見出し画像

『どうしてわたしはあの子じゃないの』読了

こんにちは、深見です。
寺地はるな氏の『どうしてわたしはあの子じゃないの』を読了しましたので、感想を書いていきます。

あらすじ

いつか田舎の村を出て上京し、自分の人生を切り拓くことを夢見る天。天の幼馴染で、彼女に特別な感情を抱く藤生。その藤生を見つめ続ける、東京出身で人気者のミナ。佐賀の村で同級生だった3人は、中学卒業前、大人になったそれぞれに宛てた手紙を書いて封をした。時は流れ、福岡でひとりで暮らす30歳の天のもとに、東京で結婚したミナから、あの時の手紙を開けて読もうと連絡が来て――。他者と自分を比べて揺れる心と、誰しもの人生に宿るきらめきを描いた、新しい一歩のための物語。

双葉文庫『どうしてわたしはあの子じゃないの』裏表紙 あらすじより引用


感想

面白かった。そして、「嫌な田舎に対する解像度が異常に高ェ!!!」というのが、第一の感想です。
人生の理不尽やままならなさに悩む30代男女が、問題を解決するまではいかなくとも、それぞれの悩みとの向き合い方を見つめなおす。というのが話の本筋なのですが、それにしても嫌な田舎に対する解像度が異常に高い。

この話には、田舎の嫌な部分を集めて煮詰めて固めたようなシーンがいくつも出てきます。
方言を使わない子供を「気取っている」と言って小馬鹿にし、痴漢被害に遭った女生徒を「隙があったからだ」と言って責める大人。
半世紀近くも前に引っ越してきたにもかかわらず、未だに「よそ者」扱いをされる家族。
「田舎暮らしに憧れて」移住してきた都会者に向けられる冷ややかな視線。
そのほかにもたくさん。

これら全ての「田舎の嫌な部分」が、とにかく詳細に、リアルに描写されています。私は田舎と小都市を混ぜてやや田舎エッセンスを多めに足したくらいの土地で生まれ育ちましたが、それでも「ああ、こういうのあるよね……」「あー、あるある」「うわー! あったー!」などと思いながら読み進めました。田舎育ちの、特に女性にはクリーンヒットする「嫌さ」です。これ作者さんの体験談なんじゃ……。


では、この小説はそんな「田舎の嫌さ」をこき下ろし叩きのめすタイプの小説なのか? と言われると、そういうわけでもありません。この小説の恐ろしいところは、ともすればメインテーマにしてしまえそうな「田舎の嫌さ」や「男女格差」を、スパイスのひとつとしてしか扱っていないところです。

同じ時代、同じ土地の同じ出来事が、天、藤生、ミナという幼馴染3人の目線から描かれることによって、真のテーマが浮き彫りになっていきます。
「自分」とは何なのか?
理想の自分と現実の自分とのギャップを、どのようにして埋めれば良いのか?


子供のころに思い描いていた理想の自分と、現実の自分との乖離が全くない人間なんて、果たしているんでしょうか。よほど大きな自己実現を成し遂げた人物なら、「今の自分は理想の自分そのものです」と胸を張って言い切れるかもしれませんが、そんな人間がいったいどれだけいるでしょう。

たいていの人間は、環境や才能に恵まれず、怠惰に沈み、自信を失い、やがて理想を捨てざるを得なくなります。理想の自分と現実の自分との間に空いた隙間は、「現実は甘くないよね」とか「あの頃は若かったよね」とかいう言葉で埋めるしかありません。
あるいは、「あの人よりはましだから」と他人を見下す言葉によってでも、隙間を埋めることは出来るでしょう。

理想が高く、そして現実が惨めであればあるほど、隙間は深く大きくなります。この作品に出てくる天も、藤生も、ミナも、それぞれの人生にそれぞれの理不尽を抱え、そのために理想からはほど遠い場所で生きていくしかなく、それぞれがそれぞれを羨み妬みながら生きています。

ここで、作中の一節を引用します。

わたしが他の誰かになれないように、他の誰かもまたわたしにはなれない。残念だが、わたしはわたしを引き受けて生きていくしかなさそうだった。

双葉文庫『どうしてわたしはあの子じゃないの』296頁より引用

この一節こそが、この作品の背骨そのものです。
どうしてわたしはあの子じゃないのか。それを問い、悩み、苦しむ心の過程を赤裸々に描いた作品。それがこの、『どうしてわたしはあの子じゃないの』という小説なのです。


この記事が参加している募集

#読書感想文

188,091件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?