タワマンとは縁のない人生だった
タワマンとは縁のない人生だった。
だが、それでいい。
タワマンに住みたいと思ったこともないし、もちろんタワマンに住むような経済力もない。
これは「酸っぱい葡萄」の理論かもしれないが、少し違う気もする。
そもそも、自分がタワマンに住める可能性があると考えているから、タワマンに住めない現状に苦悩が生じるのではないか。
はなからタワマンとは縁のない人生だと諦めていれば、タワマンに住めないからといって何も感じない。
タワマンに住んでいる人というのは、どこか違う星の住人という気がする。
同じように、自分に出世する可能性があると考えていれば、出世できない現状に苦悩する。
結婚できる可能性があると考えていれば、結婚できない現状に苦悩する。これも同じだ。
はなから、縁のない人生だったと諦めていればいい。
何も望まなければ、何も失わない。
タワマンに住むことも、出世することも、結婚することも、夢見ることがないならば、失望することもない。
自分の人生は自分のものであり、他人と比べる必要はない。
この考え方が、消極的だと思う人もいるだろう。
しかし、現実を受け入れることで得られる安らぎもある。
夢を追い求めることが全てではない。
自分の身の丈にあった生活を楽しむこと、それこそが本当の幸せかもしれない。
タワマンに縁のない人生でも、それでいい。
自分らしい人生を歩む、それが一番大切なのだ。
↓そんな一曲
最後に、
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