【働くあのひと case.3】「自己実現」
3人目は、大分県にあるブティック「なかしま」で働く、南 かれんさん(通称:かれんさん)。早稲田大学で出会った、わたしの大好きな尊敬する憧れの先輩です。
大学を卒業してしばらくした後、地元である大分に帰りお仕事をしていたそう。
社会人3年目ですが、現在の職場には入って1年目。
出会ってからもう7年目になるくらいの仲で、わたしにとって家族のように近くて、大切な存在であるかれんさん。どこに行っても何をしても、やっぱり素敵です。
ーまずは、今のお仕事の内容を詳しく教えてください。
去年の9月末から、大分で60年続いてきた歴史あるブティックに勤めています。
コンセプトは「大分にありながら、ミラノにあってもおかしくないお店」。14人のメンバーで、お店をつくっています。
イタリア発祥のブランドをメインに、数あるファッションブランドの中でも選りすぐりの一流品を取り扱っているお店で。
セーター1枚が7~8万円するんだけれど、それは本当に良い素材を使って、丁寧に仕立て上げたものだから。
それこそ昔は、イヴ・サンローランやクロエなどのハイブランドが日本でライセンスを得る前から、それらの商品を扱っていたようなお店で。まさに「洗練されたお洋服の専門店」という感じ!
商品の価格が高いからという理由はもちろんだけれど、長い年月を経て地域に根付いているお店ということもあって、客層は若くて40代の女性、時には90代の方までもがきてくれます!
そして、なんといってもオーナーが超一流!彼女は今年、80歳になるのだけれど、今でも年に一回、イタリアのミラノに商品を買い付けに行くの。本当に素敵で、憧れの女性!
ーどうしてここで働こうと思ったんですか?
きっかけは、母がオーナーと知り合いだったから。
大分の国際ボランティア団体に母と社長が入っていて。母と一緒にいるときに、オーナーを紹介してもらったんだけど……。
わたし、オーナーにひとめぼれしたの!
大分に、こんなに素敵な人がいるんだ、って。
肩書きとしては、大分で4店舗(昔は数十店舗にも及んだそう)ブティックを経営していて、その傍らで国際ボランティア団体にも入っていて。名立たるオーケストラを大分に呼んでコンサートをしてもらったり、今はフィジー(ラグビー世界一の国だそうです)という国の名誉領事とかもやっていたり。
そういった肩書きだけでも、もちろん凄いんだけれど。
最初に会った瞬間からひとめぼれするほど、人として魅力がある人なんだってわかった。
初めてあったその日に、「歌が好きなら一緒に合唱やろうよ」って誘ってくれて。
それがきっかけで一緒に歌うようになったんだけれど、そこから一年くらい経ったある日、「うちで働かない?」ってお誘いが!
オーナーがわたしを見初めてくれたんだって、素直に嬉しかった。
その時直感で、「こんなに凄い人について行ったら、どんなわくわくすることが起こるんだろう!」って思って。
これはもう、その気持ちに従って動いてみようって思った。
ー実際にブティックで働いてみて、どうでしたか?
うちのお店は、一般的なアパレルとちょっと違うから、他のお洋服屋さんではできないような経験ができているなって思う。
お洋服はもちろん売るけれど、大分の「サロン」的な役割もしているんです。
お客さんがお店にやってくるのは、わたしたち店員やそこに集まる人々とお話しするためだったりもする。
大分のお客さんにとって、うちのお店がひとつの「居場所」になっているんだよね。家や職場などで何かあった人達が、うちのお店にきたら安心できたりとか。
昔はよくあった、バーとか喫茶店とか、マスターと話せるちょっとした逃げ場みたいな、そんな感じなんだと思う。
だから、お洋服を買うことだけが目的でお店に来るっていう人はあんまりいなくて。
それよりもまず、お店に来たいから来て、そのついでにお洋服を買っていくって感じなの。スタッフさんも40年のベテラン揃いだから、お客さんの体型を見て、その方にぴったりのお洋服が判断できちゃったりする。
たまに、お店主催の旅行とかパーティーとかがあるんだけど、それは「おしゃれをする機会をつくろう」って思いから始まったもの。
お店以外の場所でも繋がる機会があるって、普通のアパレルではなかなかできないことだと思う。
そして、そもそもわたしはオーナーに憧れていたから、そのオーナーと一緒に働けていることが何よりも嬉しい!
今、人間的に急成長できているんじゃないかって感じる。
わたしが今まで人に感じてきた人の汚い部分とか、そういうものが本当に一切なくて。
純粋に綺麗だなって思える人なの。自分が美しいと思うものは美しいと言えて、「価値観」がしっかりしていて、広くて器が大きくて。
多分人って、絶対気づかないところで何かに対して偏見を持っているんだろうなって思うんだけれど、本当にそういうものがなくて!
こんな人いるんだって、驚いた。
よく、オーナーに言われることなんだけど、「男の人を、男の人だと思ったらそこまでだけど、人間だと思ったときに永遠に友達としていられる」って。男女の関係になったら一瞬で終わるけど、人間としての関わりなら一生続いていくよって。
ー逆も然りですね。男の人に「女は人間」とだけ思われたら、人類は終わる気がします(?)
(笑)
難しいね!深いね!
わたしもよくわかんない!
―ブティックには昨年から働き始めたとのことですが、このお仕事に就く前は何をしていたのか教えてください。
わたし、大学時代に就職活動をしなかったんです。
先輩たちが就職活動をはじめたくらいの時に、「そろそろ自分の将来のことも考えなきゃな」って思って、じゃあどこで働きたいんだろうって真剣に考えた。
アルバイトをしていたスターバックスとか出版社とか、いいなって思える会社はいくつかあったんだけれど……。
でも、どこかの会社の社員になるっていうのは、どうしてもしっくりこなかった。
わたしは企業では働かないんだろう、っていうより働けないんだろうっていう根拠のない理由があって。
わたしは法学部だったから、法律家とか(無理だろうなってわかってたけど)公務員とか、学部ならではの選択肢もあったんだけど、でもやっぱりどれもしっくりこなくて。
かといって民間の企業で働くイメージも全然つなかくて。
「わたしはきっと違うんだ。企業の人になりたいわけじゃない」って漠然と思ってた。
結局、就活はしないって決めた。大学を卒業したら、そのまま東京に残って、東京でやりたいことを見つけようって思ってた。
就活はしないけれど、自分にぴったりな何かが、「やりたいこと」が見つかるはずだって思って。バイトでもなんでもいいから、とりあえず探してみようって思ってた。
―「就職活動をしない」っていう選択をするって、とても勇気がいることだと思うんですけれど…。
就活するのをやめたそのときは、あんまり不安には思わなかった。
大学を卒業するまでは、自分で就活をしないって決めたから、「わたしはわたしの信じた道を行く」って感じだったんだけど……。
一番の足かせになったのは、すごい贅沢だけれど「早稲田の法学部出身」っていう学歴だった。大学院にもいかないし、公務員にもならない。ましてや就活までしないっていう選択は、周りからは当然「なんで?」って言われるわけで。
せっかく法学部なのにとか、早稲田大学っていう名前を使えるのにとか。就活したくないなんて考えは甘えだよ!とかまで言われるし…。
でも自分で決めたから、自分の選択を信じようって、自分を信じてみようって思ってた。
だけど、卒業してしばらくして、東京でバイトしながら生活していた時。
お母さんが体調を崩してしまって。
母もお洋服屋さんをやっていたから、お店を手伝うように言われて。「やりたいことは、大分でみつければいい」って言ってくれて、それで大分に帰った。でも結局、帰ってすぐに実家のお洋服屋さんはたたむことになった。
じゃあ今度はなにしようかってなったときに、縁あってアロマをやることに!
母が体調を崩したときに、病院でも治らなかった病気を治してくれたのがアロマだったから、「これはすごい!」って思って。アロマセラピストになって、人助けをしようって思って、そこから真剣に勉強しだしたの。
―かれんさんのアロマの目的は、「人助け」だったんですか?
中学生の時から、「自殺する人を減らしたい」って思いがどこかにあった。
こんなに平和で、自分が幸せって思えば幸せになれる社会であるはずなのに、鬱になって自殺をしていく人が多い社会ってなんなんだろう、ってずっと思ってた。
アフリカの紛争で死ぬ人よりも、日本で自殺する人の数のほうが多いって、何?って。
実際にわたしの友達も、中学2年生の頃に亡くなったりもしていて。
「この日本って、なんなんだろう」って、悲しかった。その思いが心のどこかにずっとあったから、セラピストの道で、そういう人たちの役にたてたらなって。
病気を治すっていうのももちろんだけれど、心の部分も助けることができるんじゃないかって考えた。だから、アロマについて真剣に勉強していたし、その凄さも効き目もすごく実感できた。
だけど…人を助けることで、お金なんてもらえないって葛藤があった。
アロママッサージとかをしても、辛そうにしている目の前の人からお金をもらって稼ごうとか全然思えなかった。アロマの力を使っても、100パーセント人の苦しみを助けられないってわかってて、それも辛くて。
そのうえ、自分の収入も低かったから、お金とやっていること、ふたつのバランスがだんだんズレてきちゃった。
やってることはすごく人の役に立ってるだろうし、「ありがとう」って言うお客さんの笑顔も見られるから。そういう意味での充実感はすごかったんだけど、とにかく自分の生活が苦しかった。
「人のために生きたい」って思っていたはずなのに、結局自分は満たされていないって、そのジレンマに気づいてから、苦しくて仕方なかった。
周りをみると、同世代のみんなは充実した生活をしていて。
でもわたしは、学生時代にバイトをしていたときよりも給料が少ないとか。経済的な面で家族がいないと生きていけないみたいな生活をしていて。
それこそ、あの時就活をしていたら、もっと他の道があったのかなとまで考えた。
早稲田の法学部に行くために両親にもお金をかけてもらったのに。今のわたしは、家族がいないと生活していけない。結局お金が全部なのかって思ってしまうのも苦しい。途中で何度も、「今から勉強し直して公務員になろう」とか、「就活して、安定した職に就こう」って思ったこともある。
それでも、仕事としてやっていることは間違ってないって思ってた。アロマを通してうつ病の人が治っていくのって、すごいことだなって思ってたし、自分の心はたしかに成長しているのがわかっていたから、やめなかった。やめれなかった。
ずっと、「これが自分の選んだ道だから」って、何回も言い聞かせてた。それの繰り返し。
結局わたしがどれだけいいと思ってやっても、お金のことに関わると冷たい大人もいる。お金を稼ぐためなら、何かを切り捨てることも必要だよって言う人がいっぱいいた。
でも、人を切り捨ててまでお金を稼ぎたいわけでもなくて、どうしたらいいかわからなくて。
迷って迷って、でもやっぱり今の自分を信じてみようって、でもどうしたらいいかわからない。考えて考えて悩み抜いた時に、今の社長に、「一緒に働かない?」って声をかけてもらったの。
その瞬間に、「ああわたし、やっぱりまちがってなかったんだな」って、やっと思えた。
お金に対する欲とかを捨ててまで、誰かのために何かをしたいとか、自分の苦しさを隠して笑顔でいようとしていたこととか。
今までのわたしをずっと見てくれてて、認めてくれたんだなって。
「うちで働かない?」っていわれたとき、「働く条件は、人が好きなことと、愛されて育ったこと」ってオーナーが言ってくれて。
そこでやっと報われたんだなって、安心した。それくらい「この人に認めてもらえた」っていうのが大きかったのかも。
会うべくして、その時にあったみたいな。その時のために、今までがあったんだなって、今はそう思える。
迷っていた時に偶然あった知人から言われたんだけれど、「どんな状況にいても、自分がいいと思うことをやればいいんじゃない」って言ってくれて。
セラピストっていう道にこだわるんじゃなくて、他のことをやったとしても、自分が「好きだなあ」って思えてわくわくできることができていたらいいんじゃないかって思えた。
自分自身が輝けるところにいるほうが、結果的に人のことを救うことができるんじゃないかって、そう思った。
―仕事を通して、どんな自分になりたいって思いますか?
わたしが求める成功っていうのはやっぱり、「人間的な成長」。
地位とか名誉とか、求めていないっていうと嘘になるけど、それって成長過程で得られる副産物なのかなって。
わたしは、まずは本当に「人」として成長したい。
人から求められる人になりたい。
わたしが思うその理想像を体現しているのが今の社長なの。好きなものは好きって言えて、人としても器が大きくて、魅力的で。
わたし、誰かに憧れたのって、オーナーが初めてだった。
この人には失望されたくないとか、この人にもっと認められたいとか、そう思ったのがはじめてだから、大切な縁だなって思う。
今は本当に修行の身っていう感じかな。
アパレルってお給料がいいほうではないのかもしれないけれど、でも今は、オーナーについていきたいって思う。
その先に何が起きるとかは、正直まったくわからないけれど、でも。
絶対いい方向に進んでいくんだろうなって思える。
―逆に、なりたくない自分っていますか?
絶対に、現状で満足はしたくない。
今の自分で満足したら終わりだと思っている。成長し続けたい。
でも、今の自分は幸せであるってことは、忘れちゃいけないなって常に思っている。
今の自分に満足はしたくないけど、今の自分が幸せってことは忘れたくない。
それは教訓かな。
今の仕事では、お客さんも仕事仲間も、いってみれば全員人生の先輩みたいな存在だから。
そういう人たちを、常に安心させられる存在でいたい。
だから、仕事も誰よりもできないといけないし、常に笑顔じゃないといる意味ないかなって思う。
笑顔が安心につながるんだって、今の会社にきて痛感した。
うちのお店に来るお客さんは、80歳とか90歳の人だから。やっぱり、どうしてももう「死」のほうが近いんだと思うの。そういう人がわたしと会うことで「今日一日はいい日だった」とか思ってもらいたい。
なんか、笑顔でいることって、本当に社会貢献だなって。笑顔って、すごいよ。
*
ーそんなかれんさん!
あなたにとっての、一番の「好き」ってなんですか?
人が私に向けてくれる笑顔!
わたしを見て誰かが笑ってくれるのが一番好き。「ああわたし、ここにいてよかったんだ」って、思えるから。
人が笑っているのを見るのも好きだけど、笑っている自分は好きでいれる気がする。
どんなときでも、なにがあっても笑える自分が好き。本当にいつでも笑えるの。
つらいこととかいわれて笑顔で返そうとか思わないけど、どんなことでも明るい方向へ持っていけると思うから、笑うことでいい方へもっていきたい。
逆に、我が強いとことか嫌い!
それを自覚しているぶん、まだいいのかなとか思ったり…。
あとは、「あなたがいたから」って、言ってもらえたとき。
あなたがいたから良かったとか、わたしという「自分」がいることで、誰かの気持ちを動かせたその瞬間が好き。
もともと人と関わることが好きだからっていうのもあって。
人と関わって向き合っていく中で、その人の一番深い「芯」みたいなものに触れた時、わたし自身も嬉しくなる。
心を込めてしたことが伝わった瞬間とか、言葉じゃ伝えきれないくらいの、でも雰囲気とかで伝わってくる「ありがとう」が受け取れた時、本当に生きててよかったって思うの。
誰かが隠してきた深い部分をわたしに見せてくれて、「かれんさんがいたから」って言ってくれたりすると、わたしも幸せ。
「わたし」がいたからっていうのと、「あなた」がいたからっていうのが、合致していい方向に動いたら嬉しいって思う。
―最後に!かれんさんにとって、「働く」ってなんですか?
自己実現!自分の理想に向かっていくための過程だって思う!
働くのが「生活のため」だっていうのが本当の答えなら、わたしは多分、今の職場で本当の意味で満足していない。
経済的に満足している状況で「自己実現」とかいうのが正解って思われるのかもしれないけれど、お金とか生活とかよりも、心の成長を大切にしたいって思う。
経済的よりも、文化的に生きたいな。
お金がないっていうのはすごく深刻だし、社会的に見てもやばいって思われるし、本当にどうしようもないことだと思う。
多分わたしは、満たされた状態で生まれてきた。お金とかそういうもの以上に、愛とか人とか時間とか。全部ある状態で生まれてきたってわかってる。そのうえ肩書きも気にするほうだし、もっと稼げてもいいほど与えられて生きてきたっていうのもわかるんだけど……。
でもやっぱり、今いる環境での自分の成長を捨てられないっていうのがある。
人生を通して、「どこに進んでいくかわからないけれど、でもわくわくする!」っていう、そんな道に進み続けたいっていうのがあるから!目標とか、具体的にないときもある。
だいたいいつも直感なんだよね。
…これ結構やばかったりするのかな。
感覚的すぎるところ、実はコンプレックスだったりする。
でも、その選択で間違ったって思うことは、今まで一度もない。
大学もそうだし、恋愛もそう。
自分で選んだ道が違ったって思うことは、振り返ってもひとつもないって、それだけは胸張って言える。
だから、今もきっと間違ってない。
わくわくする道に進めているって、自分らしく生きられてるなって、わかってるから。
*
自分を信じて進んだ道の先で出会うべき人に出会えるのだとしたら、結婚でも仕事でも、その時を迎えるために生きているのかもしれないなあなんて、じんわり思いました。
普段は絶対弱音を見せないかれんさんの、芯に触れたようなインタビューでした。
かれんさん!ありがとうございました!
いつも応援ありがとうございます。