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仕事の仕方を変えれば、環境と評価は変えられる。

 はじめまして。note初投稿ということで、自己紹介は簡単に、現在社会人12年目になりましたが、その12年間の中での社会人1~5年目の時代に絞り、ターニングポイントだったり、働く意識の変化なんかをせきららに記載させていただき、20代の働く皆様やこれから社会人として働く予定の皆様に少しでも参考になればと思います。また私の人となりがなんとなく伝われば幸いです!

簡単に自己紹介と学生時代の経歴

・兒玉卓也(こだまたくや)1986年(昭和61年)生まれ。現在33歳。
身長185cm。AB型。おとめ座。血液型通り多少2重人格の傾向あり。部下からはサイコパスって良く言われます(笑)、とは言っても基本温厚で滅多に怒りません。
・趣味はゴルフ、ダンス、スポーツ観戦、アニメ鑑賞など。
・東北の超田舎出身、田んぼと山に囲まれて高校卒業までの18年間を過ごす。小学校は野球部だったが、運動があまり好きになれず途中で退部。
・中学校から友達の誘いでバスケットボールを始める。高校もそれなりにバスケが強い高校に進学。県準優勝の実績を上げる。
・田舎を脱出したく、大学はスポーツの実績をうまく活用し、関東の大学に進学。推薦で入ったのに、バスケは1年で辞め、残り3年間はストリートダンスサークルに入る(大学生っぽいことがしたい、モテたいくらいの動機で)。卒業年度は会長を務める。
・教員志望だったが、やはり社会人にチャレンジしたくなり、就活を開始。現在の某人材サービス大手の会社に内定をもらい、2009年のリーマンショック全盛期の年に入社。現在は同会社の求人広告部門の営業部長。

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社会人1年目の苦労 ~プライドの塊~

 ここから社会人になってからの自分の過去の働き方をターニングポイントごとに詳しく書いていきます。

 2009年のリーマンショック直後でしたが、内定切りなどは無く無事今の会社に入社。同期は全国に150人くらいいました。「華の09」なんて採用チームからは呼ばれてましたね。そして、会社の中でも立ち上がって1年弱しか経っていないアルバイト向けの求人広告を取り扱う事業部への配属が決まりました。

 当時の私は、ある程度高校でも中心で盛り上げるタイプ、大学のサークルでは会長を務めていたのもあり、コミュニケーション能力には圧倒的な自信がありました。それで営業職が適職だと判断し、「正直売れないはずがない」という圧倒的な自身を持って入社しました。ところが、、、
全然売れませんでした。不景気のどん底の年でしたが、そんな環境要因があったとしても、同期の中では下から数えた方が早い順位、与えられたノルマも入社して11カ月間未達成という悲惨な状況でした。
 ですが、当時の私はこの事実を真摯に受け止めることができませんでした。だって、自信満々・プライドの塊だったので、このプライドを折るなんて考えられませんでした。売れない理由を環境のせいや、上司のせい、商品のせい、売れない理由を日々、自分以外の項目で探す毎日でした。売れない原因で上司との面談で説教され、それに対しても反抗するみたいな時期もありました。今思えば本当に生意気で扱いずらい新入社員でしたね(笑) PDCAなんてもちろん回すイメージ無かったので、今の新入社員の子の方が見ていて自分の1年目より優秀だなって感じることもしばしばです、、、。

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社会人3年目の転機 ~厳しさの中の価値観の破壊~

 そんな状況で2年間過ごし、引き続き成績に関しては予算達成ができない月の方が多い状態が続きます。自信だけはある、でも売れてない、本当に恥ずかしい日々です。
 そして社会人3年目の春、転機が訪れました。組織変更による新しい上司との出会いでした。とにかく厳しい上司でした。私の凝り固まったプライドの塊を削り取るくらいの破壊力がありました。今でも覚えてる価値観を破壊された当時の上司の言葉です。

 とある提案内容の相談にて、
私「この売り方だと社内に迷惑かかりませんか?」
上司「売り方とか気にする前に、お前が売れない方が迷惑だわ」

 もう約10年前ですが、かなり強烈に今でも覚えてます。働く価値観とプライドが崩壊した瞬間でした。
自分の行動をあまり顧みず、いつも斜め上から客観的に自分のことしか眺めてなかった私が、初めて主体的に物事を考えるきっかけをくれたひと言でした。要は、何のために働くのか?の目的意識と、会社に貢献しなければならない当事者意識が本当に足りないんだなと、自覚した瞬間でした。大きな会社に入って、ただただ環境に甘えてるだけだなと。
そこからはプライドを完全に捨てて、上司の発言や考え方をひたすらコピーするという日々が続きます。
実績を上げている同期や先輩にも積極的にコミュニケーションを取るようになりました。
顧客のためにもっと何かできないか、時間を気にせず考えるようになりました。
3年目にして「自分はこういう営業になりたい」とう理想像が見え始めた年でもありました。
上司にとっては些細な一言だったかもしれませんが、受け手にとっては本当にありがたい大きなきっかけになりました。

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社会人3-5年目 ~強みの作成と長所の最大化、評価される人財になるために~

 さて、ここまで自分の若手時代の話をしてきましたが、ここからが本番です。どのように実績を積んで、社内や顧客に評価してもらえるか?そして今回のnoteのタイトルでもある「仕事の仕方を変えれば、環境と評価は変えられる」の具体的な部分です。
 前段で述べた通り、働く基準と当事者意識は素敵な上司との出会いにより改善することができました。成績も人並みには迷惑がかからない程度には残すことができるようになってきました。ここからどのようにステークホルダーから評価されるような人財になるには、という思考に私自信変わっていきます。
 まず意識したことは、自分にしかない強みを発見し、長所として最大化させること、短所や弱みの改善は考えない、ことです。いわゆる選択と集中というやつです。

■当時の強みに関して
・事務処理能力が高い、仕組み作りができる
・大量掲載の案件を取り扱うツールが操作できる
・派遣会社の担当が多く、他の営業よりも派遣業界の知識が豊富
・応募をだす原稿の書き方の引き出しが多い
■当時の弱みに関して
・PUSH型の営業、クロージング能力が弱い
・行動量を担保することが苦手
・アウトプットの能力は低い

という感じでした。この中で私は、「仕組み作り」「派遣業界への知識量」の2軸の強みに絞り、長所として最大化させる方向で動きました。当時、東京の新宿・池袋のエリアを担当しており、派遣会社が多く点在しているエリアというのも今思えば運が良かったと思います。その時の上司にも、まだ取引が無い派遣会社の担当を自分に変更してもらえるよう直訴したり、エリア外の派遣会社も勉強のために同行させてもらって情報収集したりと、この2点に絞って徹底的に日々営業活動を行いました。
 ここで伝えたいポイントは、
①なんでも良いので自分の営業の強みを見つけること(ここだけは負けない
 と思えれば尚良し、思い込みでもOKだと思います)
②その強みを活かせる環境を周りに協力してもらってでも作ること
③環境を整備してもらったら、会社・上司の期待を超える実績を残すこと、④短所は1回捨てること。 
 この4つが上手く合わされば評価される人財に近づけると思います。そして、気づけばあなたの働き方は変わっているはずです。

最後に 

 長文になりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!
前半は反面教師として、後半は今の働き方に+αの観点で読んでいただけたら幸いです。
次回は時間がまたある時にマネージャーになってからのマネジメントの失敗事例、成功事例なんかを投稿できたらと思っています。
 以上、改めてご拝読ありがとうございました。

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