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【短編小説】どうぶつのむらのコマちゃん

こんにちは、深見です。昔からゲームが好きなのですが、最近のゲームは3Dだしフィールドが広いしで頻繁に迷子になってしまいます。

どうぶつのむらのコマちゃん

 コマちゃんのおうちは貧乏だった。コマちゃんはいつも同じ服を着ていたし、ランドセルもぼろぼろ。お風呂にもあんまり入っていないらしく夏場は特に臭かったし、筆箱の中はちびた鉛筆が何本も入っていたし、給食はいつもがっつくようにかき込んでいた。
 それから、コマちゃんは勉強も運動もお喋りもぜんぶ下手くそだった。だから友達がいなくて、私だってコマちゃんなんか、全然友達じゃなかった。

 私の友達は、コマちゃんじゃなくてマコちゃん。マコちゃんは、目がくりっと大きくて、女の子らしくてかわいい。勉強は私の方が出来るけど、走るのはクラスで一番はやい。それに、マコちゃんはいつも綺麗な服を着ていて、シャンプーのいい匂いがする。
 コマちゃんがコマちゃんという名前になったのは、クラスにマコちゃんが二人もいたらややこしいからだった。綺麗な方のマコちゃんがマコちゃんになって、貧乏な方のマコちゃんはコマちゃんって呼ばれることになった。にせもののマコちゃんで、マコちゃんとは正反対だから、コマちゃん。

 私とマコちゃんはいつも一緒に遊んでいたけれど、コマちゃんと遊んだのは後にも先にもあの一度だけだった。
 秋も深まって朝晩冷えるようになり、ちょっと走ったくらいじゃ汗なんてかかなくなったころ。コマちゃんが放つ垢と汗のにおいが少しましになって、でもこれから空気が乾燥しはじめるから、代わりにふけが酷くなっていく季節。

 私はいつものようにマコちゃんを家に呼んで、二人でゲームをするつもりだった。マコちゃんがお菓子を持ってくるから、私はお母さんに頼んでお金をもらって、スーパーにジュースを買いに行った。
 マコちゃんが好きな桃のジュースを買って、重たいペットボトルを抱えて家へと急ぐ。早く帰って、冷蔵庫に入れて冷やさないと。もうジュースに氷はいらない季節になったけれど、ぬるいジュースなんて美味しくないから、少しでも冷えていた方がいいに決まってるから。

 家の近くの児童公園の前を通りかかったとき、ふと私の足は止まった。滑り台の横に座り込んで、一心不乱に地面をほじくり返しているのは、コマちゃんだ。
 もうずいぶん涼しくなったのに、相変わらず夏とおんなじ格好をしている。鼻の下には乾いた鼻水のあとが斜めについていて、たぶん垂れた鼻水を手の甲でぬぐったんだろう。コマちゃんはいつもこういうふうに、放課後を過ごしているんだろうか。私は気になって、ジュースを抱えたまま、ふらふらと公園に入っていった。コマちゃんは私に気が付く様子もなく、地面をほじくることに集中している。

「なにしてるの」
 私が声を掛けると、三秒くらいしてから、コマちゃんは顔を上げた。「え、お、」と変な声を出して、「べつにっ」と大きな声で言った。コマちゃんの声は、低くて野太い。早口で、無駄に声が大きい。
「いっ石っ埋まってるっから! これっこれっ、ダイヤみたいできれいっだから!」
 どうやらコマちゃんは、地面に埋まっている石をひたすら掘り返していたらしい。コマちゃんが集めた石は、確かにほかの石より透き通っていて、ダイヤみたいと言われればそんな気もする、でもただの石だった。

 コマちゃんは、いつもこういう、すごくどうでもいいことにのめり込む。クラスで学芸会の出し物の話し合いをしているときも、ずっとコンパスの針で机を削っていた。給食で出たみかんの白いすじを全部取って、丸めて机の穴に詰め込んでいた。
 冒険心旺盛な男子によると、コマちゃんの机の引き出しには、半年も前のお知らせプリントと、臭いぞうきんと、給食で出たいちごジャムの袋が入っているらしい。いちごジャムの袋はぐちゃっと潰れて、机の中のプリントはジャムまみれで、この夏にとうとうカビが生えてしまったんだとか。「えーっやだあ!」と、コマちゃんの前の席の女の子が、本当に嫌そうに叫んでいた。

「コマちゃんってさあ」
 そんなだから、友達ができないんだよ。という言葉を飲み込んで、「寒くない?」と、どうでもいいことを言った。コマちゃんは返事をしないで、私の方をじいっと見ている。私の方を、というか、私が持っている桃ジュースを。飲みたいのかな、飲みたいんだろうな。コマちゃんの家には、きっとジュースなんてないんだろう。チョコも、クッキーも。もしかしたらご飯もあんまりないのかもしれない。
「うちくる?」
 どうしてか、本当にどうしてなのか、私はそう言っていた。
「うちきて、ゲームする?」
 コマちゃんはきょどきょどと辺りを見回して、それから私を目を合わせずに「いく!」と大きな声で言った。

 コマちゃんを連れて家に帰ると、出迎えてくれたお母さんは、ちょっと眉をひそめた。それから「マコちゃん、もう来てるよ」と言って、もう一度コマちゃんの方をちらっと見て、台所の方へ行ってしまった。
 コマちゃんは「こんにちは」も「お邪魔します」も言わずに私の家へ上がった。コマちゃんのかかとの潰れた靴は、片方は玄関の方を向いて、片方はさかさまになって脱ぎ散らかされたままだ。お母さんがいつも、脱いだ靴は揃えなさい。と言う意味がよく分かって、私は自分の分の靴をきっちり揃えて並べておいた。

 私がコマちゃんを連れて帰って来たのを見て、マコちゃんはちょっと変な顔をした。そこの公園で会ったから、と説明をすると、マコちゃんは「そうなんだ」と言ってランドセルからチョコチップクッキーの袋を出した。コマちゃんはマコちゃんに駆け寄って、「これ! 食べていいの!」と大声で訊く。コマちゃんの汚い靴下が、私の部屋のカーペットを踏むのがとても嫌で、私はコマちゃんを誘ったことを後悔したけれど、今さら帰ってとも言えない。

 私は台所からコップをみっつ取ってきて、桃のジュースをついだ。コマちゃんはジュースを一気飲みして、それからチョコチップクッキーを一気に三枚も食べた。
「全部は食べないで。一人五個までにしよう」
 マコちゃんが言うと、コマちゃんは驚いたように目を見開いて、袋からクッキーを五枚取り出して、自分の膝の上に置いた。さっき三枚食べたんだから、コマちゃんが食べていいのはあと二枚のはずなんだけど、私もマコちゃんも、何も言わなかった。

 お菓子を食べて、ジュースを飲んで、それから私たちはようやくゲームを始める。当時流行っていたのは、色んな動物と一緒に生活するゲームだ。動物と言っても二本足で歩くし、言葉も話す。プレイヤーはどうぶつのむらで、動物たちと一緒に釣りをしたり、服や家具を交換したりして遊ぶ。
 コマちゃんはゲームを見るのも初めてのようだった。食い入るように画面を見て、「あっ」とか「わあ」とかいちいち反応する。私とマコちゃんは交代でゲームを操作して、果物を集めたり、お店に行って買い物をした。

 私もマコちゃんも、ゲームの中に自分の分身であるキャラクターを持っている。マコちゃんは、髪が長くて綺麗なお姫様みたいなキャラクター。私も本当は、マコちゃんみたいな可愛いキャラクターにしたかったんだけど、なんだか恥ずかしくて、現実の私みたいなボーイッシュな格好で、王子様という設定にしている。
 髪の毛の色は、マコちゃんはピンク色。私は水色。可愛い服があったら、マコちゃんにあげる。カッコイイ家具があったら、マコちゃんがくれる。部屋を飾り付けて、家の周りをお花でいっぱいにして、私たちはどうぶつのむらの生活を楽しんでいる。

 マコちゃんと私、何度かコントローラーを貸し借りしているうちに、私はとうとう、コマちゃんの視線を無視できなくなった。貸してほしそうにちらちら、こっちを見ている。このゲームは私のものだから、マコちゃんは言い出せずにいるみたいだけど、同じことを考えているのは分かる。
 私は自分の番が終わるとセーブして、「やる?」とコントローラーをコマちゃんに差し出した。コマちゃんは「いいの?」も何も言わずにコントローラーを受け取った。

「新しくキャラクターを作れるよ。そこのボタン押して、最初の画面に戻って。新しく作るって書いてあるでしょ。それ選んで」
 コマちゃんはたぶんゲームのコントローラーなんて持つのも初めてだから、どのボタンを押したらどうなるのかも、教えてもらわなきゃ全然分からないみたいだった。でも、コマちゃんの顔はきらきらしていた。

 ゲームの中、どうぶつのむらに、コマちゃんの分身が生まれる。名前を入力する画面になって、コマちゃんはつたない指の動きで「マ」「コ」と入れた。決定。そうしたら、ゲームの画面に「そのなまえは、もうつかわれているよ!」と表示が出た。そしてまた、名前入力画面に戻される。
「別の名前にしなきゃ。マコって名前は、もうマコちゃんが使ってるんだから」
 私がアドバイスしても、コマちゃんはまた「マコ」と入力して、決定ボタンを押す。そうしたら、また同じ忠告表示が出て、名前入力画面に戻る。「無理だってば」と私が言っても、コマちゃんはまた同じことをした。

「出来ないんだって。コマでいいじゃん。コマちゃんなんだから」
 いいかげん先に進みたいから、私はコマちゃんの手からコントローラーを取り上げようとした。でも、コマちゃんはコントローラーをしっかりつかんで、離さない。
「私もマコなのに」
「コマでいいでしょ」
「私もっ! マコなのにっ!」
 いつにもまして大きな声を出したコマちゃんに、私はびっくりしてのけぞった。そして、コマちゃんに驚かされたことが無性に腹立たしくなって、コマちゃんの手からコントローラーをひったくった。
「仕方ないじゃん、マコちゃんの方がマコなんだから!」
 私は手早く「コマ」と入力して、決定ボタンを押す。「コマちゃんだね! 私たちの村へようこそ!」と表示があって、ようやくゲームが始まる。

 最初は、服も家具もなにもない状態からスタートだ。でも私やマコちゃんのデータがあるから、私たちの持っているアイテムを、コマちゃんにあげることもできる。
「私の持ってるやつ、コマちゃんにあげるから」
「ほんと?」
「うん」
 プレイヤーを私に切り替えて、私は自分のアイテム欄を開く。色んなアイテムがあるけど、絶対使わないな、と思って集めるだけ集めていたものだ。たとえば、これ。
「『つぎはぎのふく』とか、コマちゃんにぴったりじゃない?」
 ぼろぼろシリーズと言われているアイテムだ。このゲームには、なぜか貧乏を演出するようなアイテムがいくつかある。私は当然使う気なんて全く起こらなかったけど、どうぶつのむらの住人に送り付けたら、その住人は嬉しそうにぼろぼろシリーズを身に着けるから、面白くって集めていた。

 コマちゃんの反応が見たくて、私はちらっと隣を見た。コマちゃんはじっと画面を見つめていて、私の視線には気付いていないみたいだ。
「これもあるよ。『ぼろぼろのくつ』とか」
 アイテムを投げ捨てるように、床に置く。あとでプレイヤーを切り替えて、コマちゃんはこれを拾えばいい。コマちゃんはまだ画面を見つめたままだったけど、私は気が付いた。コマちゃんの耳が真っ赤になっている。
 なんだ、コマちゃんって、恥ずかしいとか思うことあるんだ。それは新鮮な驚きだった。臭くても髪の毛がべたべたでも平気で、人前で鼻をほじったり、脱いだ靴を脱ぎ捨てたり、くちゃくちゃ音を立てて食べものを噛んだりするくせに。それってどういう基準なんだろう? 

「それからこれもどう? 食べ物を放置してたら蠅がわくんだけど、この『くさったごはん』もあげるよ、いらないし」
 いらないアイテムを床に置いて、私はコマちゃんにコントローラーを差し出した。コマちゃんは受け取らずに、耳を真っ赤にしたまま、画面の一点を見つめている。仕方がないから、私は自分で「コマちゃん」にプレイヤーを切り替えた。ゲームの中に生まれたばかりで、真っ白なTシャツと運動靴しか身に着けていないコマちゃんが、私が捨てたアイテムを拾う。

 つぎはぎのふくを身に着けて、ぼろぼろのくつに履き替えて、くさったごはんの上に立ったら、コマちゃんの周りを蠅が飛び回っているように見えた。
「え、すご」
 あまりの再現度に、思わず笑いがこみ上げる。
「コマちゃんじゃん」
 そう言い終わるより、コマちゃんが立ち上がる方が少し早かった。

 コマちゃんは、もう耳だけじゃなくて顔まで真っ赤で、ぶるぶる震えていて、両手のこぶしをぎゅっと握りしめていた。あんまり強く握っているから、指の関節だけ白く見える。コマちゃんは画面を睨み付けたまま、仁王立ちのまま、ぶるぶる、ぶるぶる震えている。

「やめなよ」
 と言ったのは、マコちゃんだった。「そうだよ」と私も急いで便乗する。
「座ってよ。なにキレてんの? 冗談じゃん」
「やめなよって、そっちに言ってんだけど」
 マコちゃんの声が、私の横っ面を張った。そっちにって、どっちに? まさか、私に?
 マコちゃんの方を見ると、なぜかマコちゃんの顔も真っ赤で、なぜか私を睨み付けていた。私はその視線を受け止めきれずに、部屋のドア、天井、ベッドの方へと目をさまよわせる。マコちゃんは怒っている。何か言わなきゃ、と思ったけれど、喉がつっかえて上手く喋れない。

「私、もう帰る」
 ランドセルをつかんで、片手にぶら下げたまま部屋を出たマコちゃんは、それでも帰り際に「お邪魔しました」と挨拶をしていた。その声と、マコちゃんの足音を壁越しに聞きながら、私は呆然とするしかなかった。
 ゲームの楽しげな音楽が何巡か繰り返されたころ、ようやくコマちゃんも部屋を出ていった。「お邪魔しました」は、もちろん言わなかった。

 最初にも言ったけど、コマちゃんと遊んだのは、後にも先にもこれっきりだった。マコちゃんとは、しばらく気まずい雰囲気だったけれど、やがてまた元のように遊ぶようになった。
 一緒にゲームをして、そのうちゲームの中じゃなくて現実の世界で、一緒に買い物に行って、可愛い文房具やアクセサリーをお揃いで買った。私たちは何事もなかったかのように仲良しだったし、親友だった。

 中学までは仲が良くていつも一緒だったけれど、高校になって私が地元の公立校に、マコちゃんが私立の女子高に通うようになってからは、もうほとんど会っていない。昔の友達なんて、だいたいそういうものだ。
 マコちゃんは東京の商社に就職して、会社の先輩と結婚したらしい。SNS経由でもたらされたその情報に、どう思うこともない。ことさらに嫉妬もしないし、おめでとうとはしゃぐこともない。ふうん、そうなんだ。それだけ。いいねボタンだけ押して、それから考える。コマちゃんは、今どうしているだろう。

 どこの高校に行ったのかも知らない。そもそも、高校に行ったんだろうか。ちゃんとお風呂に入ってるかな。どんな暮らしをしているんだろう。生きてるのかな。コマちゃん、生きてるかな。

 あのゲームは、まだ捨てられずにいる。高校に入ったくらいから、ゲームはあんまりしなくなった。でも、売る気にも捨てる気にもならなくて、ずっと引き出しの奥に眠っている。
 マコちゃんは可愛いお姫様。私はカッコイイ王子様。コマちゃんは、臭くて汚くて貧乏な、コマちゃん。

 コマちゃんはずっと仁王立ちのまま、私のことを睨み付けている。あの日、私はコマちゃんのことを横から見ていたはずなのに、その光景を思い出すたび、記憶の中のコマちゃんは段々と私の方を向いて、真正面から私を睨み付けるようになった。
 耳も顔も真っ赤にして、力いっぱい手をにぎりしめて、ぶるぶる震えて、でも何も言わなかったコマちゃん。なみだひとつこぼさなかったコマちゃん。どうぶつのむらで、コマちゃんは今もつぎはぎのふくを着て、ぼろぼろのくつを履いている。

「やめなよ」
 記憶の中の、薄ら笑いでコントローラーを持つ幼い私に、私の声は届かない。


おわり

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