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学習理論備忘録(42) 『「マスクをはずせない」と言われたら?』

またまた備忘録である。


身体醜形障害(BDD)はかつて醜貌恐怖と言われ、さらに我が国では「思春期妄想症」なる概念で理解されたこともある。「妄想」などという言葉が入っているが、統合失調症のような精神病ではなく神経症圏の疾患で、DSM5では強迫症および関連症群に含まれるものだ。


身体醜形障害に関する基本的なことをまとめて説明しておく。診断基準ではなく、記憶に任せて必要そうなことを述べる。

・有病率は知らない。ググってみたが、ウィキペディアには1%とあった。
・以下の症状が現れる
   ボディイメージが低くなる
   顔などの劣っていると思っている部分の露出を避ける(回避)
   抑うつ、引きこもり、不登校の原因になる
・治りにくい
・幼少時の環境が原因などと言われることがあるが、不明と言うほうが正確である。確実に言えるのは、マスクをして顔を隠したり、整形などをすると症状が維持される、あるいは悪化するということである。



ところで昨今はマスクをするのが一般的になった。そのために身体醜形障害の患者が増える、悪化するといったことも懸念されたが、今のところそういう報告は聞いていない。マスクをしつづけたからといって、だれもが身体醜形障害になるわけではないようだ。


治療法はある。エクスポージャーである。マインドフルネスによる治療も望みがあるであろう。だが患者が強く抵抗し、他の選択肢を望むかもしれない。そういうときは無理に導入するのではなく、別の方法も検討したほうがよいかもしれない。

また



「マスクをはずすことはできません」




と訴える身体醜形障害の患者がいたとして、「マスクをつけることが症状を維持するのだ」と言ってはずさせるのはひとつの手である。だがそれで本当に良いかは迷うところだ。「マスクをはずさなくて良い」ということで相手との関係性を保てるかもしれない。



問題なのは、そのような治療以前に、適切に診断されないかもしれないことだ。強迫症はひどくなると、周りからはかなり奇異に見える。だが「奇異」は専門用語である。それも、あまり多用しないほうがよい用語である。そこには「よくわからんから精神病ね」というニュアンスが含まれている。

こういう文脈の「精神病」とか「病的」とか「サイコーティック」という言葉は、「統合失調症の症状である」という意味である。実際身体醜形障害を含む強迫症周辺の疾患は、統合失調症と医者に誤診されるケースが多い。

精神科医はこの「病的」という判断、「それ以上には理解しようがない」という判断を、しすぎてきたように思う。判断というよりは、思考停止である。是非ともやめるべき悪習である(精神病を見逃してはいけない、というのもあるのではあるが)。

そうは言っても強迫症については研究者も少ないし、医師の理解も不十分だ。

たとえば「解っちゃいるけれどやめられない」、すなわち合理的ではないと思いつつ抗えず行行動するのが強迫神経症だと従来は理解されてきた。それが典型的なのは事実だが、今やこの自我親和性の欠如(自我異和性)は強迫症の診断に不要だ。この現在の強迫症概念(*1)に、違和感を抱く医師はまだ多いのではないだろうか。

(*1)DSM 5の強迫症の診断基準の特定用語(強迫症をさらに細かく分類するための言葉)にはわざわざ

「病識が十分または概ね十分」「病識が不十分」「病識が欠如した」「妾想的な信念を伴う」

が用意されているほどである。


診断基準の中では概念がバージョンアップされてきが、まだまだ実際の臨床にはそれが降りてきていない強迫症および関連症群である。


Ver 1.0 2022/5/21

学習理論備忘録(41)はこちら。



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