った。またか、という顔をした彼は「未定となっておりまして……」と、疲れを隠さずそう言った。ごめんなさい、と、心の中で謝った。

計算に失敗して尻が泣いたあの日。結局、優しい友人からトイレットペーパーを譲ってもらった。救われたトイレライフ、それでも使っていくそれらは、またなくなるんだろう。そうなったときに、どこで買えばいいかわからない。買いだめは必要ないという言葉を信じたら、尻が死にかけた。なんてことだ。

だから今回、首都閉鎖の噂がされている今、トイレットペーパーの二の舞になりたくなくて、米と最低限の食糧だけ買った。もうあんな目にあいたくない、買っておくのは当たり前だろう、わたしは頑なにそう思ってしまった。わたしひとりがよびかけたところで、なにもできないんだってわかった。
普段は偉そうに己が信じる正義ってやつを語るインフルエンサーも、コロナについてあんなに得意そうなことを言っていたのに、影では買いだめしているのを知ってしまった。ふざけんなよ。俺はしてないみたいなヒーロー気取り、今すぐやめろ。
嘘ばっかり。嘘しかない。良い人ですって顔して、事実と反したことを平気で言いやがる。胸糞がわるい。こんなときに、こんなことで腹が立つ自分も嫌だ。

誰も買っていなかった野菜売り場で、豆苗を4つかった。3回は再生してくれる彼らとともに、これからを生きていこうと思っている。野菜はこんなに残っているのに、米やパスタ、カップ麺やうどん類などはこんなにもない。

ここ数日、ずっと在宅ワークをしている。会社は早々に対応をしてくれた。会社から離れていても作業はできるし、気になっていた仕事をその瞬間に片付けられるから楽だ。会議や電話もなんなくできる、今の現代の技術に乾杯だ。

先日、会社から感染者がでてしまった。わたしにはまったく日常的に関わりのない方だったけれど、動揺せずにはいられなかった。その知らせを受けた当日、会社はどうなっちゃうんだろうと頭が不安でいっぱいになったのに、わたしよりも年上の社員のみんなが諦めた顔をしていた。みんな、同じように諦めていた。しょうがないって顔して、まあ大丈夫だろうという余裕さと、いつか自分にもうつるのかもしれないという恐怖、単色でいるにはあまりに脆く、様々な感情がまじりあう寸前のマーブルカラーみたいな表情をしていた。
ちょっと怖かった。

本日の夕方、こんなときに。隣の住人が数人の男女を呼んで飲み会を始めて、めちゃくちゃにうるさかった。壁の薄い軽量鉄骨の家に、住人の笑い声とがさつな足音が響き渡る。わたしも昼間にオンライン会議をしてしまったから、もしかしてうるさかったのかもしれない。できる限り小声で、そして存在感を消しながら過ごしていたというのに、こうも「自由です!」と振る舞われると、やるせない怒りに襲われる。なんやねん、お前。

今が一番荒んでいる。

これをメンヘラと呼ばれるなら、もうメンヘラでいいや。そんなどこぞの誰かが思う「お前メンヘラ設定」、くっそどうでもいいんだよ。
もう、何もかもが嫌なのだ。どれを信じればいいのかわからない。これがコロナの「せい」なのか、「おかげ」なのか、「関わらず」なのか。最近、人の嫌な部分ばかりが目に付く。同時に、自分の汚いところばかりが洗いざらいに晒される。
全部全部嫌で仕方がない。この状況に嫌だというだけで、こんなふうにため込んだ愚痴をいうだけで、じゃあどうしようよの一つの提案もできない。

大好きな人に会えない。
会いたい人に会えない。
飲みたい人と飲めない。
話したい人と話せない。

嫌なことが溢れ出る。

オンラインの線路にのって届けられた機械的な関わりに、なにも満足しない。
たった一軒、田舎の家はなくなったのに、無駄に家賃の高い家は量産される。
わたしをかわいがってくれた大人たちは死んでいくのに、無能な政治家たちはやけに健康だ。
結婚を誓っても男は簡単に裏切るし、既婚者とのセックスに喜ぶ女がこんなにもいる。汚い。
稼いでも稼いでも税金はとられて、この先変わらず稼いでもずっと不景気だろう。
両親に会いに行きたいのに、自分がウイルスの病床だったらと思うと会いに行けない。
なにもかも余裕がなくて、いつもは我慢できることで泣いてしまった。
会いたい人がいる大分は遠い。
不幸な自分が嫌だと泣く癖に、不幸な話をしているときだけどことなく楽しそうな人の話を聞くのにも、もう疲れた。不幸な自分を一生抱きしめて生きて行けよ、と見捨てた。
友達が送ってくれたコロナに関する情報を信じた。どうやらそれもガセかもしれない。それを信じて伝えてしまった、間違った。
自分の情報収集の甘さに辟易する。
この状況で誰にだまされたところで、責めることもできない。

結局わたしは凡人だ。
書いてきたって、意味がなかった。いまだって、これに何の意味もないこともわかっている。一縷の希望がない状況は、あの震災の時以来だ。震えるほど悲しい。悲しすぎて普段は考えないことばっかり考えている。
ひとりで生きていける自信が初めてなくなってしまった。適当に、好きでもない誰かと結婚したくなってきた。こんな他人まかせな自分になったのは、初めてだ。

災害の日が来るたびに、こんなときだけ良いことを言おうとするお前らが、大嫌い。人の手ではどうしようもないことがおきた際、行きかう情報網からすこしでも突出しようと面白いことを言おうとする、素人の大喜利大会に勝手に1人で傷ついて、イラついている。
大前提として、「SNSでは何を表現してもいい」というのはわかっている。情報を選択するのはネットの海で自由に泳ぐ小魚のようなわたしたちで、飢えた我々はいつだって餌を探している。

それでも。
それでも、なんでこんなときだけ。
こんな、人が死ぬくらいの大事のときだけ。
声がでかいな。

3.11のときに、嫌なほど実感した。人の死を、リアルを、伝えるべきことを。会いたい人には会いに行かなきゃいけないんだ、これが最後かも知れないから伝えたい時には伝えなきゃいけないんだ。こんな当たり前のことを、わたしは人の死でしか学ぶことができなかった。
このご時世、その土地に赴き見て聴いて得たものを発信しようとする人、そしてわからないなら自分はそこから手を引くことができる人。その最低限の発信のマナーが整っている人は少なく、ただ自分のためにネタにしようとする自称発信者が多いことに、絶句した。ふざけている。

一年は365日あるのに、そのできごとがあった日だけ思い出したように専門家気どりするアマチュアが大嫌いだ。アットマークの次に続く社名や肩書、注目されたいがためにする発言、真実を握りつぶして自分の栄誉のためにつぶやかれる一言一句に、あの日流されたすべての人々の魂が殺されている気がしてならない。そんな、年間でその日だけが災害について考える日じゃないのに、その危険は今この瞬間にくるかもしれないのに、なのに。いまだって、今の日本は、災害があった日のことを、まるで楽しいイベントと同じように扱い、まるで祭典にしている気がしてしまって、やるせない。悲しくてどうしたらいいかわからない。

いまだって、そうだ。正しさがわからない霧の中で、それっぽいことばっかり言おうとする大人が、どうしてこんなに多いんだ。ふざけてネタの取り合いをして、無駄なポイント稼ぎになんの意味があるんだ。ライターや編集者を自称するならば、世間に届くべき真の情報をソースを添えて発信するのがプロなんじゃないのか。どうして憶測で発言をするのか、その空虚な責任感に反吐が出る。

そんなことを書きつつも、わたしだってなにもできない。何も知らないし、調べ方もわからない。もうとうに、ネットを信じるのはやめた。政府を信頼するのもやめた。今、信じられるのは自分しかいない。
目の前にあるものには、なにも正解はないと思うことにした。
ただ、たったひとつ自信を持って言えるのは、わたしは感染者かもしれないということ、会う人に移す可能性が十分にあるということ。それだけだ。毎日だるい身体も、最近さがらない微熱も、きっと。
そういうことなんだ。

なあ政治家、聞いているか。

お前らいつだって守られて生きてきたもんな。暑い日には涼しい部屋に、寒い日には暖かい部屋に、おこづかいがなくなれば笑顔でお金をくれる誰かがいて、ちょっとしたミスをぬぐってくれる年下がいたんだろう。
今、どんな気分だ。
国民のことをどう思っている。
国内の民からどう思われ、国外のゲストにどう見られているか、自覚がないわけないだろう。
あちらこちらでこんなにも国民が泣いているのに、お前らにはどうだっていんだろうな。企業が必死にお金を絞って、これまで養ってきた会社全体の体力で世界を救おうとしているのに、トップは永遠にゆりかごに揺られておやすみ状態。若者が、政治についてなにもわかっていないと思うなよ。

発信している自分に酔っぱらうくらいなら、一生酒のんで酔っ払っていたい。良いこと言おうとして、良い子でいようとして、本当のことを発信できないくらいなら、わたしは一生ライターもどきになんてなりたくない。自分で発信者名乗るなら、頭で考えて情報を発信したらどうなのか。こんなときだから、プロの仕事が光るんじゃないのか。そんなこと言ってるけど、正直もはやSNSすらどうでも良くなってきた。

それでも、なんだか、もう。
どうしようもない状況になっている中で、少しでも自分が思う「良い」を探して発信しようとしている人がいることに、同じくらい愛しさを感じてしまう。
どうにかしたくて、どうにもできず、またどうにかしようとしている人がいることも知っているから。見たくないものに、無理やり見てくれとも言えない。真実を伝えるのに、傷つくことだってある。大きすぎる傷で過去と向き合えない人だっているんだろう。正しさを求めて泣くくらいなら、間違ってる方がいいのかもしれない。

いつまでも、わたしは救われない。救われなどしない。
だって、嫌いなのに、こんなに嫌いなのに、わかってしまう。どうやったって元気が出なくて、なにしたって状況が変わらなくて、それでもなんとかしたくて言葉を出すけど、誰の希望にもなれない。それ以上の地獄が、表現する人にとってあるだろうか。辛くて仕方がない。みんなもがいてなにかしているのもわかっている。
でも、発信するなら、せめてもう少し。責任を持ちませんか。これは自分にもブーメランだけど、世間を混乱させても誰も幸せになんてなれないよ。発言する前に、状況を冷静に判断して、届けたい人の顔を想像しようよ。
みんな嫌いだけど、嫌いな分愛おしいよ。矛盾しすぎた泥まみれの愛情。誰にも捧げられない、自分のまとまらない切なさ。エモでもチルでもない、これはただのエゴ。

今、自分が書いていることがなんの有益な情報でないことも理解しているから、もうこれ以上なにも言わない。でもどうしても、なんだかどうしても、やるせなさがすごくて、書かずにはいられなくて、やっと出てきた言葉で泣く泣く書いてみた。そろそろお酒もおいしくなくなってきたから、わたしの感性は死んでしまうのかもしれない。
結局、絶望しきっている状況をなんとかできなくて、こんな長々と書いてしまったんだろうな。最低だ。

どうか、どうか。みんな。
生き延びて。生きて。
きれいごとではなく、この願いが現実になりますように。みんなが変わらず健康で、対面で会話ができる日がきますようにと、何もできないまま、ただ祈る。

大好きな人に、また会いたい。
会いたい。会いたい。
それだけなのだ。それだけなのに。
叶う気がしない絶望の中で、マカロニえんぴつの新曲「hope」が耳に響く。

#熟成下書き #エッセイ #マカロニえんぴつ #hope

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