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ゴッドマザー 前編

ここは、古都にある一軒のBAR。
武士が歩いていた時代に作られた人工の川にかかる小さな橋を渡り、細い路地に面した目立たない建物の階段を上がったところ、名刺大の表札の横にある頭を下 げないと入れないような小さな扉を開けると、そこにカウンターだけの隠れ家的なBARがひっそりと明かりを灯しているのである。


「珍しいお酒をお飲みですね?」
カウンターに座る一人の紳士は、隣の髪の長い女性に話かけた。
店の中は、静かにジャズが流れていた。
店内は、マスターと二人の客だけで、長い間音楽とそれぞれのお酒を楽しむ空間だけが支配していた。

その紳士は、初めての客で、
少し薄くなりかけた三分の一ほど白髪が混った頭髪をきれいに後ろに流し、すっかり白くなった口髭と顎鬚は、きれいに刈りそろえられていた。
いかにも几帳面さと清潔感を感じさせる大人風の風貌であったが、
どこか少年のように澄んでいる印象的な目のためか年齢を当てろといわれると悩むところであった。

「ゴッドマザーですか?」
再び、その紳士は女性に話かけた。
「ええ・・・。」
彼女の名は、この店ではミワと呼ばれ常連とまでは言えないまでも馴染みの客であった。
普段は、このような問いかけには、さりげなく無視するミワであったが、
紳士の雰囲気に誘われ、少し戸惑いながらも笑みを返した。

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ゴッドマザーは、
ゴッドファーザーのバリエーションとして生まれたカクテルで、スコッチウイスキーとアマレットを混ぜたゴッドファーザーより、スコッチをウォッカに代えたそれはアマレットの優しい甘味と香りを楽しめる。
ちなみに、ブランデーをベースにするとフレンチ・コネクションとなる。

そのゴッドマザーのグラスに一口つけるとミワは、「私、その時の気分でお酒を選んでいるんです。」
と答えた。
「そうなんですか?失礼ながら、まだマザーという感じでもないですが?」
ミワは少し破顔して、
「いえいえ、私が母になるわけじゃないですよ。」

そんなミワを助けるためかマスターは、
「ミワちゃんは、神様だとか歴史だとか難しいお話を考えながら、
一つの答えにたどり着いた時に、その時の気分でお酒を飲まれるのです。」
と横から口を挟んだ。
このマスターも、決して馴染みでないお客の話に口を挟んだりするような男ではなかったのだが、
やはり、紳士の雰囲気に飲まれてつい声をかけてしまっていた。

「そうなんですか?
私も歴史には興味を持っています。ご迷惑でなければ是非お話願えないでしょうか?
あ、失礼しました。
私、タケウチと申します。古都が好きで、度々訪れるのです。
今晩は、夕食をとったあと、たまたまこの辺りを散歩していて、ふと誘われるように入ってしまいました。
これも何かのご縁だと思います。」

このBARは、たまたま見つかるような店ではない。
もし、本当に紳士の言うとおりなら、それは本当に縁なのかもしれない。
そうミワは思った。
「でも、恥ずかしいですわ。私は専門家でもありませんし、ただ自分勝手に想像しているだけですから。」
「いえいえ、是非ともお願いします。」
そうタケウチの無邪気な目で訴えられるとミワも断りきれなくなった。
「じゃあ、詳しくは時間が許さないし退屈だと思うので、少しだけ素人の与太話として聞いてくださいね。」
また、一口ゴッドマザーを口に含むとミワは話始めた。


「日本の神様というと、天照大御神をトップに八百万の神々ということになっています。
しかし、高天原から降臨しこの日本を支配した天孫族以前にも神々や人々が住んでいたわけで、
彼らの神や信仰はどうなっていたのだろうか?と疑問を持っていました。」

ミワの話に、タケウチは話の腰を折るでなく、
「天津神と呼ばれる降臨してきた神々以前には、国津神と呼ばれる神々が日本に住んでいたんですよね。」
と口を挟んだ。
これにミワは、タケウチの知識を感じつつ自分のペースで話すことができた。

「そうです。国譲りの時の神は大国主命です。かの神が日本を支配していた王でした。
しかし、果たして当時の信仰として大国主命を神として祀っていたのかは、わかりません。
大体、生者を祀ることはありえませんし、大概は氏族の先祖の霊を守護神と祀るのが常でした。
まさか、縁結びの神として大国主命を信仰していたわけではないと思います。」

「たしかに、当時の信仰は神道と言っても、今の神道と違った形だったのかもしれませんね。」
再び、タケウチは相槌を打った。

「そもそも全ての神々は、天津神も国津神もイザナギ、イザナミから生まれたことになっています。
神道の原初は、アニミズムと呼ばれる自然霊への信仰だったと考えられています。
石に宿る精、森に宿る精、水に宿る精。それらを神として捉えていました。
国を生んだイザナミ、イザナギですから、これは国産み、神産みの神話とは矛盾しません。
ただ、その自然霊への信仰は神道というよりネイティブインディアンのようなスピリチュアル思想のようでもあります。
天孫族が降臨する前は、そんな自然霊信仰だったのでしょうか?
昨今、縄文の女神だと言われる瀬織津姫や蝦夷の神アラハバキが古代の人々の信仰だと考えられています。

私は、神話的な思想と歴史的な思想は少し違っているようにいつも感じております。
神話が作られる以前の神が存在していて、それが八百万の神にとって変えられたのではないか?という思いがあるのです。
その一つの信仰が白への信仰だと思えるのです。」

「面白いですね。
白というと白山信仰を思い出しますが・・・
そうだ、マスター。ホワイトホース、ロックでいただけますか?
失礼、続けてください。」
タケウチはウィスキーを注文した後、ミワに顔を戻して耳を傾けた。

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「かしこまりました。」


マスターは、なんだか二人は似ているな・・・と感じつつ氷を割りホワイトホースを注いだ。
白山信仰の総社、白山比咩神社には白山姫は白馬に乗ってやってきたと伝わっている。
もちろんマスターはそんなことは知らないのだが・・・


「そうです。白山信仰は関係あると思います。
そして太白山や天白信仰 なども関係あると思っています。
白の信仰については、『白の民俗学へ』という本を読み大変参考になりました。
ところで、白というとどんなイメージをお持ちですか?」

「そ・・うですね・・・純白と言われるように純粋であり、色づけされる以前の色。
因幡の白兎は素兎と記述されていますが、素の色なんだと思います。」

ミワはニッコリして。
「はい。おっしゃるとおりです。そしてその素とは命の生まれる元でもあるのだと思います。
そしてまた、それは死を意味するというか、冥界、黄泉、あの世を意味する色でもあると思います。」

「なるほど。現代では葬式など黒色を使いますが、白装束があるように白も死を意味しますね。
おそらくそれは白骨の色からきているのでしょう。」
ミワは、我が意を得るタケウチの言葉に再び笑みで返した。

「白山とは、そういう生命が生み出され死に去っていく異界への信仰なんだと思います。
そしてその異界は多くの場合、山にあると信じられていたのだと思います。」

「確かに、三河の霜月神楽 も白山という疑似冥界を作り、そこに入り出てくることを赤ん坊が生まれると言うのですよね。」
タケウチの言葉にミワは少し目を見張った。
「そうなんです。まさしくそれが白山なんです。」
少し興奮気味にミワは続けた。
「それは死と再生を意味するのです。これはキリストの死と再生と同じなんです。


そして、それは天の岩戸をも意味するのです。もちろん岩戸伝説は天照大御神の高天原での話ですし、イエスの話は外国の話ですから、今の白の信仰とは別なのですが、共通した信仰があったのだと思います。

岩戸の奥は洞窟です。それは胎内を意味し、そこから出てくることは誕生を意味するのだと思います。

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イエスもしかり、十字架 にかけられたあと洞窟に葬られ、三日後に復活しました。

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話を白山に戻しますと、白山信仰は山岳信仰です。
神の住まうところは山であり、ここで全ての命が生まれると考えたのだと思います。
春になると山から神が村へ降りてきて花を咲かせる。
丹塗りの矢伝説 のように山の神は川を流れ里の巫女と結ばれる。

山はそういった異界であり、そこで修業することが山岳信仰であり、それは死と生を意味するのだと思います。
だから、修験者は死を意識した修業を行い神のごとく超越的な力を獲得しようとしたのだと思います。」

ミワはここで一息ついた。少し興奮していた自分を落ち着かせる意味もあり
「タケウチさん、お詳しいのですね?」
と話題を変えた。

「いえ、私もそんな話は好きなのでいろいろ調べたりしていたのです。
もしかして、その生と死に関して、ゴッドマザーならぬグレートマザー が関係しているのでは?」

「そこまでお察しなら、もうお話することはございませんわ。」

「いや、すみません。」
タケウチはミワの気分を害したのではないかと心配しながら、
「実は、私もつい最近、死と生の女神に関して調べていたので、つい・・・
ほんと、驚きました。これをシンクロとか言うのですかね。
できれば、もう少しお聞かせください。」


ミワも別に気分を害したわけでもなく、ただ自分の心を見透かされたようで驚いただけなのである。


「もうタケウチさんもご存知だと思いますが、グレートマザーこと大地母神は、その死と生を司る女神です。
大地の女神であり、豊穣の女神であり、そして冥界の女神でもあります。

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白神に話を戻すと、
死後の世界と交信することで有名なイタコはオシラサマを信仰していると言います。
このオシラサマも白神だと考えられます。
『白の民俗学へ』によると、
イタコはお大事という筒を携帯しているのですが、ここには白山姫と書かれた紙切れが入っているとのこと。
オシラサマ伝説 は、馬とのかかわりが深いのですが、馬は水神の乗り物です。
白山姫は白馬に乗ってきたと言われていますし、
雨乞い にも馬が用いられます。」

そう聞いてマスターは、はたと先ほどタケウチがホワイトホースをオーダーした理由に思い当たった。
本当に、この二人は似ているのかもしれない。改めてマスターは思う。

「白山姫は、山神であり水神でもあるというのは理解できると思います。
そして、水というのは山で生まれるもので、すなわち異界で生まれるものだということです。
その水は生命を育みますし、山自体も動物や山の幸の恵みをもたらします。
山神とは豊穣の神でもあるのです。
おそらくあらゆる生命は、山からやってくるものだと考えられたのではないでしょうか。
それゆえ生命をつかさどる山神は、大地母神でもあったのだと思います。

時に先ほどタケウチさんも、生と死の女神を調べていたとおっしゃっていましたが、
私の考えと同じでしたか?」

ミワは、タケウチに話を振った。


                 つづく

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