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この世界の労働観の歪み 2025年1月【2】
YouTubeで「あぎるラジオ」というチャンネルを運営している。
2018年2月開始。そろそろ7年になる。現在646本のコンテンツを公開している。ほとんどが音声のみだが、最近は動画を撮影しながら話すスタイルに移行しつつある。
なぜこうしたかというと、音声のみのコンテンツに飽きたから。音声は編集していて面白くない。
自分が飽きないための工夫だ。自分がつくっていて楽しくないものは公開したくない。編集していてつまらくなったら、そこで作業を止める(だからお蔵入り作品が大量にある)。
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私は働いている。無職ではない。今読者は「あれ、アルバイトでも始めたのかな」と思ったかもしれないが、そうではない。
私は去年1年間で、noteに44記事、YouTubeに55本の動画を投稿した。どう考えても働いている。肩書は何でもいいだろう。芸術家、アーティスト、著述家、文筆家、創作家、動画クリエイター等々。
私はこの社会においては無職扱いだが、単に社会が間違っているだけ。特に日本語における「働く」の意味はあまりにも狭くて情けない。お金が発生する労働のみにしか使用されない。
芸術も学問も「働く」に含まれない。ただ金稼ぎだけが「働く」と認識される。参考までに、英語の「work」には単に物事に取り組む意味も含まれている。
日本語の「働く」という言葉の意味の狭さから、日本人の労働観の歪みと、心の貧しさを感じる。創作活動をしていても、お金を稼いで自活していないと貶される。心を殺して死んだ目で働いていても「とにかく働いているんだからえらい」となる。日本人は無宗教ではない。金稼ぎ労働を信仰している。
ほかの国でも、多かれ少なかれそうだ。日本だけの問題ではない。だから私はこう言わなければならない。この世界が間違っていると。
私は働いている。来る日も来る日も、創作に励んでいる。
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