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秋の物語

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#短編小説

鈴虫の音は聞こえるか

 夜、鈴虫の求愛行動の結果の鳴き声で鼓膜を震わせながら道を歩く。
 秋の夜は好きだ。
 夏の蛍のように網膜に映る幻想的な風景はない。
 しかし、視覚に不備のある私には太陽の光は強すぎる。
 それに比べて鈴虫の、まさに鈴を鳴らしているかのような音は私が特別である事を教えてくれる。立ち止まり、しゃがみ、鈴虫の姿を探す。やがて、草の上で羽をこすり合わせる鈴虫を発見。なにもできなかった私がなにかできる特別

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しばらく機嫌が悪かったです

 秋もずいぶん深まり、日の登っている時間もだいぶ短くなった。
 太陽の登っている時間が短くなった、ということは必然的に夜が長くなったということであり、それは夜の勤務時間が長くなったということでもある。
「・・・・・・まだこないとか、信じられないんだけど」
 夜の訪れがはやくなり、すっかり暗くなった駅前で一人の少女がイラついたように腿を人差し指で規則的に叩く。腿を叩く手とは逆、左手親指の爪を噛む彼女

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仕事が終わって

 目の前の光景を見て、自分のやってきた仕事が報われたことを実感する。
 一年をとおして同じ場所に立ち、休みなどという存在すらない私だが、この瞬間だけは疲れを忘れ達成感に浸ることができる。秋深くなり、もう冬を目前に控えたこの光景が、冬の辛い寒さを乗り越えるための活力を私に与えてくれていた。
 あぜ道から少し離れたところにたち、己が貢献したものを眺めていると、やがてあぜ道を伝って一人の男が近づいてきた

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秋の楽しみ方

 家の裏にある倉庫からリクライニングチェアと小さめの投光器を持ち出し、家の庭に設置する。何度か据え直し、座った状態で多少身じろぎしても問題ないことを確認した初老の男性は、自分の仕事ぶりに一つ頷いた。
 時計を確認。そして空を見上げる。
 時間は5時を少し回ったぐらい。 
 ついこの前まではまだまだ明るかったこの時間も、西の空にある太陽がだいぶ傾き、少しずつ夜の足音が聞こえるようになっている。
 夏

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ひとときの幻

「ただいまー・・・・・・」
 しばらく開けていなかった家の扉を開けると、しばらく嗅いでなかった懐かしい匂いに帰ってきた、という実感をえる。敷居をまたぐ前に顔だけを家の中に入れ、家の中の様子を伺う。
「誰もいないのか・・・・・・?」
 家の鍵は開いていたし、誰かは家にいると思ったのだが。
 しかしそこで思い出す。そういえば実家はご近所さんがセキュリティ担っているから、日中ぐらいなら鍵閉める必要ないよ

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呪い疑惑

「すっかり秋ですなぁ」
 始業時間前、朝早くに投稿し、昨日の夜読み終わることができなかったラノベを読み進めていると、友達がそんなことを言いながら教室に入ってきた。
 気にすることなく読書を続けていると、その友人は本を読む彼の肩に手を回してきた。
「すっかり秋ですなぁ」
 その口から、一言一句違えることなく教室に入ってきた時と同じ言葉が紡がれる。
 これは相手にするのがめんどくさいなぁ、と内心うんざ

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昼食前

 暦の上では秋のはずだが、日中はまだまだ夏の暑さを残している。
 昼休み、午前中に仕事で少し苦手な上司に絡まれてしまった彼は、午後からの仕事にその気持ちを引きずらないためにも、気分を一新するべく社外に出た。
 そして社外に出て思ったのが先の言葉だ。
 一応カレンダー上では8月8日には秋になっているはずなのだが、9月になった今でも日中は暑い。朝晩は時折涼しさを感じるようになり、それが季節の変わり目を

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