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高校球児  青ブラ文学部御中

振り切ったバットの感触は、ズンと巨大な何ものかの腹に食い込むようだった。ほとんど目を瞑って打ったように思う。
見上げると、小さなボールはセカンドベースの上空で静止していた。一塁を回ったところで、もう必死に走る必要はないことがわかった。
 
我が家には母と僕以外は誰もいない。父も妹も、老犬の歯が抜け落ちるようにいなくなってしまった。僕が11歳の時に父がメラノーマという皮膚の癌で。その3年後に妹が川の水難事故で亡くなった。まだ12歳だった。
 
父の7回忌の法要の朝、身支度を整えた母はダイニングに座っていた。静かにしている母からは、このごろ溜息しか聞こえてこない。そんなことの意味がもうわからない年じゃない。
「アヤがあの人より先じゃなくてよかったわ」母が誰に言うでもなく呟いた。
「死んじゃったんだから、どっちが先でも一緒だよ」
「モトキには一緒よね。それでいいの」
いつもの母らしくなくて、僕は何も言えなかった。
 
お寺での法要の間、母は一言も口を開かなかったように思う。いつもなら、あの松の枝振りがどうだとか、駐車場の配列がどうだとか、この後の食事の心配をしたりと、どうでもいいことを口にする母なのだが。
 
家族が僕たち二人になった時、母は「お父さんとの約束でもあるし、大学まではちゃんと行かせてあげるから、それまでは好きなことを思い切りしなさい」と言った。
その時はそれ相当の保険金が入ったのだろうと思った。でもこのところ、それはどうなのだろうと疑問に思うようになった。母は今、2つの仕事を掛け持ちしているし、新しい自分の服を買ったのを見たことがない。だからって僕が母に訊ねても、何も変わらないことはわかっている。だから、何も訊かない。
僕は母の言葉を信じなきゃならないんだと思う。いくら母の背中が辛そうでも、寂しそうでも、僕がそれを心配しちゃいけないんだ。
 
夏の大会の2回戦。相手ピッチャーの剛速球に苦しめられ、3-0のまま9回ウラ2アウト。僕に打順が回ってきた。デッドボールのランナーを一塁に置いているとはいえ、ここでホームランを打ったところで1点及ばない。

僕は思う存分野球をやった。成績はよくはなかったけれど、とっても楽しい3年間だった。
僕はこの感謝を、母にどう伝えればいいだろう。

僕の一直線の打球は、センターの好守に阻まれ、2塁塁審の腕が上がった。
ゲームセット。
                      了

山根さん
企画に参加させていただきます。
よろしくお願いいたします。

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