PTA

こんにちは!アニエスです。

今日は小学校の保護者会がありました。何もこんな時に集まらなくても…と思いつつ久しぶりの学校に「親の仮面」をつけスリッパ持参で向かいました。

「今年は狙い目」の違和感

懇談会の趣旨としては1学期の学習の内容や家庭で注意してもらいたいことの共有がありますが、その後の「PTA役員決め」が真のメインだったりもして母親たちはある種の覚悟を決めて挑んでいる感は否めません。去年PTA役員を勤めた母親たちが前に出て今年の選出について案内文を読みはじめました。立候補者に挙手を促すと10数名の母親が手をあげてジャンケンが行われました。

ちょうどわたしの隣に座っていた知り合いのお母さんがポツリ。

「(ジャンケン)負けちゃった。今年は狙い目だったんだけどね」

話を聞けば、コロナの関係であらゆる学校行事が取止めとなり、それによって例年に比べるとPTA役員の仕事がうんと楽になるから「やるなら今年」と見込んで立候補が多かったのだそう。


PTAは兵役か

「今年は狙い目」の言葉がどうも引っかかって耳をすませば、「子供一人につき1回やらなきゃでしょ」「役員やったかどうかカウントされてるらしい」「お兄ちゃんの時にやったからしばらくはお休みしたい」という声が聞こえてきます。やりたくないけど必ず1回はやらなきゃいけないから自分のベストなタイミングあるいは可能な限り楽な方向で済ませたいということらしい。どこに書かれているでもないのに高学年より低学年の方が役割が楽、という定説まであるのですから、これではまるで徴兵制度です。「やりたくないけどやる」のが本当に子供のためになっているのでしょうか。


おかしくてたまらない

そもそもPTAについて紐解けば、女性が家の外で報酬を得る(外貨を稼ぐ)ことが制限されていたことからはじまります。いま現在でも懇談会に参加するのが全員母親という状況を見ても「家のことは女性の仕事」という構図は女性の社会活動が制限されていた大昔とほとんど変わりません。女に外貨を稼ぐことを許さない一方で、「子供たちのため」という名の無償の愛の搾取が行われるようになりました。女の労働はどんなに価値のあるものであっても無報酬でなければならず、活動するためのリソースにお金をかけることは許されないので女たちの時間と知恵を無限に提供しなければ成り立たないシステムが出来上がりました。

自称フェミニストのわたしとしては、平日に(たかだか1時間のために!)懇談会が開かれることや参加者が全員女性であるということ、女性の時間をさらに搾取しようとする取組みに嫌々手を挙げる母親たちがおかしくてたまらないのです。


「やりたくない」って言えない雰囲気

PTAの活動そのものを無駄だとかいうつもりはありません。登下校の見守りは子を持つ母親としては安心できるありがたい取組みです。ただ、このご時世家庭の状況は様々です。母親業が得意な人もいれば、ちょっと苦手だと思っていて外で思いっきり働きたいという人もいるでしょう。あるいはわたしのように人付き合いが苦手で面倒だと思っている人もいるはず。子供を人質にとって「みんながやっているから」と村八分を連想させるような脅し文句をお互いに掛け合い「仕方がないよね」で片付けられてしまう仕組みが連綿と続いている。おかしいと思いませんか。


新しい関わり方

このご時世、同じ地域に住んでいても隣の家はパラレルワールド。家庭の格差は広がっています。現実問題、生活支援や学習支援が必要だと問題を抱えている家庭も増えているはず。みんな一律に同じものを揃えて新しく何かをやるよりも、問題を抱える家庭が何のためらいも感じることなく手を挙げることができてそれを自然な形でサポートする仕組みがあるといいんじゃないか。

地域のバザーSNSを促進したり、就労家庭の児童を預かったり、小さな単位での子供食堂をやってもいいでしょう。繕い物が得意な人、勉強を教えるのが得意な人、地域のおじいちゃんおばあちゃんのうちにプチホームステイするのも子供達にとっては勉強になるはずです。これからの「おうち時間」が中心の時代に合わせて地域で共生していけるような取り組みを考えてもいいのではないか。絵空事でしかないのかもしれませんがそんな風にして少しでも誰かのためになることを考えていったら本当に必要な活動が見えてくるはずです。


今年は兵役を免れましたが、この制度本当に見直されないだろうか。

切に願います。



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