『ピカミィ卒業について、真実から目を背けるファンたち。結局君らの「好き」ってそういうことなんだね。』にいただいたコメントへの返信

記事『ピカミィ卒業について、真実から目を背けるファンたち。結局君らの「好き」ってそういうことなんだね。』についていただいたコメントへの返信として記事を書きました。
興味のある方は当該記事を読まれれば話が理解可能になると思います。

【弥太郎さんへ】
読んでいただき、基本的には肯定的な解釈をいただいて感謝いたします
ただ、私の挑発的な「ボケ」発言などもあるため、そちらを誤解させた可能性もありえるのでその点補足させていただきたく思い返信いたします。

まずタレント側の発言についてですが、ピカミィは「信じてくれ」とは言っておらず、全てに沈黙を持って応じています。なのでファンの側からの彼女に対する信じるよ、という回答が彼女を本当に癒すかどうかもかなり怪しいです。ピカミィは英語話者ではありますが日本育ちなのでかなり日本的なメンタリティを持っているように見えるため、結局誰も自分を助けてくれなかった、というネガティブな評価がよりいっそう強固なモノになることすらありえると思っています。
彼女の日本での成育歴などを考えると、そもそも理不尽と戦うと言う発想が本人には無いため、何かあった場合、泣き寝入りという抑圧を自分に課してしまうのが常態化している可能性もあります。

それゆえ彼女自身の選択に過剰に寄り添うことはかえって彼女が彼女自身の中にある理不尽に対する正当な「怒り」や「悲しみ」を抑圧することを後押しする場合もあると言うことを考慮に入れるべきだと思っています。なので私はそちらのように「信じたフリをしてまたどこかで活躍する未来を信じるよと声をかける以外に何も出来ないじゃない」と言って終わりにすることはできません。

また、私のように危険性を訴えること、問題点を指摘することの方を優先して「できないこと」「意味のないこと」と切り捨てるその理由についてそちらが何も語っていないことも付け加えさせていただきます。
文中でも言いましたが彼女に直接話しかける際には、別にそちらが仰るように、何事もないかのように振る舞っているピカミィに合わせた言動をすることは問題ないと思います。というか、そうするべきだろうと私は間接的に主張したつもりでした。たとえ私が言うようにその結果抑圧が起こったとしても、それはピカミィ本人が望んだことですのでその責任は彼女自身にあります。

私が問題だと言っているのは、ピカミィが直接関わっている場ではないところでまで、彼女に話しかけるわけでもないのに、何事もなかったかのようにスルーしている態度を絶対に維持して何事もなかったということにしてしまおうとする態度です。言ってみればこれが「過剰な」寄り添いです。

今回の問題について彼女のいないところで真剣に語り、何が問題なのか、Vtuberに対するこのような問題が繰り返されないようにするために何が必要なのかを追求することはピカミィを傷つけることにはならないと思います。むしろそうすることによってこの界隈の「安全」が確保するように物事を変化させる方が、ピカミィがいつの日か「またVの場に帰ってもいいか」と思えるようにさせることの助けになると思います。何もしないままで何かが好転するというのは季節が巡ってすべてが繰り返すという自然法則を勝手に人間の社会にも当てはめてしまう近代以前の人々の「信仰」にすぎないので私はそういうものに組することはできませんし、適切でもないと思います。
全てにおいて言えることですが、何か問題がある場合は物事をあいまいにせず、自分たちの責任になる物事とそうでないものの切り分けが重要かと思います。


【ククリーナさんへ】
コメントありがとうございました。そちらのお立場もご説明いただいて感謝いたします。

弥太郎さんへの私の返信コメントの記事がある意味ではそちらへの返信にもなっていると思いますが、いくつか補足すると、私は法的措置以前のファンのコミュニティが本来はVtuberの活動の根底を支えるべきだと考えています。そちらが行ってきておられるファンの側でVtuberを守るという活動もそこに含まれるものでしょう。現状に至るファン側の企業に全部丸投げ、盲信し、結局は傍観者にとどまることをよしとする風潮への批判も私自身が感じていることと同等だと思います。

ただ、私は界隈が望んだことかどうかは大した問題ではないと思っています。なぜなら界隈などというものは「日本人」などのようなもので実体としては存在しないものだからです。たとえ少数でもある意見が広く社会に共有され正しいとされることになれば、今「界隈」なる場で主流を占めている意見(事なかれ主義)も現在のようには堂々とは述べることはできなくなると思います。(もしくは言っても無視される程度の意義しか認められなくなる。)

スパチャ額が日本国内より海外からの比率が高くなっている現在、日本人ファンの影響力は既にV発祥の地の人々であること以上のものではなく、何かがあって日本人のVに関係する文化的優位性のようなメッキがはがれれば海外型の権利や個人の主体性を基準に置く文化にその内実が入れ替わると思っています。そしてそれは既に進行していると思っています。現在にじさんじENのランザー罪恩の契約解除について向こうのファンが憤っている件がそれです。

今後は日本人の手を離れてVの文化におけるファンの役割が健全化することを私は期待しています。そのために今後は向こう側と接触してやり取りをしていくつもりでいます。

私が準拠する哲学的見解でパラダイム論というものがありますが、根本的に意見が違う人間同士の議論は全く無駄です。そういう相手に意見の変更を起こさせるためにはそのための実利的な状況が押し付けられることでしか達成されません。

私が望むのは日本型の「事務所主導の箱」型V文化(アイドル型V)の凋落とそれに代わる海外発のV-shoujoのような非アイドル型V文化の隆盛です。前者は奴隷商人のビジネスにすぎないので、平等や個人など、つまり人権概念などを基本とする近代市民社会に基本的には存在してはいけない文化だと思っています。歴史を見れば結局表というか公の論理としては近代が常に勝ってきたわけで、どのみちそうなると思うので日本人がついていけるか置いていかれてガラパゴスになるかだけの問題だろうと思っています。自分は置いていかれないようにというか、むしろそのムーブメントを促進するような活動を展開していくべきだと考えています。

その中でSJW(ソーシャル・ジャスティス・ウォリアー)と呼ばれるポリコレ勢力ともう一度相まみえて、その時改めて勝負できればなあと思っています。私は一応西洋のアカデミックな学問を修士まで出る程度にはかじった身として、あれらは偽の西洋文化だと思っています。
すでに当たり前のものになり過ぎていて外見的な固有の姿を持たなくなっている「本物の西洋文化」にVtuberの外観が与えられて、SJWなどの悪党どもを世界の隅に押し込める流れを作っていきたいと考えています。


(注)以上のような主張をすると、「Vは政治的な活動をしよう。政治的な話題を扱おう」みたいな話をしていると思われがちなのですが、そうではないので、この文章を読まれた方たちにはその点誤解のないようお願いしたいと思います。

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