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名古屋のIT企業で働くとあるワイン好き広報の自己紹介 〜迷走の学生時代と過酷なリクルート時代、人事への転職〜

株式会社エイチームで広報を担当しています。エイチームは、インターネットを軸に多様な事業領域にビジネスを展開する総合IT企業で、スマートフォン向けゲーム/ツールアプリや日常生活に密着したWebサービス/ECサイトを運営しています。エイチームでは、インターナルコミュニケーション、採用広報、ブランディング全般など幅広く担当しています。前職はリクルートでHR系広告メディアの営業を4年、2015年にエイチームへ転職。人事として中途採用を担当し、その後に広報へ異動しました。ワインエキスパート資格を取得するほどワインをこよなく愛しています。休日は、サウナ、ジム、読書、ワイン会、ゴルフ、犬と遊ぶという過ごし方です。

と、淡々と略歴だけではつまらないので、学生時代まで遡って、過去を振り返りながら自己紹介します。自分史に近いかもしれません。

「人」を理解するため「社会心理学」を専攻した大学生時代

高校卒業後、地元名古屋の大学に進学し、社会心理学を専攻していました。

社会心理学とは、人と人、個人と集団や社会といった組み合わせの中で、人や集団はどのような行動をとり、そこにはどんな法則性があるのか、その行動によってどのような問題が生じるのかを研究する学問である。 これは、人は社会現象をどのように捉え、どのように行動を変えるのか、という個人と状況の相互作用を研究する学問である。社会心理学 - 科学事典より引用

なぜ社会心理学だったのか。私が「人」が理解できず、人付き合いがずっと苦手だったから。集団に所属する価値・意味・意義が見いだせず、ひとりの時間を過ごすのが好きでした。

同調・共感ができず、疑問や思ったことなどストレートな本音を相手にぶつけてしまう。共感性や協調性がない…つまり社会性がなかった、と今なら思います。

当時は結構悩んでいて、この現象を「感情」で理解するのではなく、学問的なアプローチで概念からしっかり理解して習得すれば解決の糸口になるのでは…という考えで、心理学の専攻を決めました。

心理学の勉強は性に合っていて、抽象かつ概念的なことをぐるぐる考えることが好きだったようです。哲学や歴史、心理学、この領域は全般的に今でも非常に興味深いです。(ちなみに、卒論のテーマはなぜか「不貞の心理」で、教授が最近再分析をして学会誌に載せてくれた)

準備ゼロの就職活動と就職の失敗

学校の授業は最低限にこなしつつ、とにかくバイト&夜遊び三昧だった学生時代でした。「働く」というイメージが全くなかったので、就職活動はありり本気でやっていませんでした。大学3年の3月ぐらいにようやく説明会とか適当に参加する…程度のもので、応募先の企業の志望度も低く、あまり良い就職活動とは言えませんでした。※しかも2011年採用とリーマンショック後の就活で内定率が非常に低い時代。厳しかった。

いよいよ焦りだし、ようやく自己分析なるものをしてみました。自分が仕事を通じて世の中にどのような価値発揮をしたいのか。何が強みでどう活かせそうなのか、考えてみました。昔から本(小説も実用書も)が好きで、高校時代は文芸部員として活動(全国高等学校文芸コンクールで入賞して愛知県代表で全国コンクールに参加)した経験もある。その特徴を活かして、価値ある情報を文章として世に送る仕事をしたい、そう考えて、地元の出版社に応募して、内定をもらいました。

ところが、世の中は不景気。特に出版業界は出版部数を減らして経営が厳しい。内定後は内定者アルバイトとして働いていたものの、正社員として入社する予定の1か月前に、内定取り消しを言い渡されました。引き続きアルバイトを続け、5月いっぱいで退職しました。悔しかったです。

20代の成長環境がある会社で、ビジネスパーソンとしてのスキルを身に着けることができる会社で働こう。悔しさをバネにそう決意して入社を決めた会社が、求人メディアを扱うリクルートのグループ会社「株式会社リクルートジョブズ(当時はリクルートHRマーケティング)」でした。

社会人としてのスタートはリクルート

私のビジネスパーソンとしてのスタンダードは、リクルート時代の経験による影響が大きいです。リクルートで勤めた4年は、経験やスキル、出会った仲間、仕事への向き合い方など、私の人生において大切なものです。

ビジネスの基礎を学び、業績達成=企業で働く使命だと認識
既卒でリクルートに入社しているため、第二新卒という扱いでした。2008年のリーマンショックからの景気回復期の時期でしたので、人材系の会社が営業職採用を強化しはじめた時期でもありました。名古屋のエリア社員(転勤なしの地域限定社員)として入社。新卒入社ではないので、最低限の入社オリエンを東京本社で3日間終え、すぐに拠点へ配属。すべてOJTで仕事が始まります。

私の所属していたリクルートジョブスは「タウンワーク」や「はたらいく」「とらばーゆ」といった求人媒体を扱います。週刊メディアですので毎週入稿がありますので、目標設定は「週」「月」「四半期」「半期」「年」とあり、常に締め切りと売上目標に追われる仕事でした。

リクルートのメディア営業の中でも、顧客数の多さや締め切りの多さなどからして、最も過酷と言われる仕事でした。

競争意識が強い性格だったことが幸いして、未達が嫌すぎてがむしゃらに営業を頑張ったら、連続達成は当たり前、拠点MVPは常連で、売れっ子でした。

次第に目標達成することは、仕事をする上での義務だと思うように。そのため、決めた目標や目的のためには、手段を選ばず、達成できることならなんでもやる、そんな強引さが身についた時期でもありました。

圧倒的な成果を出すビジネスパーソンを目指して
仕事は楽しく、日々の売上数字が伸びていく売上管理表を見るのが大好きでした。2年目を過ぎるとある程度仕事が飽きてきます。売れますし。

そんなときに転機が訪れます。担当顧客の広告出稿状況が落ち着いてしまい、売上が一気に厳しくなりました。新規開拓営業をするものの、提案が減るので暇になります。売上も下がります。業績達成は義務だと信じている自分にとっては非常にしんどい時期で、自己否定感が強かったです。

あまりにも暇。でも営業が会社にいると怒られる(外出しない=営業をしていない、となる)。ということで、なんでもよいから用事を作って営業に行く振りをしないといけない。

そこで考え付いたのが、「求人広告の営業以外に、採用のことなら何でもやります屋」です。社員の定着率が低いという課題があれば、社員数名にヒアリングをして、報告書と改善案を作成して提出。採用面接に自信がないという企業には、これまた勝手に面接に同席して(個人情報的にはよろしくないけど)、面接で改善すべき点を報告書としてまとめて提出したり。クライアントの企業の強み・特徴を分析するため3営業日くらい終日営業同行して、情報収集して、レポートだしたり(この時のレポートが、その企業のコーポレートサイトの自社の強みページにコンテンツとして掲載された)。

全くもってただ働きもいいところです。この行動で直接売上につながった事案はゼロです。もはやボランティアです。

ですが、この行動をとると不思議と意識が変わりました。ただの採用広告屋から脱却したのです。採用広告は人材採用するための手段であること、人材採用はその企業の長期的なビジョン実現のためのもの、と思うようになりました。そこから、私の営業のモットーは「採用は手段、企業の長期的な成長を支援」へ。

厳しいと思った売上も、四半期末には持ち直して達成することができましたし、その後の売り上げもクライアントの出稿状況に左右されず安定的な売上を構築できるようになりました。

この時の考えが、将来的に私を人事という仕事へ誘うのでした。

一緒に働く仲間に感謝
学問的に社会心理学(特に対人心理領域)を専攻するほど、人付き合いが苦手でした。そして、東京タワーより高いプライドで、同年代の子たちと仲良くなるには時間がかかる。

それでも、リクルート時代に出会った同期や仲間は今でも大切な存在です。多分、同じ苦しみを味わった同士の独特の仲間意識だったのかな、と。(※リクルートは個人業績主義なのでチームで一緒に何か協同することはほぼなかった)

よき友であり、よきライバル。そんな程よい距離感が、私にはちょうどよかった。

リクルートとの決別
2012年に持株会社体制へ移行して株式会社リクルートホールディングスに商号変更、2014年には東証一部へ上場。この頃のリクルート社内はお祭りモードでテンションが高かった。

2015年に、私が所属するリクルートジョブスで営業戦略の大幅な変更が発生。対外的に発表しているので書きます。

リクルートは、各Webメディアを営業を、提携する代理店に販売してもらっています。特にHR領域における代理店の売上構成比は大きく、会社の業績の根幹を支えるとても重要な役割でした。2015年に、東名阪以外の地方エリアを除いて、リクルートのHR領域(リクルートキャリアの商材は追って対応だったはず)は直販による営業を無くし、代理店戦略に集中するという発表がなされました。よって、直販のクライアントはすべて代理店に移管。

直販の営業の選択肢は3つ。
①代理店へ出向(期限は2年)
②営業以外の組織へ配置転換(全国転勤型の社員のみ対象)
③退職

究極の選択。直販部隊は「直販のプライド」みたいのがあって、代理店出向に抵抗がある営業も少なくありませんでした。私もそうでしたし…。

悩んだ末、環境を変えて、自分の営業ノウハウを代理店に伝道する役割もアリでは…と思い、代理店に出向しました。

結局、出向して5ヵ月在籍して、退職しました。
明らかに自身の仕事のクオリティが平行線であったこと、新しい学びや気づきを得られなかったこと、そして長期的なキャリア形成を見据えたとき、出向期間が終わりリクルートに戻っても、やるべきビジョンが定まらなかった。

広告を売る仕事はもういいや。
採用は手段、企業の長期的な成長を実現」できる仕事をしようと考え、人事への転職を決意しました。

エイチームへ人事として入社!社長は3年は苦労すると言われた

私がエイチームへ入社した理由は「創業社長」「ビジネスを創出し続ける会社」「感情的に好き」の3です。

創業社長であること
リクルート時代に数々の社長とお会いして確信していたことがあります。社長のお人柄・価値観=企業の文化であること。社長自身の思いがダイレクトに伝わる会社で、距離の近い会社が良かった。

ビジネスを創出しつづける会社であること
特定のビジネス領域にどうしても興味が持てませんでした。それよりは、永続的に成長し続けるための基盤があること、ビジネス領域が多岐にわたり、儲けられるビジネスモデルで、ビジネス資源が整っていることが重要でした。特定領域のみのビジネス展開では、市場環境や競合他社の動向による影響で、成長が不安定。市場環境の変化に強く、多様なビジネスを展開していること、また常に新しいビジネスを創出し続けている会社であることが企業選びのポイントでした。

理屈じゃない、感情的に「すき」って思えること
いきなりエモい話になりますが、感情的に「すき」って思えることは大切ではないでしょうか。転職時に不安はつきものだとは思いますが、不安や疑問というより、「その会社で働けたらどんなに楽しい毎日があるだろう」そう自然と思えること、感じることが大切だと思っています。

社長に苦労すると言われたけど、本当だった
当社の代表はとてもクールでポーカーフェイスです。そのため、最終面接時は感情が読めず、手ごたえがあるかどうかが全く分からなかった。

しかも
「安藤さん、入社したら3年間くらいは苦労すると思うよ」
と一言。面接中はとても落ち込みましたが、あとから思い返してみると、社長なりの私へのエールだったに違いありません。

そして、その苦労は本当でした。苦労の正体は、リクルートの文化に染まっていたこと、人事というコーポレート部門独特の仕事の進め方の特性上のものでした。

リクルートは徹底的な個人主義で個の業績達成が最も称賛され、未達だと厭きれるくらい激詰めされる。協調して何かを進めていくことはない。時には強引さも必要とされる。「個人が輝く会社」です。

一方でエイチームは、協調性をもってチームで成果をあげることが大切。仕事のプロセスも自己中心的になってはならない。目標・目的に向けて、「みんなで」納得感もって進めていく。

この文化の違いは、通常業務において支障がないのですが、ジワジワくる…。上司や同僚、事業部で採用をお手伝いしていただくいろんな方に相談しながら、少しずつ進めていきました。

びっくり人事異動!広報への異動

2017年から採用広報の業務が始まり、広報との連携を強化するため2018年8月から広報と兼務、2019年2月から広報に完全に籍を移しました。

いきなり「採用コラムを運用して」
2016年末にコーポレートサイト/採用サイトがリニューアル。メルカリやサイボウズなど採用広報(オウンドメディア)の流行りの波に乗り、コラムなどを運用できるCMSが実装されている。

ある日、サイト制作を担当した方と上司に呼ばれてとあるミッションが。
「採用サイトにコラムページ作ったから、なんか運用して」
素人です…。仕事で、メールや企画書以外に文章を書いたことありません…。という状態からスタート。

通常の採用業務(採用戦略立案から母集団形成、採用プロセス対応、スカウト、イベントなど)に加えて、コラムを書くことに。(正直、絶望的な気分)でも、やるしかないので、昼間に通常業務を行いながらインタビューして、早朝と夜に執筆…そんな仕事スタイルへ(人生で一番働いた時期でした)

救世主あらわる
もう無理…と思っていたら、上司が中途採用を担当する新しい社員を採用してくれました。私の中途採用業務の6割を引き継ぎ、残り4割の採用業務と採用広報業務を行うようになりました。

人事と広報を兼務・兼任
コーポレートブランディングとの連携を目的として、人事部(当時は人材開発グループ)と採用広報(社長室)と兼任になりました。採用の仕事は人事のマネージャーへ相談、広報の仕事は広報のマネージャーに相談、このような仕事の仕方に変わりました。各部門のプロから指導・相談できたので、結果的に仕事のクオリティが格段に上がった時期です。

社労士を勉強するほど本当は人事企画がやりたかった
資格のTACで社労士資格の勉強をしていました(1度目は2015年、2度目は2018年)。人事を志望した理由は、「ひと」で会社・組織を強くして、ビジョンの実現すること。これが私の源。いつかは人事制度の設などに関わりたかった。そのための知識が必要だと思い勉強していました(月100時間くらい)

組織的な事情により、当時のタイミングで人事企画の仕事には縁がありませんでした。そのため、人事の仕事から少しずつ離れ、広報の仕事領域が増えていくことに、漠然とした不安を抱えていたのも事実です。

ついにきた、広報へ異動の打診
そうしている間に、完全に広報へ異動の打診がありました。読んでいた流れなので「やっぱり」という思いでした。というのも、当時のW上司から1on1や飲みの席で「今後のキャリアどうしたい?」というヒアリングが入りまくっていたので、想像はできていました。

本当は人事企画がやりたかった。広報に完全に異動したら、将来的に人事へは戻れないかもしれない。会社の成長に合わせて各組織レベルもあがるため、数年後先には私の能力では求められるパフォーマンスを発揮できないかもしれない。けど、採用業務においては後任の方がスーパーウーマンで超仕事ができるから、その組織に残る理由もない…。でもエイチームを辞めるという選択肢はなかった。

「ひと」で会社を成長させるのは人事だけではない。会社のブランドやアイデンティティ、カルチャーを醸成し広く報せることで、会社を成長させる広報は、その役割でしか果せないものもある。そう考えを改め、広報への異動を決めました。

「生きている」を実感

異動の決断は結果的にとてもよかったです。会社の持続的な成長、社員が生き生き働ける魅力的な会社にすること、心から好きだと思える会社の魅力を社内外に発信できる。本当の意味で会社の経営について考える機会が増えました。

仕事も私生活も充実していて、「生きているなぁ」と実感する毎日です。

私生活においては、2011年に出会ったパートナーと、2015年に入籍し家族となり、現在は3匹の犬たちと暮らしています。パートナーは会社を内装建築の会社を経営していて、お互い成長し高めあえる大切な存在として一緒にいてくれています。

最後に、今まで出会ったみなさまに感謝しつつ、より価値発揮できるよう日々の仕事に努めていきたいと思います。

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