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石牟礼道子が私にもたらしたもの。

昨日の夕方は、お酒を飲まなくてもさほど辛くなかった。この違いはなんなのか?チップがわかれば、それに沿って行動すれば辛くないはずだが、今のところはまだわからない。

本棚を整理していて、石牟礼道子の「苦海浄土」が出てきた。石牟礼さんの本はこれと、いくつかのエッセイしか読んだことがない。

しかし、私にとってはとてつもない出会いだった。

私の父は、とにかく押し付けがましい人で、幼い頃から沖縄戦、原爆、ベトナム戦争、といった悲惨な出来事を見せて学ばなくてはいけない、と集団自決の写真が載った写真集や、灰谷健次郎の小説などを私に買い与えて読ませた。

幼い私は当然のことながらとてつもない恐怖とトラウマに陥り、ひめゆりの塔では下を向いて一切展示物が見られなかったし、原爆資料館は途中で警備員を押し除けて出てきてしまった。しかしそうすると「見なくちゃダメだろ」と叱られたのだ。

そうやって人間形成された私は、なぜか「辛いものを見なくてはいけない」という使命感に駆られるようになり、大人になってからも積極的に辛い出来事にコミットしたがるようになってしまった。

御巣鷹山の現場で遺体を検分した医師の本、インドのアシッドアタック、「夜と霧」、ヒロシマの被爆者の自伝など、辛くて辛くて泣くのだが、「目を逸らしてはいけない」と見続けた。

トラウマになるのは、私が感受性が強くて、それは弱くていけないことだと思っていた。「見ても大丈夫になるまで強くならなくては」と本気で思っていた。

水俣病はその中でもかなり上位に位置付けられる「恐怖」の対象だった。しかしあるとき石牟礼道子さんの「苦海浄土」を読み、NHKの「日本人は何を目指してきたのか〜知の巨人たち〜石牟礼道子」を見て、「ああ、感受性が高いというのは一つの個性であり、それはあってもよいものなのだ」と思ったのだ。

石牟礼道子はまるでシャーマンか巫女のように、水俣病で苦しんでいる人に寄り添って物語を作り上げた。公害に侵される前の水俣の海の美しさ、人々の実り豊かな生活、それから公害が起きて地獄に突き落とされる人々・・・とてつもない豊かな美しい表現が並んでいた。一人一人の村人の人生が、キラキラした感受性に受け止められていた。

石牟礼さん自身の恐怖との戦い、というものは、直接どこにも描かれていないが、彼女は「そこにあるもの」として、自然に自分の感受性を生かしていたのだろうか。

とにかく、私はこの出会いによって救われた。夫の助言や友人からの「辛いものを見たがるのは自傷行為だ」という言葉もあり、だんだん積極的には辛いものに関わるのをやめることができた。世界の片隅で辛い思いをしている人がいることを知るのは大事なことだが、それを見て私がいちいち深く傷つき、その傷を溜め込む必要はないのだ。

石牟礼さんはエッセイも素晴らしく、「食べごしらえ おままごと」という本は、彼女の子供の頃の生活、特に食生活が描かれている。そしてちょっぴりドジなところもあるのが、なんとも微笑ましかった。

私はお取り寄せでズルして?はいるが、とりあえず昔ながらのお味噌や梅干しなどを自分で作る経験をしていてよかった。と、つくづく思った。

続く





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