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【短編小説】菜種の雨

こんにちは、深見です。
雨が続きますね。この時期の長雨を、菜種梅雨というそうです。


菜種の雨

 ばらばらばら、と大きな音がし始めました。窓の外からです。私は料理中で手が離せませんでしたので、代わりに同居者(人ではない)が、窓の外を見に行きました。
 その間も、音は続きます。ばらばらばら。霰でも降っているのかと思うような音です。けれど今日は、霰が降るほど寒くはないはずです。
 同居者が、台所へ戻ってきましたので、「なんだった?」と訊いてみます。同居者はちょっと首をかしげながら「なんかの、粒だった」と言いました。
「なんの粒?」
「わかんない」
 お鍋の火を止めて、同居者がベランダから拾って来たそれを、よく観察します。黒くて丸くて小さくて、たしかに、何かの粒としか言いようがありません。
「種じゃない?」
 同居者が言いました。私も、そのように思いました。ばらばらと音を立てて降っているのは、きっと何かの種なのです。

 何の種なのかを確かめるには、方法はひとつしかありません。埋めてみればいいのです。芽が出て大きくなるまで、育ててみればいいのです。
「じゃあ、埋めてみようか」
 私は張り切って、部屋じゅうに植木鉢を並べました。なにせ、種はあとからあとから降ってくるのです。ベランダも、あっという間に黒い種でいっぱいになってしまいました。
 全てを埋めようとしたら、部屋いっぱいの植木鉢を使っても、とてもスペースが足りません。仕方なく、よく太った形のいい種だけを選別して、埋めていきます。
 埋めましたら、さっと水をやって、あとは芽が出るのを待つばかりです。

 たくさんたくさん種を埋めましたので、とても肩が凝りました。背伸びをして、窓から外を見ます。
 種はいつの間にか降りやんで、しかし雲は重く垂れこめたままです。今、降っているのはぬるい雨です。雨脚は静かながらに力強く、すぐには止みそうにありません。
 町はどこもかしこも、種が積もって真っ黒になっています。側溝が詰まってしまわないか、心配です。

「ねえ、おなかすいた」
 同居者が言いましたので、私はカーテンを閉めて、お夕飯にすることにしました。部屋じゅう植木鉢だらけですので、移動するのも大変です。私と同居者は、植木鉢につまづかないよう気を付けながら料理を運び、お夕飯をいただきました。そして、疲れていましたので、この日は早めに眠ったのでした。

 翌朝、目が覚めると同時に、いつもと違うことに気が付きました。濃い香りが部屋に満ちています。甘く、厚みがあって、とろりとした匂いです。ベッドから起き上がりますと、同居者が「おはよう」と言いました。
「ぼくもう、この匂いで目が覚めちゃった」
 どうやら同居者は、ずいぶん早くに起きていたようです。少しだけ眠そうな声なのは、きっとそのためです。

 私はどうにも、しばらく声がでませんでした。というのも、視界がとにかく黄色くて、目がちかちか、頭がくらくらしたのです。植木鉢に満開になった菜の花が、視界から頭の中まで、黄色に染め上げてしまったのでした。
「すごい匂い。それに、すごい黄色」
「ね。ぼくも黄色になっちゃいそう。そうしたら、菜の花にまぎれて、分からなくなっちゃうね」
 確かに、こんなに黄色い中にずっといましたら、菜の花の黄色が体に移って、お互いがどこにいるのか、見失ってしまいそうです。
 そこで私は、今日は真っ赤な服を着ることにしました。鮮やかな赤色でしたら、鮮やかな黄色の中にあっても、目立つのですぐに分かるでしょう。同居者にも、赤いリボンを結んであげました。これで、大丈夫。

 それにしても、たった一晩で芽が出て花が咲くなんて、驚きです。春だから、こんなに成長が早いのでしょうか。
 カーテンを開けて、窓の外を見てみます。昨日あれだけ種が降りましたから、窓の外も、やっぱり黄色。どこまでも菜の花色です。相変わらず雨はしとしと降っていますが、灰色の空の下でも充分すぎるほど鮮やかな色が、町を覆っています。

「春だねえ」
 同居人が言いました。
「春だねえ」
 私も言いました。
 今日はきっと、町の人たちも、黄色に負けない鮮やかな色の服を着ることでしょう。そうしていっそう華やかになった町は、また一歩、春に近付くでしょう。


おわり

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