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わたしのイカイ地図⑦ #創作大賞2024



    第七話
一週間ほどして、B氏の要請でラボを訪問した。それまでもB氏には何度も会ってはいるんだけど。地下からもアプローチできると聞いたけど、文字が読めない私には難しい。相変わらず閑散とした地上に一度上がってからラボに入った。
まだそれほど日は経っていないのに懐かしく感じる。ここを出てからというもの、いろんなことがありすぎた。価値観なんてものが意味をなくすほど。
 
それが関係しているのかどうかわからないけど、このごろ変な夢を見る。
黒い影、頭にエンペラみたいなものが見えるからたぶんイカなんだと思うけど、そのイカたち2、3頭に追いかけられている。私はどこか知らないだだっ広いところを、周りを気にしつつ歩いている。すると急に足元が抜けて落下する。そこは底なしで延々と落ち続ける。それでハッと目が覚める。
 
「よく来てくれました」
B氏は体調が優れない様子。
「どうしたんですか?なんだか体が・・・」
「ご心配をおかけして申し訳ない。今調査中です」
いつもは白い体が少し黒っぽい。見るからに不調を示している。
「今日はご一緒にお昼を、と思ったのですが、いかがですか?」
「大丈夫なんですか?」
「ご心配なく。なんてことありませんよ」
本人がそう言うんだし、断るわけにはいかない。
 
今日はB氏が行きつけというお店、食堂に案内してもらった。
このあたりは全く未開の地。食堂の隣は仏壇を扱っているのかと思わせる、黒塗りの箱が並んでいた。
「ここは?」
「葬儀社です」B氏は静かな声で言った。「亡くなった体をあの中に納めて埋葬します」
「私たちと同じなんだ」
「文化の芽生えは儀式からなんだそうです。その分野にはあまり詳しくありませんが、古い遺跡を発掘すると埋葬の形跡が見つかることがあります。それからだいたいの文化水準が推し量れるそうです」
「死者を悼むというのは文化なんですね。私たちの世界にはたくさんの種類の動植物がいましたけど、埋葬をするのは私たちの種だけでした」
B氏は何も言わなかったが、微笑んでいる顔が見えた。
 
隣の食堂は賑わっていた。席に着いて、と言っても空いたスペースに腰を下ろすだけなんだけど、今回もお任せで注文をしてもらう。
どんなものが出てくるのかワクワクしながら待っていると、いつか役所の地下食堂で食べたようなものが出てきた。行きつけの食堂のオヤジのところでも食べたことがあるのだけれど。
「これ、前に食べたのと同じ?」
「役所の地下食堂ですか?全然違いますよ」
「よく似てる」
「ここの食事は見かけではわかりません。メニューには、割って中身を写したものが多いでしょ?外からでは見分けが付きにくいからです。もっとも、中を見てもさっぱりわからないのは同じですけどね」
「そうなんだ。あのコーナーのオヤジ、いつも同じものを勧めるなって思ってたけど、そうじゃなかったんだ。でもさほど味の違いは感じなかった」
「同じ形状のものは同じ味です。内容はずいぶん違いますよ」
「じゃ、ここに来た理由は?」
「あなた方の種に必要な栄養素を調べました。だいたい私たちと似ていますが、少し違うところがありました。それが葉酸という栄養素です。それを私たちは重視しません」
「でも私にはたいせつってわけね」
「そうです。DNAを作るのに必要なようです。それがここの料理で摂れることがわかりました」
「ありがとうございます」
B氏はいえいえ、と謙遜の言葉を吐いたような顔をした。
そういえば、B氏はそういう謙譲の姿勢が日本人に似ている。それはB氏が自然に身に付けたものだとは思うけど。
 
直感の通り味は同じだった。まだこの四角いのとブドウ形しか知らないけど、この2種類の味で飽きない自分が不思議に思える。人間界では特に食にうるさい質ではなかったけれど、不味いものを口にするのは嫌だった。誰でもそうか。
このザクザクだったり、ボロボロだったり、サクサクだったりという微妙な食感の違い。それともうひとつ匂い、香りが味覚に大きく影響している。
 
ラボに帰ってきて、地下の部屋に初めて招き入れられた。ここには誰もいないかのようにスンという音がしている。姿は見えても音はなかった。
「何かお困りのことはありませんか」
B氏にいきなりそう言われてドキッとした。
「困っていることは多いです。服のこと、お風呂のこと」
「服ですね、それは手配しましょう。ただしこちらでは服のセンスのことはご勘弁ください。私たちの服をアレンジしたものになりますからそれなりです。あとお風呂ですね」
B氏はさすがに困った顔をした。考えを巡らしている。
「私たちには自浄作用がありまして、お風呂の習慣がありません。少しお時間をください」
「お願いします。私に何かできることはありますか?」
「今のところありません。ここを楽しんでいただけたらと思います。飽きたらおっしゃってください」
B氏はどこまでも紳士的。飽きたら?ここにいる限り、探検のネタは尽きそうにない。
 
今日はそれでお開きになった。今日の目的は足りない栄養素の補給だったよう。このことは、私の生物学的解剖がかなり進んでいることを示している。
私は買われてきた身、こんなに大切に扱われているのが申し訳ないくらい。切り刻まれて、あの黒いお棺の中に入っててもおかしくないんだから。
 
その翌日の夜、ラボのニュース配信から連絡が入ってきた。B氏が意識を失ったという内容だった。
急いでラボに出向いたが、そこにはピクリとも動かない壁のような拒絶があるだけ。他のイカとは誰ともアクセスする手立てがなかった。
不安が過る。もしかするとこうして大切に扱われているのはB氏のお陰かもしれないから。彼がいなくなったら、きっと見向きもされなくなる。そんな気がする。

なんだ私、自分のことばっかじゃない。彼が意識を失ったっていうのに。そんな病気だったのに、私の健康を考えてくれてたっていうのに。
彼の前で能天気に探検のことに思いを馳せていた自分が卑しい動物に思えた。
     つづく


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