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さいきょうのエンターテイナーと深夜の牛丼

チェーン店って、どこにでもあるのにな。
そんなことを 学校帰りにふと思うんです。
正門から、自転車でまっすぐ坂を下りて 信号の手前で曲がるとき、目立つ色をしたチェーン店が視界に入ってくるから。

“どこにでもある”お店で、“わたしだけの”経験をくれた人のお話を、させてください。日本全国、ほぼどこにでもある えんじの屋根の牛丼屋さんと、最強のエンターテイナーのお話。
今振り返ってみても、人生ではじめてであったエンターテイナーはあの先輩だ、と思います。

はじめて出会った、そして、自分にとってさいきょうのエンターテイナー。テレビでみる人たちとはどこか違うけれど、テレビに出ている人たちに負けないくらい面白くて、やさしい。

エンターテイナーは、歌う

自分が先輩にはじめてであったのは、大学に入学して割とすぐ。ひょんなことから入ることになった、イベントの企画委員会の歓迎会   の外で行われていた、ライブでした。

お話の「エンターテイナー」先輩とは別の、これまたあまり面識のない先輩から、Twitter経由で部活を紹介していただいて、見学に行った先で「ライブがあるよ」と教えていただき、日程がかぶってしまっているので、音だけ聞きます……!と心待ちにしていました。

「であった」とはいうものの、一方的に聴いていただけで、その時点でお話をしたことがあったわけでも、面識が特別あったというわけでもありません。何なら、その時点ではお顔も知りませんでした。うんと後ろから見ていたから 顔がぼやけて見えていたんです。

名前も知らないその先輩は、ただただ、楽しそうで。そのとき参加していた歓迎会の記憶もそこそこに、「なんて楽しそうなんだろう」と思ったのを覚えています。夕方、まだ春先だったこともあってどんどん薄暗くなっていくのに、先輩が歌う周りはスポットに照らされてるから、というだけでは説明できないくらい、きらきらして見えました。

部活やライブでなくたって、先輩はよく歌われます。自分には「歩くジュースボックス」という二つ名をつけられた(事実だけど)後輩がいますが、この先輩の血を引いてるのでは……?と思ってるし、初代ジュークボックスはこの先輩だろうな とか思っています

エンターテイナーの先輩は、笑っていう

そんなこんなでほとんど迷いなく入部し、活動に参加していけることになりました。 初めての活動で、はじめて「部員」として活動場所に行き、はじめての体験を繰り返し、楽しく楽しく、グループにいさせていただきました。

「初めてのグループ」で、自分には忘れられないことがあります。
新入部員のおひろめライブ、というものがあって そのために最初は課題曲を選んで、練習をしていました。 その序盤に、先輩から宿題が出ました。「曲の意味を調べておいで」というもの。
当時、一青窈さんの「ハナミズキ」を歌っていて、「ハナミズキ」という花についてや、曲の背景についてを調べていきました。 そして次の練習日のことです。グループのみなさん、あまり調べてこなかった、というか「調べておいで」という話自体がふわりと消えてしまっていたみたいでした。

調べてきたことを話すと、「お前はまじめだなあ!」と笑ってくださりました。調べてきてくれたって、とみんなに伝えながら。
自分は、「真面目だなあ」と言われたとき「やってしまったのかもしれない」と思いました。だって、今まで「真面目」といわれることについていいイメージをもってこなかったからです。
それを知ってか知らずか、今となっては先輩がどういうつもりで言ってくださったのかもわかりませんが、「こうやって調べてきてくれるやつがいて、はっきり意見が言えるやつがいて、音楽のことくわしいやつがいて、熱いやつがいて、穏やかに笑ってくれるやつがいて、個性って感じでいいよな きっとうまく行くよ」と(一言一句あってるか不安ではありますが)言ってくださりました。

このエッセイを書くにあたって先輩のことをいろいろと思い出していたのですが、このグループに限らず、活動中に、「先輩に笑ってほめてもらえること」がすごく多かったし、1つ1つ、コンプレックスや悩みを吹き飛ばしてくれるような そんなことが多かったなと改めて思うんです。

最強のエンターテイナー、先輩。

自分にとって、この先輩は「最強のエンターテイナー」だと思います。
私信エッセイを書くぞ、と決めて先輩のことを思ったとき、「さいきょうのエンターテイナー」という言葉がぴったりだと思いました。書き進めていても、これはぴったりだ、と見れば見るほど思います。

先輩とは、幸運なことに演劇部でもご一緒させていただくことができました。とはいえ、学年の関係などもあって、「舞台に立っている」先輩を見ることが出来たのは数回だったことや、自分があまり参加できない時期が多くて お会いできることは少なかったのですが……。
それでも、こだわりや熱をもっていろんなことを教えてくださったり、周りの先輩とわいわいしておられるのがとても印象的で、 先輩がいるとその場の空気が数度、熱をあげるような気がしていました。

アドリブとか、練習外で言われることや動きがなんだか笑いをさそうことが多くって、先輩も楽しそうで その周りにいる人たちも楽しそうで、 「人を惹きつける」って、きっとあの光景をことばにしたものなんだ、と思います。


最強のエンターテイナーと深夜の牛丼

部活に参加してしばらくたってから、「自分も楽譜を作ってみたい」と思うようになりました。 部活で使っていた楽譜は、先輩が作ってくださったもので 「作れること」への憧れがとっても強かったんです。

でも、音楽の知識も パソコンの技能もほぼゼロだった自分は、あまりに何もできないまま、「やりたい」という気持ちだけが先行してしまっていました。
いろんな先輩に助けていただいたものの、はじめてつくろうとしたときは詰んでしまいました。でもしばらくして、短めの曲を作ることが出来たとき、先輩に「見ていただけませんか…?」とLINEを送りました。今考えると、めちゃくちゃおいそがしい時期だったと思います。でも、先輩はいいよーって言ってくださって、おいそがしいのでは、とか気がつけてない自分はお言葉に甘えて、部活の練習が終わった先輩に楽譜を見ていただいたんです。

そこから、音楽の基礎的なことやアレンジの仕方など、時間を見るのも忘れて教えていただきました。ふと気がつくと、大学の門が閉まる直前。夜遅くになっていました。

先輩は「長い時間申し訳ないな」ということで頭いっぱいの自分を、帰り道の牛丼屋さんに誘ってくださりました。

上手くできない楽譜に時間使わせてしまってすみません、というと、「すきでやってるから」と笑ってくださったことや、「がんばってくれてるのも楽しんでくれてるのも、嬉しい」と言ってくださったこと そのほかにもいくつかお話したり、専攻のこととか“部活外のこと”もちょっと伺ったり 個人的にとっても濃くて いまだに奮い立ちたいときに思い出したり、「先輩だったらなんて言うかな」と 後輩と自分とが話をしているときに考えたりするのは、この夜、このお店で話していただいたことがたくさんあります。

あの日から、自分にとってあのチェーンの牛丼やさんは 「がんばりたい時」や特別な相手と行きたい場所になりました。

エンターテイナーは、牛丼がなくたって

先輩が卒業なさって、1年と半年が経ちました。昨年度も、直接お会い出来る機会はなかったものの、LINEで相談をさせていただいたり、先輩からいただいた言葉に力をいただいたり。 

勿論というか、まあ件の牛丼屋さんであうことも無い訳ですが、なんとなく 会える気がして足がむく日があります。

先輩みたいな最強のエンターテイナーになるのは自分には難しいけど、先輩に牛丼屋さんでいただいたみたいな、“力になれる言葉”や“うれしくなってもらえるようなほめポイントの見つけ方”をもった人になりたいな、と あのえんじの屋根を見るたびに思い出します。

いつか自分も、誰かに牛丼屋さんで思い出してもらえるような人になりたいな 憧れています

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