カラフル猫-jpeg

初小説 "色" -序章-

-序章-

家を出るとまっすぐ白く伸びる道の脇に一本の電柱が立っている。
5メートルほどの高さがある。
その電柱の天辺には猫が佇んでる。
上向きになって寝てるのか、仰向けか本当のところはわからないが、佇んでいる。そこに存在している。

僕の街を守ってくれてるのか、日本を守ってるのか、次元を超えて宇宙人と交信してるのか定かではないが。

大きさは一般的な両手で抱えきれる範囲の猫だろう。多分。
なんせ、5m先の距離で佇んでるから少し曖昧。

ただ、これは絶対と言えることがある。

その猫の色は”カラフル”なんだ。

その模様は日によってランダムで、シマウマみたいにストライプ模様の日もあれば、市松文様みたいにオセロの台みたいに四角区切りの日もあれば、塗料や絵の具をたらしたり、たたきつけた模様もあるし、そんな模様西暦3000年になっても見つからないだろう。。っていう正体不明のぶっとんだ柄?模様?それとも進化の途中?みたいなのもある。。。

僕はその猫を"紅白最後の猫"と呼んでる。

"紅白最後の猫"ってセンスのないネーミングセンスだな。と君は思ってるかもしれないが、そんな事はない。
猫でいいじゃん。名前余計に長くなってるじゃんと思うかもしれないが、、、確かに。


由来はこれだ。
テレビ局NHKが1951年から大晦日に放送している男女対抗形式の大型音楽番組、紅白歌合戦。をモチーフにした。
長寿番組であって、見どころはなんといっても、歌より衣装にある。

大晦日になったら友達と遊びに行きたいのに家族揃ってこたつテーブルを囲み、宅配寿司を食べながら紅白歌合戦を見るのがなぜかルールになってる。
僕はそんなルールブックに同意してもいないのに。

おとん、おかんは言う。
「この5人組だれだっけ?わからないけど、秘密を抱えてるような歌声してるよね」
「お!俺もそれ思ってた。」
なんだそれ。秘密を抱えてるような歌声ってなんなんだよ。そして、それに同意しちゃってるじゃん。おとんよ。
なんのためもならない会話がしょっちゅう。
ま、ちなみにいうと、こんなしょうもない事言ってる親が

好きだ。


話を戻す。
僕は歌声とかどうでもいい。さっきも言ったけど、紅白の魅力は衣装だ。
歌うことに力を入れずに、洋服に力を注いでる姿を見ると、僕はそこらへんのバラエティ番組より笑けてしまう。
歌の練習なんかせずに、衣装選びに多大の時間を投資する。無数にある色から一つ一つ調合していく。
そして、その姿はレディーガガ。レディーガガの祭りだ。

そんな紅白"衣装”合戦のトリをこの猫が努めてもインパクトでは誰にも負けないんじゃないかと思いそんな名前をつけた。
更にいうと、僕たち人間は近代化とともに洋服というものを着るようになった。洋服は本来自分の姿を写せないものであり、何者にもなれる変幻自在のアイテム。
それに比べて、僕が大好きな”紅白最後の猫”は服など着てない。地肌だ。
人間だったら裸にタトゥーを彫りまくってるやつ。
すごくね?
だから、トリを務めれると思ってる。

ただ、いつの間にか僕は紅白最後の猫だ大嫌いになっていた。
だって、僕ら、いや、僕から平和と"あれ"を奪っていったんだもん。

「あんな"やつ"いなければよかった。」



・・・・つづく。


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