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あなたの《わたしは思い出す》神戸篇

ひとりの女性が綴った11年間の育児日記。その再読の経験を記録・展示した《わたしは思い出す》は、仙台、神戸、水戸の各地を巡回しました。この展示の来場者に向けて、「あなたの《わたしは思い出す》」と題したアンケートを募集。一人ひとりが想起したエピソードの一部をご紹介します。

  • このページでは、デザイン・クリエイティブセンター神戸[KIITO]で開催された展覧会「わたしは思い出す 10年間の育児日記を再読して展(2023)の会場内で記入されたアンケートを掲載しています。

2003年9月15日
「父の骨の納骨に行く日です。車で家族を乗せて私が運転して納骨に行くことをになっていました。前夜に家族が久々に実家に集まったのでカキ(海の方)を食べたのですが、どうもそれにあたってしまったらしく、夜中に病院に運ばれて、点滴で治療をしていただき、無事に納骨のために運転手を務められたのでした。まだしびれてフラフラではありましたが。なぜこんなエピソードを思い出したのでしょう…」

2020年1月12日
「成人式の帰り、振袖のまま母と老人ホームにいる祖母に会いに行きました。老人ホームが成人式の会場から近かった事から、私の気まぐれで会いに行きましたが、6〜7年振りに会った祖母は私の事を覚えていませんでした。祖母の認知症は祖母が17歳の時から[私の]姉が小さな頃(24、25年前)までしか思い出せないそうで、その事を知っていた母は、きっと私を悲しませないように介護がどんなにつらくても私にはその話を一切してこなかった事を、その時知りました。コロナでもう会う事は難しいかもしれませんが、私の事を知らなくてもいいので祖母に会いたいです」

1995年1月17日
「夢だと思って二度寝した。起きてTVをつけたら淡路島で地震があって老人がこけた情報を流していた。たいしたことなくてよかったと、その時は思っていた」

2011年3月12日
「東日本大震災の時、私は仕事で台湾にいました。大学生の引率をしていたので無事帰国できるのか(させれらるのか)とても不安でしたが、情報が限られていたこともあり日本国内の状況はそこまでよくわかっていませんでした。私はそれまで菜食主義で肉を食べないようにしていたんですが、震災翌日、帰国前の空いた時間に現地で一緒に動いてくれていた人が鴨の血で炊いたお米を揚げたカツをごちそうしてくれました。こうやって生きていかなくてはいけないと思い、それ以降は何でも食べるようになりました」

2021年2月3日
「検査日。体にあった腫瘍が消えた。それから、神戸で約束していた人に会ってその人の話を聞いた」

2012年12月18日
「一緒に暮らし始めたばかりの14才の子と文房具屋に行った時のこと。文具好きの彼がたくさんペンの試し書きをしていた。帰ろうと声をかけたら私の元に笑顔で走ってきて一枚の小さな試し書きをしたふせんを『はいっ』と手渡してくれた。そこには緑色の文字で『死んじまえ』と書いてあった。彼の心の中の言い表せない苦しみを見た気がした」

1999年2月25日
「父の亡くなった日。夜中に誰かと話したかった」

2011年10月8日
「仙台から群馬へ引越した。転勤だった。6月頃、人事部との面談で希望をすれば仙台から離れられるという話を聞き、迷うことなく手を挙げた。引越した日の夜、余震が無くて久々にぐっすり眠れて嬉しかったのと同時に、『私は逃げたんだな』と思って罪悪感を抱いた。数年経って結婚して子育てをし(子供はもうじき新1年生)、神戸で家を建てたこのタイミングでこの展示を見られて、本当に良かった。自分の10年と重ねながら、一つひとつじっくり見ました」

2021年4月6日
「ずっといっしょにいた2人の子どもたちが、この日息を引き取りました。2人とも心臓の病気。はじめにお兄ちゃんがたおれ、その後1時間しないうちに弟が大きく息をしてその後大きく目をあけ、私をよく見ながら。私はとっさに愛してるとしか言えませんでした」

2018年11月22日
「高校生の時、英会話に通っていて翌日が大学受験でした。心身共に疲れていてこの頃は感情に反して涙が出る症状が毎日続きました。英会話も休んだし最後の面接練習で先生に『とりあえず泣かなかったらいい!』と言われみかんをもらい、面接ノートに1番大きく『とりあえず泣くな!!!』と書き殴りました」

2020年3月7日
「愛媛で行われた姉の結婚式の日。大好きだった姉がどこか遠く感じてしまった」

2018年4月1日
「初めて一人で京都に行った。京都の桜を見に行こうと、明日は部活が休みだから明日行こう! と思った。当日はとても暖かく、桜は満開ですごくキレイだった。哲学の道に行くと桜並木が美しく、地面は花びらでいっぱいだった。急に写真を撮ってくださいと何人かにお願いされた。みんなステキな笑顔でほほえましかった」

1927年3月7日
「M7.3の丹後大震災発生時2歳だった祖母は『(夕食時だったので)茶碗を持ったなり竹やぶへ逃げた。常には言いごとせなんだ母が、おかわりいうたら怖や〜顔したんが忘れられん』と阪神淡路大震災後よく言っていました。その祖母が92歳で亡くなった時、丹後大震災はとうとう歴史になってしまったのだと思いました。5歳で阪神淡路大震災で被災した友人が、お母さんが炊飯器を持って避難したという話と合わせて思い出しました。震災とご飯と母達」

2021年12月23日
「今日のような寒い日、予備校時代の仲の良かった友人が自死したこと」

2017年10月23日
「母を見送った日。自分の意思決定に強くこだわっていた人が、病院のベッドで医師のコントロールのもと、大嵐の翌朝、晴天のぞく病室で逝った(逝かされた)」

2009年2月20日
「長男の誕生。深夜妻が産気づき妻の実家(新潟県)から病院へ。朝、自分も病院に向かい少しだけ背中をさする。その後、新幹線で神戸へ。会議終了の少し前、義母から誕生のメール。急いで新神戸から戻り、日がかわる直前に対面(本当は面会時間外でしたが)。長岡は大雪だったのに、神戸はすっかり晴れ渡っていました」

1995年1月16日
「夕方に三宮の《そごう》のバーゲン売り場で私、妻、長男(中2)、次男(小4)の4人で買い物をし、兵庫県内の自宅に帰宅しました。翌朝未明に就寝中、背中を下からドンとつきあげられ、大きな地震だと直感しました。半日遅く《そごう》にいたら、4人とも命を落としていたかもしれません。長男は当日のことを何も記憶していないでしょうが、どういう巡り合わせか、この展覧会を企画しています」

2019年10月12日
「ラグビーW杯を観に、岩手県大槌町の民宿に居た私は台風接近で民宿の方たちと町の体育館に避難した。その体育館には2011年の津波で大きな被害をうけた町の人たちの避難所だった。生まれて初めて1泊だけど避難した。お酒やおつまみを出して、飲み始める家族もいて少し驚いた。硬い床。民宿の方に『何日ここにいたんですか』と尋ねたら、『何ヶ月だよ』と言われて恥ずかしくなった。支給された緑の毛布を思い出します」

2008年12月18日
「父が脳内出血で倒れた。『パパが今話せない』と電話口で言われた」

2011年3月11日
「丁度スイミングから帰って来たところでした。母から電話があって『あんた知らんの。早くTVつけてみ!!』とすごい調子で言われて映像を観ました。恐怖で体がカチカチになって『どうして、今TVの前で観ているのに何もしてないんだろう。助けられないんだろう…』と無情な気持ちになって自分も暗闇に落ちていくような気持ちになりました。以来ずっと心に貼りついています。何もできなかったことを。せめて、いつも心はそこに向かってみつめていこうと思いました。TVの前で動けなくなって、ただただ涙がとめどなく流れ続けたことを思い出します」

2011年3月11日
「あの日、和歌山県の『稲村の火』防災館に見学に行っていた。見学を終え、湯浅地区を見学中、防災サイレンと放送があった。『東北地方で地震があった。こちらにも津波が来るかもしれない』と。急いで駅まで帰ったが、列車はストップしていた」

2016年1月17日
「仕事終わりに年下の同僚を連れてKIITOへ来た。東遊園地でイベントをしていることを知り、『お祭りだ』と思い、立ち寄り、すぐに慰霊祭だと気がつく。人々が噴水の下へ行き、名前を指でなぞっていた。ふたりしてとても場違いなところに居ると居心地が悪かった。帰り道をだまって歩いたことを思い出します」

2011年3月11日
「大学生だった自分は、実家(和歌山県)に帰省して自動車学校に通っていた。急に教習所が休みになって津波注意報がでて、よくわからずに母が運転する車で家へ帰った。その時の海がすごくおだやかできれいで、天気がよかった。その後ニュースを見てショックをうけた」

2012年3月15日
「一の関からレンタカーを借りて震災後の陸前高田と気仙沼に行きました。まだ仮設のお店がはじまったばかりで、未だに撤去されていないがれきとともに、街の復興が進んでいない状況におどろくばかりでした。現地の方が丁寧に当時のことを教えて下さり、それから毎年いくきっかけとなりました」

2019年2月26日
「もうすぐ3歳になる息子を2019年に特別養子縁組でむかえました。2019年2月26日、産まれて10日目。塩屋の『少年の町』ではじめて対面しました。赤ちゃんって、もっとしわくちゃでお猿さんみたいだと思っていたのに、案外はっきりとした顔つきで驚きました。だけど本当に小さくてふにゅふにゅで頼りなくて、かなりおそるおそる抱っこをしました。かわいくて、かわいくて、かわいくて。びっくりしました。感動して泣くかと思ったけど、うれしくてかわいくてずっと笑っていました」

2011年3月11日
「小学生だった私は、放課後、学校に残って竹馬で遊んでいました。家に帰って玄関の扉をあけた途端、家にいた母が私の名前を呼びながら私を抱きしめてきました。何があったのかはまったくわかりませんでした。家のテレビ中継を観て、幼いながらに母の一連の行動の意味を知った気がします」

2011年3月10日
「この日、12個離れた弟が産まれました。無事に産まれ、一安心していたのも一瞬で、次の日、東北のほうで大きな地震があったことを知り、人が生まれたり、亡くなったりと、たくさんの出来事が一気に起こり、生死について考え込んでしまったことを思い出しました」

2010年12月25日
「かおりさんの子どもとうちの長男が同い年。息子の誕生日なので10年を丁度息子の成長になぞって感じることができた。長男が生まれた日、主催していたコンサートがあった。徹夜で気も動転していたけど、その頃は1人何役もしていたので、フードを作ったりもした。緑色の大きな煮込みを思い出します」

2019年4月1日
「私が娘を出産した日。初めて見た背中とおしりを思い出します」

2011年3月11日
「当日の発生時刻、道を歩いていて地震に気がつかず、ビルの上の美術館で知らされたことを思い出した」

2020年2月18日
「以前より腎臓をわずらっていた飼い猫が前日に死んだ。この日は朝から一年前に猫をなくした友人と電話。友人は火葬して骨にして、仏壇に置いてあるという。『骨になってもかわいいよ。しっぽがかわいいよ』と聞いた。霊園で火葬してもらおうと思っていたが、急遽、単体で焼いてもらえるところを探した。木材店のサイドビジネスのようなところだった。しかし、しっぽの骨は見当たらなかった」

1995年1月17日
「神戸での震災の日、布団の中で動けず『子どもたちー』と大声で叫ぶと、『大丈夫、机の中!』と返事があったこと。夫は私の足元の本棚を押さえてくれていた。みんなが生きていてくれたことがうれしかった」

2019年12月25日
「つきあっていた男性と初めてデートした日。ミント神戸でアナと雪の女王を見て、地下の鎌倉パスタでパスタセットを食べて、TSUTAYAのはしごをした。六甲道駅のファミマに寄って何か買っただろうが、忘れてしまった。手はつながなかったと思う」

2010年12月4日
「はじめての出産の予定日がもうすぐなのに、自営業が忙しくて準備が全然できないことに不安が大きすぎて、『今日から仕事はもうしない』と心に決めて、ECD+popoのライブ中、席を立たずに座って鑑賞しました。ECDのライブをみたのはそれが最後でした」

2011年3月12日
「横浜ですぐそばに住む娘(夫と6ヶ月男児と3人暮らし)が、非常食を買いにスーパーに出かけて、もう既に水も保存食もなにもかもほぼ売り切れだったなかで、ニラを買ってきて途方にくれていたこと。『最後のニラを買ってきた』と娘が言い訳するように言ったことを思い出します」

2011年3月11日
「この日は、子供(小2)が学童に行っていた。妻はバイト。私は仕事中に地震がおき、夜まで帰れなかった。子供は、他の保護者が次々と迎えにくる中、とうとうひとりになってしまった。妻がバイトから帰って迎えにいったときは夕方になっていた。子供は妻の顔をみるなり泣き出した。『怖かったね』と声をかけると、『ちがう。◯◯くんにいじわるされたのが嫌だった』と言い張った。普段は、そんなことで泣いたりしたことは一度もなかった。なんど聞いても、ずーっとそう言い張るのは、地震の不安を口に出してはいけないと決意した何かの理由があるのだと思った」

2021年11月1日
「妻の胎動。左手の指の膜に、突いてくるような、すいこんでいるような、独特な感じ。妻のお腹に触れた指ではじめて子どもの存在を感じ取ったことを思い出します」

2015年4月25日
「16才のムスコがPCで自分でインターネットを始めた事が、私の知らない世界に彼が行ってしまう気がして動転し、PCを彼から引きはがしてうばってしまった。その後、彼から初めて置き手紙をもらい『貴女が謝らない限り、貴女とは口をきかない。』と書いてあった。そこに初めて私の名前が『◯◯さんへ』と書いてあったことが嬉しかった。その後彼に謝って許してもらった」

1995年1月17日
「阪神大震災の日。おばあちゃんの命日。おばあちゃんはイクラが大好きでした。おばあちゃんが元気だったことを思い出します。そして母も笑顔でした、私も母になるのでした」

2021年3月15日
「仕事が長引いて、娘の高校受験の合格発表のときに立ち会えませんでした。仕事から急いで帰宅すると、部屋で号泣しているのをみて、すべてがわかりました。親失格だと思い、切なかったです。娘の人生の一大事に、そばにいなかったことを思い出します」

2010年2月1日
「とある東京の私立大学の試験の帰り、予定していた新幹線に乗れず、自由席もたしか無かったため連絡部に立っていた。トイレのために車両を通り抜ける時に、同級生が座席に座っていたことを思い出します」

1995年1月17日
「地震当日は忘れられません。隣に妻が眠っていました。妻は妊娠3ヶ月と少し。仕事に行くか、妻に寄り添うか迷いました。結局、2人で歩いて大阪駅まで行き、そこから妻の実家へ。私は京都に仕事に出かけました。10ヶ月ほど別居。神戸の自宅に帰ってきたときには、子どもがいました」

1995年1月17日
「友達の部屋にいて、何かが飛んできました。拾ったらカネゴンのソフトフィギュアでした」

2022年1月17日
「友達の神戸の実家。はじめてお仏前に伺いました。1995年1月17日。友だち。あの日のこと。忘れられない、忘れたくない。時計が1:17になるたびに気になっています。あの時から今も。記憶はどこに行くのか。私も訪ねていい?また会えるかな。会いたいな」

1995年1月17日
「地震の日、余震が怖くて不安で家族で家を出て、車の中で過ごしたことを思い出しました。家が壊れるかもと不安で、停電でTVもラジオも点かず、車の中でラジオを点けていました」

『わたしは思い出す』刊行

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