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暑さ寒さの思い出 2024年5月【4】

大人になるまでに、あちこちで暮らした。初めに住んだのは東京都中野区。小学校に上がる時に長野県松本市に引っ越した。風光明媚な土地だが、まだ子供で、そういうことには関心がなかった。

それでも、最初に訪れた時の日差しの強さは忘れられない。4月の頭だったが、なんてまぶしいんだろうと思った。「東京に比べて日が強い」と感じたわけではない。でも記憶に残っているということは、それが印象的だったからだ。

夏は涼しく冬は寒い土地だが、体感として覚えているわけではない。服装の記憶がある。東京では冬でも半ズボンだったのに対し、松本では長ズボンを穿いた。

5年生に上がる時に大阪府岸和田市に引っ越した。夏に外で遊んだ記憶がない。涼しい部屋でテレビゲームをしていたことを覚えている。松本より暑さが厳しかったからだろう。

この時期の風景を思い出そうとすると、どうもジメジメとした曇りや雨の日になる。松本ではそんな日が少なかったからではないかと思う。

中学に上がる時に、埼玉県川越市に引っ越してきた。この年頃に至って、ようやく気候に目が向いた。春夏秋冬、晴れの日、雨の日。すべて記憶にある。

野球部に所属していたことも重要な要素だ。炎天下の練習で、意識がもうろうとなる経験もした。冬は寒さで手がかじかむためキャッチボールもしない。ランニングやサッカーなどをして体力づくりに励んだものだった。

高校時代の夏の日、ある教師が、授業中に下敷きであおぐ生徒を叱った。教師はあおがずに授業をしているのだから我慢しなさいということだった。教室に冷房はない。扇風機もなかったと思う。みんなで我慢して、つらい夏を過ごしていたのだ。

大学に入って、初めて教室に冷房がある喜びを味わった。ここで印象的だったのは、授業中に水分補給をする学生がいることだった。しかも机に飲み物を出したまま。

先生は彼を叱るに違いないと考えてヒヤヒヤした。しかしこんなことに構う教師はいなかった。高校では水分補給どころか、冷房のない教室であおぐことさえ許されなかったのに。なんと自由なところに来たものだと思った。

ただこれは教師次第だ。高校生の頃、とある大学の説明会に行った。その会場で、マイクを持った教師らしき中年男性が参加者のひとりを注意した。「君、室内だ。帽子を取りなさい」と言う。

たしかに室内では脱帽すべきという礼儀は存在する。しかしその言い方が居丈高で、私にはとても印象が悪かった。

いつも接している生徒に対してであれば、一応理解できる(それでも不快だが)。しかし説明会の参加者というのは、初対面の客ではないか。それでこの言い方はないだろう。この大学には入学するまいと思った。

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著者は1985年生まれの男性。 不登校、社会不適応、人付き合いが苦手。 内向型人間。HSP。エニアグラムタイプ4。 宗教・哲学(生き方)…

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