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幸せになるために「お母さん」をやめるという選択もあり

11月です。
ひとりになって2ヶ月、毎日程よくやっています。
心の学びがかなりいい感じで進んできて、何があっても楽しいに変換できる自分に驚きと感動と嬉しさが込み上げる毎日です。
起きている出来事には無駄なことなんてない。
今は全て学びや気づきのチャンスと思える。
といい感じだったところに思いもよらぬ不調が出てしまいました。
信頼をおける施術家に体を委ねたところ、右脚が何かを訴えるような感情経由の痛み。自分で緩めてもどうにも痛みがなくならないわけだ。
これも必然的な出来事でフラットに受け入れていきたいが、久しぶりにやられています。
もう完了していたと思っていた感情のリリースがまだ残っているようです。
もしかしたら最大級なのかも、逃げていたことが逃げきれなくなってる。
自分には嘘つけないよね。
最後の仕上げ、つらい・・・子どもに対する母親の感情。

母と子。
命を宿した時から自分の体の一部。
出産は母親側の言葉って感じがするな。子どもからしたら未知の世界に放り出されるんだからもしかしたら人生の中で一番の恐怖なのか?
だけど生きるエネルギーは最大級。赤ちゃんっているだけでパワーあるもん。
どんなにすごいメンターより赤ちゃんが優勝だと思う。
そんなにすごい存在なのに、いつからかそんなことも忘れてしまった私。
母親になった時から他人軸で生きている、無意識の中で25年間「お母さん」
で生きてきた。
身内でも他人。お腹から出てしまえば一人一人。他人なの。
でもさ、生まれた瞬間から自分の全てを子どもに捧げる、母親ってみんなそう。

この世には「お母さん」という言葉がある。
私につけられた役職名だったと思ってる。
「お母さん」という言葉、温かくもあり孤独を感じることもある。
少なくとも私はそうだったのかも。
体を引き離されても心は繋がっているの、母と子って。
お互いの感情をキャッチしてるの。
だから子どもの幸せを願うなら、母親が幸せになることがとても大切。
私がこのことに気づいたきっかけが実の母。
私の母はいつも愚痴って身内への不満を私に漏らしていた。
なんとかしてあげたいと子どもながらに感じていた。
お母さんに幸せになってほしかったんだ・・
心の奥底から湧いて溢れてきた母への思い。
涙が止まらなかった。そして胸の辺りがふわぁ〜っと緩んでいくのがわかった。
無意識に溜まり続けていた岩のような塊が溶けていった。
それがわかった時に思った「私ってお母さんと同じような人生を過ごしてきた。だから私は自分が幸せになる道を進もう。子どもたちの幸せのために・・」

押し込めてきた感情のクライマックスなのかもと思えるくらい今とてもしんどい。
どう深掘りしてもリリースできてない。
昨日から泣いてばっかり。
なんとなく気づいていることは「お母さんを辞めたいんだ」ということ。
お互い人として付き合っていきたい。縁を切るということじゃなくて
1人の人として愛していきたい。
どんな家族の形があってもいい、大切なのはお互いが幸せに生きているか。
だからいちばん幸せだと思える環境に身を置く、幸せを感じる人と一緒にいる。
子どもたちに一番伝えたいことかもしれない。
違和感を持ちながら「家族」という囲いの中にいる必要はない。
私がそれを今感じている。
そんな親子や家族がいてもいい。キラキラと個々が輝いていることが私の幸せでもあるから。






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