見出し画像

音楽史年表・記事編6.ベートーヴェンの残された3つの謎

 ベートーヴェンの作品は日本で最もよく演奏されていますが、ベートーヴェンの生涯においては3つの謎が残されます。すなわち、
1.ベートーヴェンが1812年に書いた「不滅の恋人への手紙」の不滅の恋人は誰か?
2.ベートーヴェンが1812年から1818年に日記をつけていますが、その動機、目的は何か?
3.ベートーヴェンは1823年にゲーテに手紙を書き送りましたが、ゲーテは返事を書かなかったのですがこれは何故か?ゲーテはベートーヴェンをどう思っていたのか。
 謎の1の他、謎2、3においても、女性問題が関係しているように思われます。ベートーヴェンは多くの歌曲やピアノ・ソナタ、交響曲において、女性との関係が動機となっているように思われますので、これらのベートーヴェンの謎が解明されることにより、多くの作品の作曲の動機、特に後期の作品の作曲の動機が更に明らかになるものと考えています。
 ベートーヴェンに関して日本では、シントラー以来の「楽聖でありながら女性関係には恵まれず、貴族に劣等感を抱く不幸な作曲家」というイメージが定着していますが、改めてベートーヴェンの生涯をふりかえると、本当にそうなのかという疑問が出てきます。ベートーヴェンは、言葉使いは粗暴な面があったにしても、ベートーヴェンの生涯に関わった多くの女性はその人生観に深く共感し、また深く敬愛していたように感じられます。

 もしベートーヴェンに「あなたは貴族に劣等感を持っていますか」と尋ねたとしたら、おそらくベートーヴェンは次のように返答したでしょう・・・「人間の価値は、生まれの良さ以上のものです。精神の偉大さと心の善良さが真の高貴性というものです。貴族でも平民でも人は平等です。」・・・ベートーヴェンはボン大学のシュナイダー教授の言葉を生涯のモットーとしていましたので、自由で平等な人生観を貫き、貴族に対する劣等感など感じていなかったのではないでしょうか。
 今後、音楽史年表記事編では、多くの名曲創作の原動力となった女性を中心としてベートーヴェンの3つの謎に触れて行きます。

【音楽史年表より】
1789年7/14、ベートーヴェン(18)
フランスのパリでフランス革命が勃発する。パリ市民がバスティーユを襲撃し、この要塞の陥落をきっかけに絶対王政に対する闘いがフランス全土に広がる。国境を接するフランスから革命の報が届くと、ボン大学ではオイロギウス・シュナイダーが革命賛美の論陣を張り、若い学生たちから熱烈に支持されていた。おそらくその渦中に18歳のベートーヴェンもいたにちがいない。翌年出版されたシュナイダーの詩集の予約購読者の中に「宮廷音楽家、L・ヴァン・ベートーヴェン」の名が記されているからだ。「人間の価値は、生まれのよさ以上のものである。真の高貴性は、精神の偉大さと心の善良さによってのみ達成される」というシュナイダーの言葉がベートーヴェン自身の人生のモットーとなった。また、この頃ベートーヴェンはシラーの詩「歓喜に寄す」に曲をつけようとしていた。これこそ30余年後に第9交響曲の中で開花する「歓喜の歌」の萌芽であった。(1)
【参考文献】
1.青木やよひ著・ゲーテとベートーヴェン(平凡社)

SEAラボラトリ

音楽史年表記事編・目次へ 音楽史年表データベースへ



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?