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京都バビロン? 『京都府警あやかし課の事件簿』を読んで

「警察小説」である。警察小説好きとしては、読まねばなるまい。


さて、あやかしの物語は古今東西に溢れているが、最近はとくに流行っている。『鬼滅の刃』『呪術廻戦』、あと『約束のネバーランド』も入れておくか。コミカルなところでは『妖怪ウォッチ』がまだ健全であるし、『ゲゲゲの鬼太郎』はいつでも復活するだろう。

だが私としては『東京バビロン』や『うしおととら』、『ぬらりひょんの孫』などに愛着があり、ぜひ語り継ぎたいところである。


あれ?警察小説はどこに行った?いや、警察なのだ。


主人公のまさるは、神猿に力を授けられた魔除けの子としての運命を背負い、日々あやかしと闘う、という物語だ。

警察小説じゃない? いやいや。

・・幕末明治の動乱を経て警察という近代的な組織が出来上がると、警察官の中から霊力の高い者が選抜され、あやかし専門の部署が発足した。(p.15)

とあるではないか。

大昔から国家権力があやかしを取り締まっていたという設定なのである。だから警察小説である。といっても主人公は警察官ではなく一般人としてあやかし課に所属するが、まあやっぱり警察小説ってことで。


そもそも警察小説やドラマを書こうにも、日本では派手にやるには無理がある。現代日本にアクションシーンの量産は似合わないのだ(そもそも日本では派手なアクションシーンを撮る許可が出ないが)。発砲やカーアクションの多い『西部警察』は、ちょっと派手すぎである。

そこで時代を変えたり(大沢在昌氏のB・D・Tシリーズとか)、マンガの世界でのアクション(『名探偵コナン』とか)にするといった工夫が必要になる。あるいはいっそアクションを捨て、代わりに人間ドラマの割合を増やすことになる。たとえば単なる人情物でなく、組織の中の葛藤を描くことで『踊る大捜査線』シリーズは深みのある作品としてヒットした。


そこに、化け物もまた犯罪者として扱う、という手法である。シリーズものに凶悪犯がたびたび現れると「事件が多すぎる問題」が生じて不自然になるが、あやかしならばいくらでもアリだ。霊能力がない人は気づいていないだけで本当はいつも事件だらけ、という説明が成り立ってしまうから。

しかも一般人に見えない剣や銃なら使い放題である。いっそ雷を喰らわせたり龍に乗ったりなんてアクションもありになってしまう。なんて痛快なんだ。やったぞ! ハリウッドに追いついた!

あやかし + 警察 は、アクションにリアリティーと必然性をもたらすために必須であったのだ。他に現代日本でスーパーアクションの必然性を解決している作品って、『はたらく細胞』くらいじゃないか?


ということで「『京都府警あやかし課の事件簿』ってどんな話?」と聞かれたら、「『妖怪ウォッチ』テイストの『東京バビロン』っていった感じの警察小説」と答えたい。


#読書の秋2021

#京都府警あやかし課の事件簿


2022/11/15 Ver 2.0 言葉の間違いを修正


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