二回目の料理教室。ガレットについて学ぶ。なりたい自分とは?
昨日は、先月から意外な出会いで知り合った料理研究家の方のお宅に伺う料理教室の二回目だった。表紙の写真は、先生がテキパキと作り上げたお題のお料理。
プロのお仕事はとにかく早い!おしゃべりしながら幾つも並行して作業を行い、あっという間に四品作り上げた。どれも素材の味が活きた、しかし絶妙な塩加減で、軽くてパクパクと食べてしまった。今回もまたチップがたくさんあった。イカの火入れの火加減とか、小さいトングの使いこなし方など。早速真似したいものばかりだった。
帰りに足を伸ばして、神楽坂の有名なガレット屋さんへ。レストランは長蛇の列だったが、ショップで色々と見ていたら、立派なレシピ本とガレットやクレープ用の可愛いフライパンを見つけ、挑戦したくなってつい購入してしまった。
レシピ本など買ったのは久しぶりだ。全てが美味しそう。工夫を凝らしてあって、アイディアが満載なので、色々なガレットやクレープを作りたくなってしまった。
早速夕飯に・・・。
うーん・・・。難しい!生地の味自体はとても美味しくて、フライパンもこびりつかないのでカリッとはしたのだが・・・生地が想定よりもだいぶ粘度が高くて、広げられない。SNSに載せたら、あっという間に先ほどの教室の先生からご連絡をいただいた。曰く、フライパンよりも、縁のない鉄板の方が良い。そして、生地を広げるにはトンボという広げる器具がないと難しい。なるほど!先生は貸してくださるとおっしゃっているが、堪え性のない私は買ってしまいそうだ。
せっかく買ったフライパンだが、生地の粘度が薄く、サラサラしているクレープや、薄焼き卵、オムレツなどは完璧にできそうな形状をしている。せっせと使おうと思う。
先日からお題として出ていた#なりたい自分。投稿は間に合わなかったのだが、ものすごく深く考えてしまった。なりたい自分。今まで考えたことがあっただろうか?下記は途中まで書いた原稿。
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ずっと「本当にやりたいことは出来ない」と思って生きてきた。
子どもの頃から絵を描くことが好きで、美大を受験したが、滑り止めしか受からなかった。それでも楽しく勉強していたが、途中で病気になって中退。それ以降はなんとか生きるために、少しでも自分の能力が発揮できることを探して仕事にしてきた。
ソムリエの資格をとって、ワインの仕事もしたし、英語を勉強して外資系企業をずいぶん渡り歩いた。
しかし、楽しいと思ったことはあったのだろうか?大病が寛解した後は、治っただけよかったと言われたものの、いつも何かが私の邪魔をしている気がして、ずっとイライラしていたし、仕事に打ち込み過ぎて今度は鬱病になったりした。
結局ほとんど積み重ねがなく、50歳を過ぎて、更年期障害も落ち着いたところで、どうしたらいいのか分からなくなってしまった。
料理が好きで、ワインの知識があり、何かそんなことを仕事にしたいが、何ができるんだろう?
ずっと本ばかり読んでいたので、文章を書くことが大好きだが、それは仕事につながるのだろうか?
優しい夫がいるので、明日のお米に困るわけではないが、働かなくては自由になる分の余裕もない。
また外資系企業で働く?この歳で再就職となると、派遣ぐらいしかないだろうか?
しかしあまり気が進まないのだ。今まで思ったことがなかったが、今更ながら「やりたいことをして生きられないだろうか?」と思うのだ。
そんな贅沢な、と言う人もいるかも知れない。しかし、やりたくないことを我慢してずっとやり続けて生きていくなんて、勿体なくないだろうか?せっかく生まれてきたのに。
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昨夜夫と二人でこの件について話し合った。やってみたい、行ってみたい、と思うことは、行動した方がよいのではないか?ということ。夫は、もちろん老後のお金を崩すほどのことはできないが、何かできることがないか、何か新しい発見を掴み取ることはできないだろうか?ということについて、チャレンジしてみては?と言う。私も、ここ何ヶ月か、なんとなく殻を破りそうな気配だけを自分に感じているが、まだそれが具体化していないもどかしさを夫に話した。
もどかしい、ちょっとモヤモヤする、と言っても、ネガティブな気分ではないので、そこをうまくエネルギーに持っていけないか。お酒をやめて、気持ちが明るくなったのも随分大きなきっかけというか、変化を生むための土壌になっていると思う。
チャンスを選んで掴むには、プロアクティブであること。これは大前提。そして毎日を楽しく過ごすこと。これだけでも、今までの人生ではなかったことのように感じる。
さて。どうなりますことか。
続く
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